相模原市花 アジサイ  2016

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               SAKAI だより <3月>

   

★ 3 月 30 日 ( 木 )  〜 4月1 日(土) [ 「名古屋(名古屋39会ゴルフ <事故中止> ・ 長男家 孫誕生祝 &中学入学祝 )」 ]

年2回の名古屋39会(名古屋の東大同期会)ゴルフが31日(金)にいつもの岐阜・瑞浪「ベルフラワー CC 」で 開かれるので、今年ももうすぐ10 歳になる長男家の下の孫の誕生祝と、中学へ進学する上の孫の卒業・入学祝いを兼ねて前日(30日)に女房と名古屋に行った。

長男家とは夜ホテル(名古屋マリオットアソシア)で落ち合うので、例年どおり午後に三菱の米国時代の先輩夫妻か、小学校から予備校までの友人と旧交を暖めるか、花見等を考えてみたが生憎名古屋の桜は咲いていないし、肝心の2 人も体調が万全でないようなので、ゆっくりホテルにチェックインし、ノンビリ空き時間を36階の見晴らしの良い豪華なラウンジでワイン・軽食・喫茶で久し振り2人で楽しんだが、途中居眠り付き。

7時過ぎ会社を終わって豊田から来た長男一家と、これもいつもの駅ビル内の寿司屋で会食して第一日目終了。

翌日(31日)は天気予報は午後雨。少々寒かったがお湿り程度の小雨が時折でゴルフに影響はなし、期末ということでお客も少なく、地元2人・東京組4人の2組6人でのんびり楽しく伸び伸びとプレーした。(写真右上:スタート前写真参照)

ところが、午後14番ホールで一緒にまわっていたS君が坂から降りようとして転倒一時気を失うアクシデントが発生。前の組も戻って来て救急車を呼び近く(瑞浪)の病院まで搬送してもらった。気のせいか相当時間がかかり、気が気でなかった。ゴルフは勿論この時点で中止、病院に付き添っていったM君からの連絡を待ち、小生は6 時のホテルの会食に間に合うようJR瑞浪駅に送ってもらい名古屋まで電車で帰った。

「左手首複雑骨折。これから脳出血の精密検査」というところまで聞いたが大事に至らぬことを祈るのみである。小生も経験があり、一部始終目撃していたが本当に普通に大したことなく手をついて“転んだ”という感じだったが、年寄りにとっては大変なことなんだなと痛感した。(写真左:やっと#14コースから出る救急車)

帰っていつものホテルのバースディ・プランの誕生祝(写真右参照)をした。バイキングだが丁度「北海道フェア」、小生はなるべく太らないようにタラバがにの足ばかりに挑戦して、皆に呆れられた。

翌朝、(4月 1 日)は長男家は12時に豊田で用事があるということで、朝食後チェック・アウト。我々も新幹線で帰宅の途についた。

2時半からの相模原市の「桜まつり」で、また次男家の小一の孫娘が「絵画コンテスト」で入選し、その表彰式があるので丁度間に合ってよかった。桜も今一で、小雨模様の天気のようだが・・・(4月分で掲載)

★ 3月2 7 日 ( 月 )  [ 「第38回ジュラシック会ゴルフ (牛久・金乃台CC ) =雨天中止= 」 ]

年2回の東大剣道部戦後〜昭和40年までのOB会 「ゴジラ会」の ゴルフ「ジュラシック会ゴルフ」(こちらは昭和50年卒までのヤング・ゴジラ会にも拡大)が、いつもの牛久「金乃台CC」で開かれたので、4時 半 起きで参加した。

前回(昨年9月)も雨天の中でやったような記憶があるが、今日も家を出る時雨で、天気予報も最悪。8 時過ぎ着くと流石に早々と中止が決まった。

出走予定者17人全員が揃って、次回打合せを兼ねて軽く一杯やり解散した。(写真参照)

いつもの麻雀も先輩の常連組で成立、小生は朝早く解放された。そういえば鰍bICで仕事もあるし急遽出勤することに変更。いつもどおり岩本町事務所に入り、(昼休みは本社で昼食)5時まで勤務して帰宅した。

 

★ 3月2 6 日 ( 日 )  [ 「TV更新・JCOM工事(自宅) 」 ]

我家には4台のTVがあるが、全てJCOMのケーブルTVである。そして機器は15年ほど前に、鰍bICで上野マンション生活が始まった時に買った14型が最新で唯一の液晶。他はすべてそれより相当以前のブラウン管TVである。壊れたらと思っているが、至って丈夫である。

最近やっと寝室の14型の色が少しおかしくなってきたので、書斎にある液晶を寝室に回し、書斎に32型の新品を入れる事にした。ところがJCOMに頼まななければ移動も設置も出来ない。

「お任せサービス」に頼んだら今日午後に来てくれることになったので、新TVを買い梱包のままにして、場所を空けて待った。ついでに有線PCの位置も変えてもらい、1時間強で工事は終了した。

メインの居間は女房が旧型の方が“音が良い”と拘っているので、まず我が書斎が改善されることになったもの。画面が大きくなり、最近画面に出る文字等が見えにくくなっていた年寄りには何よりである。(写真参照)

★ 3月2 4 日 ( 金 )  [ 「Lの会(新橋)失念欠席」・ 「第13回橋本賑い座(橋本・MEWE )」 ]

  昨日は、午後鰍bICに出勤したが恒例の 「 Lの会 」 (新橋)をつい忘れて帰宅してしまい電話をもらって気が付いたが“後の祭り”。

 3連休・ゴルフと続き、日程の「頼みの綱」の手帳を良く見なかったのが原因?。東京銀杏会の勧誘活動に気を取られすぎたのかもしれない、夜孫娘がピアノの練習に来るという情報が入ったので、急に早目に帰る気になったもの。大いに顰蹙を 買 ったようだが4 月初めにゴルフもあるし許してもらおう。

 今日は 12時から 相模原家事調停委員の OB ・ OG ・現役 有志 の2〜3ヶ月に1度の 第13回 「橋本賑い座」 が、いつものMEWE5 階の「寿し常」 で 開かれ た ので 、女房を町田の絵画教室へ送り方々、車で橋本駅へ早目に向かった。

 前回小生は欠席だったが、今日は男性8人、女性2 人計10人が集まり楽しく昼食会を楽しんだ。(写真参照)

★ 3月2 3 日 ( 木 )  [ 「 東京銀杏会・会員勧誘活動(東大・本郷 )」 ]

 東京銀杏会(東大の東京地区同窓会)として、今日の学位授与式と明日の卒業式は重要な新人勧誘活動の場である。

 役員は協力しろということなので、小生は都合のつく今日午前中の東大本郷構内の勧誘活動に他の数人の役員とともに参加した。

 9時集合ということだったが、早目早目に行くと8時集合の事務局と一緒になり、テント設営から手伝うことになった。(写真は本部テント)

 修士・博士号取得者が文系(9〜10時)と理系(11〜12時)の2度に分けて「安田講堂」で行われる式典に出入りするのにあわせ、銀杏会で面倒を見ている留学生たちと“入会勧誘パンフレット”を配布するのが仕事。

 小生は初めての経験だったが、欧米風の学章入りのマントを着て角帽を被った卒業生姿が多いのには驚いた。それも学士・修士・博士で色が違うらしい。

 流石に今日は大学院生だけあり落着いた感じがあるが、付添の両親や祖父母、なかには子連れ、さらに外国人も多いのにも我々の時代の卒業式とは隔世の感があった。結果、沢山の新人が入会してくれることを祈るのみである。 

★ 3月22 日 ( 水 )  [ 「 家調・相模原支部ゴルフ ( 大厚木 CC ・桜コース )」 ]

 一昨年から年3回となった家調・相模原支部ゴルフが春の会場の大厚木CC・桜コースで開かれた。3月がここで7月が中津川CC、11月が相模湖CCとなっているようだ。ただ昨年春は小生は都合で欠席。7月は夏で休止中、11月は積雪で中止だったので、一昨年11月は中津川CC(小生最下位)だったがそれ以来の出場となった。

 4組15人が集まったが、内3人は新人の調停委員で初対面だった。(写真はスタート前ミーティング)数人のシングル級の名人がいるが、あとはドングリの背比べで11人が100超という楽しいコンペである。

 しかし、ノータッチ、完全ホールアウトとルールは厳しい。小生はまた出だしで5パットもして苦しいゴルフだったが、なんとかBM・BBは免れた。

 パットとグリーンまわりの肝心なところでミスが出てスコアが纏らなかったが、内容は悪くなかったので次から頑張ろう。

★3月 20 日 ( 月 )   [ 「結婚記念日(映画・会食)」・「読書」]

今日は我々夫婦の第49 回結婚記念日。 もう1 年で「金婚式」だが、今年は何も企画しなかった。それでは“映画を観て食事でもしよう”ということになり、「ラ・ラ・ランド」というミュージカル映画をMOVIC橋本で見て、帰りに“結婚記念日”のDMが来ていたMeWe橋本内のレストランで夕食という筋書にした。

そのため、小生は朝一で4日連続の水泳に行き、昼に北公園に行き、満開の“白モクレン”と少し時季を過ぎた“寒緋桜”・“おかめ”“コブシ”等を2人で観てから映画館に行くと、目指した1時45分上映は満席。4時20分上映のものに切り替え、夕食を昼食にして買い物等で時間を潰してから映画を楽しんだ。(写真参照)

 映画は 売れない女優とジャズピアニストの恋を、往年の名作ミュージカル映画を彷彿させるゴージャスでロマンチックな歌とダンスで描 いたもの 。アカデミー賞で 6 部門でオスカー像を獲得した というのも納得できるものだった 。

 話は変わるが、先日買った時代小説「大晦り」(佐伯泰英著・文春文庫)はすぐに読み終え、このところ通勤時は“ナンプレ(数独)”にはまっている。

 今日また有隣堂の「文庫本・週間ベストセラー」で検索し、第1位の「リバース」(湊かなえ著・講談社文庫)というミステリー小説を買ってみた。

 

★ 3月 19 日 ( 日 )   [ 「墓参り(さがみ野霊園)」]

今日 は お彼岸で 天気も良いし、夫婦で我家から車で2〜30分の、相模川対岸の「さがみ野霊園」にある堺家の相模原支墓にお参りに行った。

昨年の春も同様だったが、 参拝者で 途中の 車の渋滞も さることながら、 霊園は 家族連れで 大混雑だった。桜 にはまだ 少し早く残念だったが、 年に2 度ほどのんびりと祖先の思いにふける風習も良いものだ。(写真参照)

 いつものように 、会館前芝生でピクニック風の 遅い 昼食を摂って帰った。

★ 3月18 日 ( 土 )   [ 「メール・トラブル」]

鰍bICのメールが「アルファメール・プレミア」(大塚商会)というのに変わったのは、1 ヶ月前(2/17)書いたが、 まだ使い勝手は解り難い。

まあ、個人の発信は家ですればよいと思っていたら、先日(3/8)家のPCで主に発信に使っていた「OutLook」というのが突然全く使えなくなった。

現PC購入時、ご近所の我家のITコンサルタントが設定してくれたものだが、途中プロバイダーの“JCOM”が当社と関係ないからと「Windows. Live」を設定してくれた。ところが最近は、サポート中止で壊れたらお終いというのと、グループ発信に難があるので“JCOM”も併用を勧めでくれ重宝していたもの。

この度すぐに、JCOMに相談すると「遠隔サポート」で“データも消えている”とのことで、新たに「サンダーバード」というのを設定してくれた。しかし使いにくいし、まだアドレス帳も再編中で受信と返信のみである。

ただ、「お任せサポート」で訪問サービスを受ければデータの復活ができるかもしれないというので、お願いしていたら今朝来てくれた。

結果、優秀な担当者のお蔭で奇跡的に復活した。早速、出せなくて困っていた「クラス会総会」の案内等が発信出来てホッとした。それにしてもメールにもイロイロあるということが勉強できた。

ただ、PC自体の性能が低くWin10への対応にも無理があるらしく、取扱いも気長に忍耐を持つべきと指導をうけた。PCも寿命も間近かもしれない。

 

★ 3月1 3 日 ( 月 )  〜17日(金)   [ 「鰍bICフル勤務」・ 「 ご近所葬儀(古淵) 」 ・「3木会(新宿)」・ 「 教養講座・受講(NKK文化センター・青山教室)」 ]

今週1週間は業務の都合も色々あり、鰍bIC(北上野・岩本町)に5 日間毎日出勤した。ただし、私用も多く大いにフレキシブな勤務となった。

13日(月)の「江戸城NPO」は書いたとおりだが、鰍bICは法人正会員でもあり“半公用”。

14日(火)・15日(水)は11日(土)に亡くなったご近所自治会関連の通夜・告別式が相模原斎場のある古淵であり参列。お手伝いも含めた“私用”で早退・遅刻出勤。

16日(木)は夜、恒例の「3木会(大学教養部月例クラス会)」がいつもの新宿駅西口の居酒屋「土風炉」(写真参照)であり帰り道出席した。常連6人が集まり楽しく飲んだ。来月は年1回のクラス会総会もあるので、その“手筈”も打合せした。

17日(金)は昨年10月から第1・第3金曜日に続いた「NHK文化センター・青山教室」の“教養講座”。これも最初に書いたとおり“半公用”。

午後、「 東海道・中山道が伝える=江戸時代の旅・生活・文化=」(講師:元JR東海の志田威氏<東海道町民生活歴史館館主>) の 最後第 12 回目 を 聴講に、青山一丁目へ鰍bIC本社での昼食後行った。

今回の 演題は 「街道文化を伝え続ける」。最終回だけあり、全13人中12人が出席していた。歌川広重の「東海道53次」の版画はあまりにも有名だが、その他にも色々資料が残っているのが紹介された。また、最近は“健康志向”で歩く人も増え、熱心な自治体も出て資料館等整備も進んで来ているとのこと。

この講座も4 月以降も月1回として再受付し続けることになったと勧誘をうけたが、小生は業務の都合があり出席できないのでこれにて終講のこととした。

それで当初小生が音頭をとってやる予定だった“打上”も自然消滅の形になり、帰って夜水泳に行くことができた。

★ 3月1 3 日 ( 月 )   [ 「江戸城 天守 を再建する会」(神田・学士会館)」 ]

認定NPO法人「江戸城天主を再建する会」の 平成29年度 通常総会(第1 2 回)が13時から神田・学士会館で開かれたので個人正会員として出席した。

今年は2 年任期の理事・監亊の交替時期だったが、大幅に半数ほど入れ替わった。 一方でこのNPOでは「世論喚起」だけで、実際の再建をするためには一般(最終的には公益)財団法人が必要とわかり、今年1月24日に一般財団法人「江戸城天守再建・歴史文化まちづくりルネッサンスの会」を立上げ、前理事長以下6人の理事・監事がそちらに横滑りしたことにもよるが・・・。

7 0人ほどが出席しており、 委任状を含めて成立の総会だったが、 熱心に議事が進行した。(写真 は正面にかかげられたスクリーン )

今後オリンピックにはとても間に合いそうもないが、 一般財団法人の新事業主体 の 専門スキルと両輪で行政許認可の目途付けへ向けて総合的に取組む との 事 。不明確なことだらけなので盛り上がりに欠けた総会だった。終って懇親会もあったが所用があって小生は出席しなかった。

★  3 月 12 日( 日 )[ 「日本舞踊こども教室発表会(渋谷区文化総合センター)」・「松が丘親睦会(自治会)関係」 ]

日本舞踊の名取(花柳美仁華)となり、現在も渋谷区で子供達に指導を続けている三菱自動車時代の同僚の女性Aさんから、何年かぶりで「発表会」のご招待を頂いたので、会場の「渋谷区文化総合センター」に昼観に行った。

 というのはご本人が踊る舞台は昔何度も観に行ったが、指導している子供達の踊りを観るのは初めて。しかし、いつも他にも懐かしい女性軍が大勢来ていて大同窓会風になっていたので皆にまた会えるのも期待していた。

 ところが、ご近所自治会「松が丘親睦会」の恒例の年1 回の “総会”がダブッテしまった。昨年度から「相談役」も辞退したので、そちらは女房に任せて欠席することにしていたら、出がけに何と2 件も町内の「訃報」が入ってきた。何とか調整してやっと間に合ったが、来週は葬儀で忙しくなりそうだ。

 第14回目の「発表会」との事で、渋谷区長・区議会議長・議員、選出の都議等の挨拶もあり、すっかり地区との関係も出来上がっているようだ。

 お化粧をして和服姿の出演者と多数の父兄・爺婆・友達等で6階の「大和田伝承ホール」という会場も満員状態。知り合いを探そうと思ったがとても無理。

 美仁華さん本人も大先生の“師範代”と言ったところで、司会や指導で大忙し。それではと「舞台」に熱中して観ていると本当に可愛いいものだった。やはりこの頃から教えなければ「伝統芸能」の伝承は難しいのかもしれない。(写真参照)

 途中「休憩時間」で知り合いを探したが、帰ろうとしている1人だけで見当たらないので、急遽小生も最後まで観るのは諦め退席して帰り、このところなかなか行けない水泳に夜いくことにした。

★  3 月 11 日( 土 )[ 「MBI第23期同期会(新橋)」・「福田薫ピアノリサイタル(初台・オペラシティ) ]

我々MBI(マッキンゼー研修)第23期が終了して丁度四半世紀(25年)経ったので、最終日解散会をした新橋の中華料理店「新橋亭」で、その日に近い今日、12時から同期会を開き集まろうということになった。

 1991年12 月から1992年 3 月まで、24社25人の精鋭が集まり、日本・米国・欧州で各1ヶ月ずつ3か月間研修するという今では考えられない、バブル時代のゴージャスなものだった。これが10年間、年3回で合計30期も続いたのはすごい事だった。

 結果そのうちの最若年の現在61歳と最長老の81才の2人を含めた10人が集まり楽しく飲んだ。

 遠く滋賀県からの参加者も含め、物故者2人を忍びながら当時の想い出話に花が咲き、終ってからも近くの喫茶店で延長戦をして4時前に名残惜しく解散した。(写真参照)

 小生はさらに、今日は女房とオペラシティ(初台)での「福田薫ピアノリサイタル2017」を聴きに行くことになっていたので、喫茶店で“ナンプレ”をしながら時間をつぶし、待ち合わせて5時半に入場した。

 福田薫さんは、郷里大分県中津市関連の奨学金団体「和田薫幸会」の後輩(中津北高卒)の奥さん。桐朋音楽大学を卒業後渡米し、15年間ニューヨークで演奏活動を続けていて6年前東日本大震災のころ夫君と巡り合い結婚し帰国したもの。それで帰国後初のリサイタルを今日の「震災記念日」にしたようだ。

 「リサイタルホール」という小ホールの方だったが、満席の聴衆を前に素晴らしい演奏を聴かせてくれた。

 ショパンのパラード4曲に、三善晃の“アン・ヴェール”という曲をはさみ、ベートーベンの「熱情」を力強く弾いた。因みに夫君は「三善音楽を未来に伝える会」の代表とのこと。まだ、新婚気分ルンルンの2人でもある。

★  3 月 9 日( 木 )[ 「3木会ゴルフ(東京CC)」 ]

   今日は小生の春の部第1回のゴルフ。ホームコースの東京CCでの「 3 木会 ( 大学教養部クラス会 有志)ゴルフ会」 の1 組3人のプライベートゴルフ 。

 実は3月第1 週でゴルフの“冬眠明け”をするのを原則としているが、3日(金)の「重工39会ゴルフ」は小生の都合で出られず、いつもなら中旬に入る各種ゴルフ会も何故か月末に集中してしまった。

 22日(水)からは目白押しとなったが、それまでが空き過ぎるため、 昨年度最後の12/ 6の「3 木会」のメンバーに声をかけたもの。

 その時以来 東京CCの貸ロッカーに道具は預けっ放し、今日始めてクラブに触るという状態 。   幸い好天に恵まれ楽しく気楽にプレーした。(スタート前、名物の富士山をバックにした写真参照)

 それがよかったのか前半南コース49、後半東アウトで46の計95と昨年なかなかできなかった「100切り」を初回で達成した。気持ち良く昨年末同様、メンバーの1人の家の最寄駅(すずかけ台)近くのインド料理店で楽しい 2 次会をして帰った。

★  3 月 8 日( 水 )[ 「第3回ビーズとトールペイントと油絵の作品展(日本橋)」・「東京銀杏会・3月度 二水会(新橋)」 ]

MBI(マッキンゼー研修OB会)のKさんから、今年も油絵展の案内が届いていた。毎年、東十条の喫茶店で行っているが、MBIメンバー3 人(2K+H氏)と女性3人の6人グループで、日ごろから油絵を勉強しているそうだ。

今年は「油絵組」とKさんの奥様の「ビーズフラワー」の12人(含むもう一人のKさんの奥様)」、Hさんの奥様の「トールペイント」と合計19人の3年に1度の合同の作品展が、日本橋の“ギャラーリー白百合”で7日〜11日に開かれるというので、鰍bICの岩本町事務所から 3 月度「 東京銀杏会虎の門昼食会(二水会) 」に出席する昼前に観にいった。

顔の広い3 ご夫妻の関係もあってか、大勢のギャラリーで混み合っていた。ビーズフラワーやトールペイントも素晴らしかったが、油絵はKさんの個性ある画風が皆に影響を与えてきているようにも見えた。先生の画風かもしれないが。(写真参照)

「二水会」の方は、いつもの新橋の「新橋亭(中華)」。今日のメインスピーカーはS45年法学部卒の元自治省・参議院議員・立教大教授の経歴をもつNPO法人「政策形成推進会議」代表のM氏。

テーマは「日本の雇用・労働問題と外国人受け入れ政策」。先月に引続き日本の雇用問題、かつ小生の専門分野でもあり興味をもって拝聴した。

日本の職務無制限雇用契約・年功賃金・終身雇用・企業別組合を柱とする日本型雇用システムを維持しつつ欧米の優れたところを可能な範囲で受け入れる。さらには外国人受け入れ政策についても、極めて常識的な話で終始した。

あまりにも大きな問題だけに質疑も核心をつくまでは行かなかったが、本当にどうすればよいのだろうか。今の段階では“成るようにしか成らない”?。

★ 3月 7 日 ( 火 )  [ 「 近藤康彦君を偲ぶ会 ( 自由が丘 )」 ]

  大学教養部のクラスメイトで三菱自動車でも同期の近藤康彦君が、昨年末(12/30)に亡くなった。

 小生とは「大学クラス会」・「名古屋39会(名古屋での大学同期会)」・ 「TOKYO39会(三菱自動車本社同期有志) 」等、会社リタイア後も関係が深く、ゴルフ・飲み会等で良く会っていた。

 今日は「TOKYO39会」のメンバーで、彼の“偲ぶ会”を年2回の “一献の会” と同じ 自由が丘の 「すしの 磯勢」で 開催することになった 。

11 時半にメンバー14人中11人が集まり、それぞれ想い出を語りよい追悼会となった。彼は「水島工場」に入り資材・購買畑で、小生とは直接関係は薄かったが、名古屋・岡崎工場時代および本社で一緒になった。

 小生と違いいつも控え目で沈着冷静。それで、肝心なときははっきり意見を言い、ゴルフも上手だった。今日聞くとテニスもよくしていたそうだ。

 一昨年自転車で怪我をしたとき、ガンが見つかり闘病生活を続けていた。それでも、昨年11月までは飲み会・ゴルフ・テニスには積極的に参加していた。ご冥福を祈りたい。(写真参照)

★ 3月 5 日 ( 日 )  [ 「和田薫幸会理事会( 恵比寿 )」 ]

 今日は11時半から郷里中津関連の奨学金団体「和田薫幸会」の平成2 8 年度理事会が、 恵比寿駅そばの高級和食料理店「春秋ユラリ」 で開催された。 (写真・入口にて)

 平成2 9 年度事業計画・予算等を審議したあと出席者 8 人で和やかに会食をした。

 一昨年 までは東急プラザ渋谷9Fの「甍(いらか)」だったが、ビルの建替え?で 昨年の 渋谷エクセルホテル25Fの日本料理「旬彩」 に続き、新会場となった。 これをもとに5月に定例会議(理事会・評議会)が行われる。

★ 3 月 3 日 ( 金 )  ・4日  [ 「 教養講座・受講(NKK文化センター・青山教室)」 ・ 家調「 東海道を 歩く会# 3 ( 東田子の浦〜富士 )」 ]

3日は午後、 第 11 回目の「東海道・中山道が伝える=江戸時代の旅・生活・文化=」(講師:元JR東海の志田威氏<東海道町民生活歴史館館主>)の教養講座を聴講に、青山一丁目のNHK文化センターへ鰍bIC本社での昼食後行った。 今回の 演題は「 幕末秘話(東海道と中山道) 」 。

開国・大政奉還・鳥羽伏見の戦い・江戸城無血開城等、江戸末期から明治維新の歴史を、東海道と中山道を通して再勉強した感じとなった。

先月と同様翌日、相模原 家事調停委員(含む OB) 有志の「 東海道 を歩く会」の 本年度 第 3 回 (柏原間宿〜吉原)があり約10Km歩くので、 またそれを理由に終って真っ直ぐ早目に帰宅した。

4日、 小生は6時ごろ家を出て、町田から小田急で 朝9 時30分 JR 東田子の浦駅へ行った。

男性10人、女性5人計15人が集まり、まず駅そばの六王子神社を見てから1時間に1本のバスに少し乗り、立園寺・毘沙門天妙法寺・元吉原宿跡・左富士神社・中吉原宿跡・岳南鉄道吉原本町駅・天神社等とひたすら歩き、吉原商店街の観光案内所?で“吉原”の説明を受けたあと、創業300年で今も旅館の「鯛屋本宿」に正午を大幅にオーバーし到着した。

ここで名物の桜えび入りの“つけ蕎麦”で昼食を摂り、西見附跡・八幡宮・富安橋・鶴芝の碑を見てから、タクシーに分乗して富士川で記念撮影し、3時半ごろ JR 富士駅に着いた。

天気はよく暖かい1日だったが、残念ながら期待の富士山は雲に隠れ見えなかった。

最後に前回に続き壮大な富士山をバックにした富士川での「記念撮影」という幹事構想は“空振り”となったが、富士山は帰りのタクシー・電車で少し顔を覗かせてくれた。

撮影者・早退者で合成写真にせざるをえなかったので、ついでに富士山も楕円で入れてみた。(写真参照)

出だしにバス・最後にタクシーを使ったが、皆朝早く家を出たうえ、歩数は2万歩を越え疲れた様子、反省会もなしで解散した。

次回(4/8)はいよいよ「蒲原宿」、 NHK 文化センター・青山教室の志田先生の本拠地「志田邸」(由比)で皆で講義を聴く手筈も整っている。

 

 

 
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