相模原市花 アジサイ  2016

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               SAKAI だより <4月・3月

   

★ 4 月 27 日( 土 ) 〜30日(火)  [ 「 4月連休 ( 眼科定期検診・北公園・MY−BODY・車リコール点検・長男家との会食<名古屋>)」・「月末雑感」 ]

10連休に突入。先ずは前半3日は11時〜12時起床のグウタラ生活で蓄積疲労を排除することにした。ただ、気のせいか余計体はダルイ感じがする。

初日の27日は16時に夫婦で近くの眼科での「定期検診」に行った。小生は先日の「白内障?」の経過観察の結果もあるので、多少緊張していったが経過良好で“手術”等は必要なしとの事。ただし当面は目薬で目の「違和感」の様子は診ましょうということになった。

2日目(28日)は18時に我家の車(トヨタ・パッソ)がリコール対象(リアブレーキ関連)となったので、ディ−ラーに行く以外用事はなし。

天気も良く足の調子も良くなったので、水泳を再開しようかと思ったが、女房が「明後日の名古屋行きもあるので、大事をとって医者の言う通り5月からにしたら」というので、「北公園」と「MY−BODY」での軽いウォーキングに切り替えた。北公園は「御衣黄」を除き、桜関連はほぼ終わり「花なずな」(写真左)や各種「ツツジ類」が満開となっていた。季節の移り変わりは早いものだ。

3日目(29日)は薄曇り、表の「モッコウばら」が咲き誇ったのは良いが、事前の手入れが良くなかったせいか、枝(葉)があちこちに延びて見苦しい。取敢えず遅まきながら“剪定”をして花が目立つようにし、午後は買物に行き、夕方「MY−BODY」で昨日並みのトレーニングをした。

4日目(30日)は、豊田市在住の長男家が今年は「部活」や「塾」で来れないというので、こちらから名古屋に出かけ会食することにした。

我々も10連休中、旅行気分も味わえ孫達とも会えるし丁度良いので“日帰り”で、「こだま」を使ってのんびり行くことにした。名古屋駅JRセントラルタワーズのイタリア料理店で楽しく賑やかな「平成最後の晩餐」となった。連休中は新幹線のホームは大混雑していたが、予想どおり「こだま」自由席は往復とも空いていて快適な旅となった。(写真右は95%空席状況の浜松〜名古屋間「こだま自由席車内」風景、及び円内・孫達と)

4月もお終い、世の中は「令和」への改元で異様に盛り上がっているが、一つの時代の節目にしか過ぎない。マスコミの気持ちも分からないではないが、もう少し何とか冷静・客観的に報道出来ないものか。

小生はいつもどおり1ケ月を振り返ってみると、3月末のゴルフ場での「肉離れ」で、運動も出来ず大いに「生活ペース」の乱された月となった。何とか動けたので、飲み会付きの会合は“不義理”をせずにすんだが、気持ちは滅入り体調もスッキリしない日が続いた。「ゴルフ」「水泳」「歩く会」は当然のことながら、「読書」等も進まなかった。連休明けからは早く通常の生活気分に戻りたいものだ。

 

★ 4 月 25 日( 木 ) ・26日(金)  [ 「 Lの会 ( 新橋・坐和民 )」 ・ 「 家調・同期会 ( 相模大野 )」 ・「(株)CIC懇親会(浅草)」 ]

昨日(25日)は、 17時から 恒例の「 Lの会」(潟梶[ドテックの幹部OB会 )が 新橋の坐和民・銀座土橋店であ った。

昼に近くのMYーBODY(フィットネス)で「ズンバ教室」があるので、女房に付き合って“腹筋・腰捻り”の約20分だけして、夕方新橋に直行した。

「 L の会」は常連 5 人中、1人が体調不良でドタキャンで4人となったが、例月どおり楽しく飲んで帰った。

今日(26日)は12時から小田急線「相模大野」駅にあるイタリア料理店で、相模原家事調停委員の同期入庁者の OB 会があったので出席した。 .

平成19年4月に男性3人、女性1人の計4人入ったが、70才を過ぎたら更新(2年)なしという規則で、その内の女性のN さんが最後まで残りこの3月末で12年努めて退庁したので、その慰労会。

おそらくこれが最後の同期会となると思うが、幸い4人とも「歩く会」や「橋本賑い座」等に属していて、今後もしょっちゅう会える間柄である。(記念写真参照)

夜は(株) CIC の浅草の料亭「つち田」での懇親会に招待されていたので、そのまま向かい、新会長・社長等と楽しく飲んで夜遅く帰宅した。明日からいよいよ「平成・令和」にまたがる10連休である。、

★ 4 月 24 日( 水 ) [ 「中津地区経済活性化プロジェクト# 6 (丸の内・国際 ビル )」「 第39回憂楽会 ( 日比谷公園・松本楼 )」 ]

今日は 1時半から、2月に会合を持った 「郷里・中津の発展を考える会」 の6回目が、有楽町の 国際 ビル内 にある「三菱商事OB談話室」で 開かれるので早目に行き、昼食を摂ってから出席した 。

まだ5 人の発起人で構想を練っている段階だが、道のりは混沌としている。前回、いつまでも同じことをくり返しているわけにも行かないので、 次回までに検討の叩き台でも作ろうかということだったが、今回中心メンバーが1人欠けたこともあり、従来通りの“雑談会”でも良いということで集まった。

 5月に中津市長も出席する「在京中津人会」があるので、皆で出席しムードを盛り立てようということにして4時近く解散した。

 小生は、3ケ月に1度ほどの 大学同期有志17人限定の会「憂楽会」がいつもの日比谷公園内・松本楼で17時半から開かれるので 、公園前の喫茶店でしばし時間をつぶしてから出席した。

今日は2人が欠席15人が 出席した。今回 の メインスピーカーは、 若い48才の起業家のMさん。

 ホテルレストラン結婚式場を経営する会社を26年前に起こし、現在国内13箇所、海外10拠点で従業員数1650人(内社員850人)、売上高350億円、グループ経常利益50億円の企業に育て挙げた人物だけあり、自信をもって人の使い方や経営理念を聞かせてくれた。今の若者の使い方等、我々の時代と隔世の感があり、論客ぞろいのロートル経営者連中も感心しながら意見交換を行った。

 さらにメンバーの野田毅衆議院議員からの「消費税制」の話もあり、いつものように皆で“時世”を議論して充実した気持ちでお開きとなった。(写真参照)

★ 4 月 23 日( 火 ) [ 「 整形外科 ( 5月ゴルフOK )」・ 「 モッコウバラ ( 自宅 )」 ]

昨日から右ふくらはぎの肉離れ部分の痛みが気にならなくなった。整形外科から1 ケ月経ったら見せに来るよう言われたので、木曜の予定を早めて今日午前中に行った。“経過順調”とのことで、5月連休明けのゴルフも許可が頂けた。ただし、包帯をしてサポーターを付けかつ決して無理をしないようにという条件つきだが・・・。

 午後は女房とショッピングモールに買物と食事に行ったり、家の内外の清掃で過ごした。表通りに面した我家のフェンスのモッコウバラも満開となった。(写真参照)

★ 4 月 22 日( 月 ) [ 「 K 氏油絵展(十条)」・ 「海ICで執務(入谷)」 ]

  毎年この時期、 MBI(マッキンゼー研修OB会)の 仲間の 「K氏油絵展」が十条中央商店街の中にある“カフェスペース101”という喫茶店で 開かれる。今年は4 / 8 〜 5 / 4 に開かれている との案内を頂いた。

できれば大勢の仲間が集まる日に行きたいと希望して いたら、今年も同期のH氏が調整してくれ今日2人で行き 。ご本人 から解説を聞き昼食を共にすることもできた。

彼の画風の抽象画的で色彩のあざやかな油絵が1 2 点ほど展示してあった。 すべて昨年以降の作品との事。 1 ケ月に 1 点のペースは、感嘆に値する。(写真は展示風景)

 折角なので、帰り入谷の鰍bICに寄って諸連絡をするとともに、預けてあった小生のパソコンを使って、やり残していた名刺管理データを完成ささせた。

★ 4 月 21 日(日) [ 「 次男家来訪(孫娘ピアノ・北公園・会食 )」 ]

10時に次男家が孫娘(小4)のピアノレッスンのため久しぶり来訪して来るという。朝、通常の休日より夫婦で早く起きて、部屋の片付・掃除などして待っていると、孫娘だけが現われ後はギャングの下の男の子を連れて「北公園」に遊びに行ったようだ。

 それで、天気も良いし小生は「北公園」の方へ合流した。元気いっぱい走り回る3才の腕白坊主の後を追いかけるのは大変だった。子供を遊ばせるには本当に良い所だ。(写真右は家族連れで賑わう“子供広場”)

 昼は皆で近くのファミリーレストランで会食。我々は帰り道、買物をして帰ったが、小生は疲れのせいか無性に眠くなり、帰るやいなやベッドに入りそのまま夕方まで昼寝をしてしまった。

★  4 月 20 日( 土 )  [ 「 ゴジラ会 ( 東大駒場構内・ファカルティハウス ) 」 ]

春秋年2回の 恒例の東大剣道部戦後〜S40年卒のOB会「ゴジラ会」、 今回は初めて東大教養学部駒場ファカルティハウス・セミナー室で行われる事になった。小生が幹事長だが、実質幹事は 1年下の昭和40年組が集団でやってくれている。何があったか知らないが彼らが、永く続いていた本郷3丁目の「ホテル機山館」から、ここに変えたいと強く言うので決まったもの。

そのせいかどうか分らないが、出席者は昭和50年卒まで拡大したにも拘わらず約25人と減少した。 小生 は3 年 前 から永年務められた1年上のO先輩から “ 幹事長 ” という名前とともに「司会役」がまわって来た ので早目に行った 。 大多数の先輩方は“教養学部修了以来”だと懐かしんでいた。特に我々の世代以前は「駒場寮生」の比率が高いので昔話に花がさいていた。

ただ高齢化が進み、 1年間の物故者は4人、杖を頼っている方も5〜6人も居られた。小生は肉離れで杖代わりのキャリーから脱却出来ててよかった。

若年者から順番に 出席者全員にスピーチをしてもらい 時間内で無事おわったが、40年組の幹事は「ホテルに比べやはり会場の対応が悪い」との感想だった 。 (写真は東大駒場の正門から本館時計台風景)

★ 4月 19 日 (金) [ 「北公園(桜その7・続々)」 ]

 今日も快晴、予定は町田の絵画教室へ行く女房の送迎のみ。11時ごろ橋本駅に 送って「MY−BODY」(フィットネス)に行く途中、3日前に行ったばかりの「北公園」に寄ってみた。

 先日、花が付き始めていた「御衣黄」と「八重桜・松月」のところに行ってみると早くも満開。本当に順番も狂わせずかつ好天続きとはいえ、たった3日でこんなに咲き誇った自然の力に驚くばかりである。(写真右は4/16と比較した合成写真)

 家に戻ると我家の表通りに面したフェンスの「木香バラ」も黄色い花を付け始めた。来週当りから満開となり、通る人から声を掛けられるようになるだろう。

★ 4 月1 8 日( 木 )[第 20 回大学クラス会総会(日比谷公園内・松本楼)」 ・「名古屋39会東京OB会(芝公園)」 ] 

大学教養部のクラス会(35文一6組)は、毎月有志で「 3 木会」と称し新宿で行って いるが2月からは「2木会」に変更した。しかし、今年の4月の 「総会」 は3木の今日開催した 。 小生が幹事になっ た第3回目(2002年)から 毎年開くようにな り、今回が第 20 回目。 一 昨年 から場所を 日比谷公園内の「松本楼」に 、開催時間も4年前から。 昼間開催に変更し 実施している 。

入学時55人のうち、すでに1 5 人が他界。現在メンバーは4 0 人、う ち 1 5 人は遠隔地だったり、まったく無関心で中には脱退したいというのも数人いて 実質対象は残る 25 人。

しかし、体調の思わしくない人も多く、 一昨年の 16人 からドタキャン2人も含め昨年と同じ13人 と過去最低 タイ 記録となった。

会は この 1 年で亡くなった2人対して黙祷を捧げたあと、 例年どおり、全員が時間無制限で和気藹々と近況報告等をしてお開きとなった。(集合写真参照)

 終って、年2回の 「名古屋39会東京OB会」の懇親会が16時から芝公園のメルパルク東京で 行われるのでそちらに移動した。

東大昭和39年卒業者(35年入学)が名古屋勤務時代属した同窓会「名古屋39会」の東京版。本家と同様年2回ずつ飲み会とゴルフ会を行なっている。メンバーは現在4 1 人、勤務先も違い何のしがらみもないのが良いらしく出席率も非常に高い。 小生は昨年秋は幹事の「3木会」(前述)とかさなり欠席、15日のゴルフ会(湘南CC)も“肉離れ”でキャンセルしたので 1 年ぶりとなった。

「番狂わせ的優勝 ?」だったらしく、ゴルフの話で持ちきった。次会10月(町田・東京国際CC)には小生も参加を約束させられた。 今回 も 出席者2 3 人、いつも小生が最後に記念撮影をしてお開きに なる。(集合写真左:参照)

★ 4 月1 7 日(水)[ 「ARKHL(赤坂・読書)」・ 「 2019 年度第 1 回東京銀杏会・幹事会(六本木一丁目)」 ] 

今日は、18時から、 ARKHL(赤坂)の すぐそばの六本木一丁目の駅上にある「泉ガーデンレジデンス」で 2019 年度第 1 回 の 東京銀杏会幹事会があるので、 朝からARKHLに行き読書をした。

2月に読み始め、途中浮気をしていて永いこと読み掛けになっていた米国の地質学者(ウォルター・アルバレス)の書いた「ありえない138億年史」(光文社:写真参照)を一気に読み終えた。科学的な宇宙の話だとばかり思っていたが、結果的には『宇宙誕生からのビッグヒストリーから見た地球と人間世界』という副題のとおり、地質学者の視点で宇宙・地球・生命および人類の歴史をみた「エッセイ」だった。

歴史学者や考古学者の考える年代と桁違いの昔からの“推論”だけに面白かった。連続性より「偶然」を強調、成程と思うところも多い、分厚く難しそうに見えるが読み易い肩の凝らない良い本だった。

「幹事会」は平成最後の年度の第1 回なのだが、“令和”最初の年度でもある。よく見ると今回は初めて2019年度と西暦で表示してあった。

幹事55人中、2 2 人が出席。恒例の事業内容等を熱心に討議した。今回もスムーズに進行し、いつものとおり有志1 2 人で近くのイタリアンレストランで和やかに2次会をして夜遅く帰った。

★ 4月 15 日 (月 ) 〜16日(火)  [ 「眼科(南橋本)」・「書斎整理完了」・「北公園(桜その7・つづき)」 ]

 歯が一段落、土曜日の整形・循環器も一応問題なし。一安心していたら最近どうも日向で目がまぶしく、何となく目が見難い感じがしていた。疲れ目かなと思っていたが、14日朝、片目を手で隠してみると左右で明るさが違うのに気がついた。神宮球場でもスコアボードが何となく見ずらい。

 いよいよ予備軍と言われている「白内障」手術かなと思って、月曜(15日)朝一番で休日明けの掛かりつけの眼科に飛び込んだ。途中、車を家に置きに帰り、再びタクシーで往復などして13時すぎまでかかって、CT写真等も撮って精密に検査してくれた。結果「白内障」は半年前からそう進んでなく、血流の問題ではないかということで目薬で様子をみることになった。生活も通常で良いということで、ひとまずホッとしたが年は取りたくないものだ。

 16日は一心発起、(株) CIC から持ち帰ったダンボールの名刺関連以外の整理に取り掛かった。そのためには既存の本立・引出・CDラック等の抜本的整理が必要である。思い切って「段・捨・離」をして、ついに1日かかってダンボールを空にすることが出来た。

 また、途中女房の所用のアッシーで橋本駅までの送迎方々、先日(13日)小生は行ったばかりの「北公園」に二人で寄ってみることになった。女房は満開の“しだれ桜”に感激していたが、小生は枯れ木状態だった“御衣黄”と“八重桜・松月”に花が付いているのに驚いた。あと数日で満開になるだろう。(写真左御衣黄・右松月参照)

★ 4月 14 日 (日 ) [ 「和田薫幸会(修学生面談・会食:渋谷)」・ 「東京6大学野球応援(東大vs法政戦:神宮球場)」・「東大駒場寮跡」 ]

 今日は小生が昨年秋、母校・中津南高校を訪ね募集した和田薫幸会(明治・大正時代の郷里・中津市の大実業家・和田豊治先生の基金による奨学金団体)の今年の修学生が最終的に3人決定し、会長の面談があるので、担当役員として会長宅(渋谷区神山町)で10時から1時間同席させて頂いた。

 61才違いの高校の後輩たちと中津の話や昔話などをして楽しい時間を過ごした。また、11時から会の会計監査に来た1年後輩の役員と会長・事務局と「東急百貨店・本店」で会食した。

 2時ごろおわったので、小生は神宮球場に行き、東京6大学野球の東大対法政戦の応援に行った。昨日7対0で負けて今日が第2戦目。昨年春(対明治戦)と同様、幸先よく初回に1点先制、応援歌「ただ一つ」を皆と肩を抱いて歌えたのは良かったが、その後は甲子園常連校出身者で固めた法政に歯が立たず、4時で4回終了7対1となったので中座して帰った。(写真右参照)結果次の5回で6点入れられ、最終的には18対5で大敗だったようだ。

 しかし、元三菱ふそう(その後NTT東京)の監督を務めた垣野多鶴氏のコーチのせいもあり、打力が昨年より格段に向上しているのは良く分かった。今日はベンチ入りしてなかったが、1982年4位になった時の大久保裕主将(元三菱ふそう野球部)の子息の大久保投手(2年・湘南高校出)の登板が待ち望まれる。

 そういえば、今朝神山町の和田薫幸会会長宅に行くのに、時間充分だったので井之頭線「駒場東大前駅」で途中下車、東大駒場キャンパスを正門から裏門へ抜けて歩いて行くことにして、懐かしの「駒場寮跡」に寄ってみた。

 図書館等が建っているが、その前に「駒場寮のモニュメント」があるのに始めて気が付いた。第一高等学校時代からの“説明書”や“写真(見難いが)”等もそばにあった。(写真左参照)

★ 4月 13 日 ( 土 ) [ 「整形外科」・ 「女房・音楽会(三鷹)」・ 「 桜その7(北公園) 」 ・「小金井 MC 定期検診」 ]

 今日は女房が大学同級生 S さんの「ソプラノ独唱会」で三鷹市芸術文化センター『風のホール』に行くので昼前に橋本駅まで車で送って行き、小生はそのまま「北公園」で桜を観てから「MY−BODY」(フィットネス)。一旦家に戻り昼食を食べてバスで橋本駅に出て、小金井メディカルクリニック(MC)で主治医の循環器系の毎月の定期検診を受け、帰り八王子駅で女房とお落ち合って夕食を食べて帰るスケジュールとした。実は音楽会に一緒に行く予定だったが、急遽定期検診日を今日に変更せざるを得なかったことによるもの。

 また、肉離れをしてから2週間経ったので、小生は朝一番で整形外科に行き診てもらった。まだ足の先に内出血が残っているが、“順調”との事。

 「時間との勝負ですね」ということで、「決して無理をせずに今まで通り」ということになった。何とか連休明けにはゴルフに復帰したいものだ。

 「北公園」の方は待望の山桜が満開。大勢の見物客で賑わっていた。(写真右は満開の山桜)枝垂れ桜も満開(写真下左)、ところが、その中でいつも少し遅れて咲く「御衣黄」(黄緑)は(写真下中の右)に見えるように枯れ木状態。松月という「八重桜」(ピンク)もまだ咲いていなかった。

 その代わり「ミツバツツジ」・「しゃくなげ」(写真下右)や「ハナモモ(テルテ姫)」等が咲き誇っており、これから名物のアジサイまで“春爛漫”が続くだろう。

 

 

 

 

★ 4月 12 日 ( 金 ) [ 「 国立新美術館(水彩連盟展= 乃木坂= )」 ]

 今日は、女房が順天堂大学病院・整形外科スポーツ診療科で4回目のひざの診療を受けたあと、昨年も行ったが高校の同級生の K さんが出展する「第78回水彩連盟展」を観に国立新美術館に行くから、一緒に行かないかというので同行することにした。

順天堂病院では、「予約診療室」で PRP という先進医療の2回目の注射を受けるだけだったが、その高級ホテル並みの施設には驚いた。

 終わって、乃木坂に行き「水彩連盟展」の入選作を観た。小生はこれで4年連続、女房は2010年に最初に同級生達と来ているので5回目との事。

 出展者は全国にいる会員・準会員と一般者の中で入選した5〜600人。いずれも60号以上の大作の水彩画で、入選するのも大変と思うが、全部観るだけで大変だった。しかし、どれも秀作ぞろいで、文科大臣賞や都知事賞その他多数の受賞作品もあった。若干疲れ果て終って2人でレストランでしばし休息してから、新宿に出てデパートの高級和風レストランで豪勢な夕食をして帰った。2人で身体障害者的風体で何と1万歩近くも歩いた有意義な1日となった。(写真は水彩画展のポスターと K さんの入選作「道の一隅」:合成)

★  4月 11 日( 木) [  「桜その6(裏山 )」・「水漏れ騒動解決」・ 「 東京医科歯科大病院(お茶の水)」 ]

 昨日は冬が戻ってきたようで、関東でも雪が降ったが、今日は快晴。そう言えば毎年花びらが表通りまで散って、掃除に大苦労する我家の裏山の桜。今年はまだ散ってこないのでどうなっているか見ると一応満開だが、下の方は何となく葉桜風。まだなのか、峠を超したのか分らないが写真右参照。

 また、台所の排水管が溢れたと女房が大騒ぎ、掛かりつけの工務店は忙しそうなので、急いでいつも宣伝を入れて来る「巷の水道工事屋」に電話したら、すぐ来てくれて薬を使って直してくれたが、 1 ケ月も持たずまた元の状態になった。

 「工事屋」も何となく怖そうだと、今度は薬局で市販の薬を買って試したが効果なし、いつもの工務店にSOSを出したら1日待たされたが午前中来てくれ完璧に良くしてもらえた。たまたま、昨日朝TVでも特集していたが、この種の工事はやはり信頼できる所に頼まなければいけないようだ。

 小生は午後、東京医科歯科大歯学部附属病院で、先日受けた歯周病と抜歯の“最終診療”が「むし歯科」と「口腔外科」であるのでお茶の水まで往復した。

 両方とも結果良好とのことで、来月から「インプラント科」だけの半年に1回の定期検診患者に戻ることが出来るようだ。これも排水管と同じで、大病院の中で、このようなルートが出来て安心だというと巷の歯医者に叱られるかも。

★  4月 10 日( 水) [  「 二水会(新橋)」・「 ARKHL(赤坂・読書)」 ]

今日は、 12時から月例の「東京銀杏会虎の門昼食会(二水会)」が新橋の 新 橋亭で開かれるので、新橋に早目に行き例により1000円床屋で散髪してもらってから出席した。

今回のメインスピーカーは、元裁判官で公証人も10年務めた現在弁護士の M 氏 (昭和45年法卒)。今回と6月の2回にわけて「相続の話」をしてくれる。

第1回は「遺言の勧め」、第2回は「改正相続法について」との事。今日の出席者はこのところでは少な目の30人だった。

曲がりなりにも“家事調停委員”を経験した小生にとっては、今日の話は「頭の整理」になった基本的な話だったが、次回の話は7 月施行を控え是非聞きたい話である。しかし、身近な問題だけに出席者から出される質疑と応答等は面白かった。

終って、小生は今月始めてARKHL(赤坂)に行き、前回読み残していた「安倍官邸VS.NHK」(相澤冬樹著)という“森友”関連の本(写真参照)を5 時ごろまで掛けて読み終えた。

こちらが想像していたような結論には至らず、気持ちは分るが「世の中はそんなものだよ」と言いたくなるのは、小生も80才近くの老人になって来たせいかもしれない。

まあ、こういった正義漢とそれを取り巻くどんよりした流れが、これまでの社会の歴史を作って来たと考えれば宇宙の中の細かい話だよと慰めたい。

あとは、本当の宇宙の話「ありえない138億年史」という本だけが読み掛けとなった。

  4月 9 日( 火) [  「 小・中学校同級生有志の会 ( 新宿・伊勢丹会館 )」 ・「次男家長男・入園式(相模原)」 ]

 今日、中津南高校同級生のうち、小・中学校が同じ女性2人が小学校又は中学校卒業以来別れた同級生の女性3人と会合を持つという話は聞いていたが、小生にも参加しないかと声が掛かったので喜んで応じた。

 内、 1 人は大分在住の能楽の大家で、彼女を知る隣の中学出身の同じ南高同期の K 君も参加するというので男性2人となりなお心強かった。

 合計7人で新宿・伊勢丹デパート入口で午後1時に待ち合わせた。60年以上ぶりに会う人もいて、どうなることかと思ったが何とか無事に集合でき、隣の「伊勢丹会館」の飲食店で楽しく会食した。小生も中学校(1小学校の持ち上がり)の卒業アルバム等を念のため持参したが、各自持ち寄った写真や想い出話で楽しいひと時となった。全員80才から急に若返ったようで、次回また元気に再集合を願って3時過ぎ名残惜しく解散した。(解散時写真参照)

 帰ると相模原在住の次男家から、今日行われた一番下の男の孫の入園式(3年保育)の写真が沢山送られて来た。元気一杯、すべてこれからというのも羨ましい限りだ。

★  4月 6 日(土) [  「 MBI花見(野川公園近くの幹事宅 :桜その 5 < 野川・野川公園> )」 ]

恒例の MBI (マッキンゼー研修の  OB  会)花見は、いつもの野川公園近くの幹事の豪邸で開催された。

 2 3 年目とのこと。 小生は昨年に引続き今回で12回目の参加。参加者は19人だった。11時開始で最初は、今年は気候のせいで名物の「しだれ桜」は今一とのことだったが、皆で山吹やミツバツツジさらにはチューリップ等の咲き乱れる広い庭で、記念撮影とガーデンパーテイ。(写真右参照)

 後は屋内で、なだ万の 弁当と持ち寄ったワインやつまみ ・果物・ケーキ で色んな話に花が咲いた。 昔は野川公園の自称「MBIの木」の下で集まっていたが、 8 年前くらいから広々とした庭のある幹事宅の室内で行うことになった。

 小生は、足も悪いので家もタクシーで出て早目に行くと1時間前に着いた。バス停近くの野川べりの満開の桜を観てからだったが、一番乗りで到着した。帰り有志は野川公園を散策に行ったが、小生は往復のバスの車窓から眺めるだけで遠慮し、写真だけ拝借することにした。

(写真下参照<左から野川土手桜、幹事宅庭の花・野川公園桜>)

 

 

 

 

★  4 月 3日(水)〜5 日( 木) [  「内出血」・「MY−BODY」・「期日前投票 ( 相模原 ・ 緑区役所 )」 ・「春爛漫」・「桜その4(北公園)」 ]

3日の「甲州街道を歩く会・特別企画(豊洲〜築地〜水天宮)」、5 日の「重工39会ゴルフ(東京CC)」はキャンセル。やっと自宅で安静に出来る状態になったが、足の方は内出血の血がくるぶしのところに3日後位から下がり始め、青紫色の凄い様相になった。女房に医者に再度行くように強く言われ、 2 週間後と言われていて、かつ先生の言いつけを守らず、出歩き酒を飲んでいた身としては、何となく行き辛かったが恐る恐る1週間目で整形に行った。 ところが「自然の成り行き」的と言われ、もう1 週間このまま様子を見ることになった。

4日は快晴。ゆっくり起きて遅い昼食後女房のアッシーでいつもの「MY−BODY」(近くのフィットネス)のズンバ教室に付き合った。「肉離れ中」なので小生は上半身のみの腹筋(アブドミラル)だけ約10分したが、インストラクターから腰を回す器械(トーソ・ローテーション)も勧められた。ゴルフにもよさそうなので軽くトライしてみた。

帰って昼食後、 2 人で買物等のついでに「4/7の統一地方選挙」の期日前投票に行った。このところの我家の選挙の定番にしているが、 相模原市緑区役所(橋本) に行った。 駐車場もあり、ゆったり選挙 が出来る。特に今回は県知事・県会議員・市長・市会議員と4種類もあり良かった。

5日はさらに暖かい好天気となった。庭の畑には“花なずな”と収穫しなかったスティクブロコリーが化けた“菜の花”が満開。(右:合成写真参照)裏山ではウグイスが綺麗な「さえずり」をしていて、まさに春爛漫である。

午後、MY−BODYに行くついでに北公園に寄ってみると、メインの「ヤマザクラ」はまだだったが、その他の各種桜や「照手姫桃」・「レンギョウ」・「ミツバツツジ」・「ツバキ」等が色鮮やかに咲き乱れていた。

(写真下:北公園風景<左から照手姫桃・兼六園熊谷桜・横浜緋桜>参照)

 

 

 

 

★  4 月 2 日( 火) [  「 剣友会(西麻布・霞会館)」 ]

 今日は5時から、 東大剣道部同期の「剣友会」が 昨年11 月 に続いて 、 いつもの西麻布の霞会館 (六本木) で開かれ る。

 ゆっくり起きて留守中のメール処理等パソコン作業を行っていると 、すぐにバスで橋本駅に行き、西麻布に向かわねばならない時間になった。

 今回も松山に居るK君の上京日程に併せセットしたが、結果的に全13人中8人が集まった。とにかく、年2回の楽しい集いである。

 学生時代の昔にすぐ戻って、懐かしい話や近況を語り合ったが、公式の各自スピーチは「墓の話」、「終活」、「健康管理」等の爺々臭い話に偏ったのはやはり年の所為か。 つい話に夢中に成り過ぎまた写真を撮り忘れ、帰り際あわてて集合写真を玄関で撮ったが、新幹線で静岡に急いで帰ったI君は取逃がしてしまった。(写真右参照)

★  3 月 31 日 ( 日 ) 〜4月1日(月)   [ 「 重工・自工赤門剣友会(丸の内) 」 ・「長男家孫誕生祝い(名古屋マリオットアソシアホテル)」・「桜その3(名古屋城)」「東京医科歯科大病院(お茶の水・抜歯)」 ]

昨年3月、何年振りかで開いた「三菱重工・自工赤門剣友会」の会合が、10月に半年ぶりで開かれ、かつ又急遽31日に開かれることになった。

 というのは翌日(4 月1日)付で、メンバーの泉澤清次君(S56年卒)が社長に就任することが決まったのでその祝賀会をすることになったもの。

 流石に今回は皆万難を排し、今まであまり顔を出さなかった先輩蓮中も出席されたので、S39年卒の小生は上から3番目となったが、同期の久間初代防衛大臣も長崎造船所がらみのよしみで特別参加してくれたので存在感はあった。

 社長内定発表があって以来、小生の日程も考慮してくれていたがまずは“主役”の都合が第一。結果間際に決まったが、実はその後長男家の孫の誕生祝いを定宿の名古屋マリオットアソシアホテルに一泊して行うことにしていた。

 ただ昼間、それも東京駅そばだったので何とか両立出来た。女房には朝から一足先に行って、名古屋城の桜見物等一緒にしてもらい。小生も4時過ぎ合流し、誕生パーティーも予定どおりすることが出来た。整形外科の先生の指示にはまったく“違反”の行動でもあったが、何とかビッコを引きながら達成出来た。(写真右・名古屋城・誕生会合成写真参照)

「重工・自工赤門剣友会」も、親子ほどの年の差のある後輩達とも和気藹々と交流出来て楽しい会であった。これからも皆で力を合わせて、新社長を盛り立てて頑張ろうと誓って解散した。(写真左参照)

 4/1は長男一家と朝食をした後、これまた13時に東京医科歯科大学歯学部付属病院・口腔外科での予約があったので、我々夫婦は帰京した。

 女房を新宿の京王デパートで待機させ、小生は予定の「抜歯」をした。部分麻酔でほんの数分でポロリと抜けて、若干拍子も抜けたが軽くすんで何よりだった。新宿で軽い食事をして、当面の我家の一大イベントは無事終了した。

 
株式会社 ボーダコム SAKAI だより

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