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★ 3月30日 ( 月 ) [ 「第33回ジュラシック会ゴルフ(牛久・金乃台CC)」・「#19H麻雀(牛久)」 ]
東大剣道部の戦後〜昭和39年のOB会「ゴジラ会」の年2回のゴルフ大会「ジュラシック・ゴルフ」がいつもの茨城県牛久の金乃台CCで開かれたので、4時起きで橋本発5時10分で行くと7時半のクラブバスに乗れた。
スタートまで2時間もあったので珍しくドライバー・パット・アプローチの練習をした。そのせいか午前中はまずまずでやっと復調かと思ったが、午後また元にもどりミスの連発、特に上がり3ホールで大叩きして5組17人中1 4 位と奮わなかった。(スタート前・写真参照)
もともと昭和33年卒業組がはじめたもので我々39年が最近参加を許された最若年次。皆さん元気が良く、今回優勝・準優勝もハンディもあるが最高年次者に独占された。“馬券”も1−1のゾロメ枠、流石に当たるもの皆無で掛金の徴収もなかった。
終わって19番ホールの麻雀、1人足りないとのことで、「帰り家まで車で送ってやる」という条件で強引に入れられた。それならと開き直って落着いてやることにしたら半荘4回で終了し、今年2度目の連続勝利となった。
9時半過ごろ牛久を出て、常磐・首都高・東名・16号と回って自宅に0時ごろ到着した。
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★ 3月2 9 日 ( 日 ) [ 「 北公園(寒緋桜 )」 ・「#1松が丘親睦会役員会議(塚場自治会館)」・「松が丘絆会(転居会員宅)」 ]
昨日と今日午前中は暖かい快晴。昨日午後夫婦で近くの北公園に早咲きの桜を観に行った。グランド横にある「寒緋桜」は満開(写真参照)。もう一つの「オカメ」はこれからというところだった。公園内にある北総合体育館にあるレストランに何年ぶりかで入り2人で軽食を摂って帰った。
今日は10時半から塚場自治会館で本年度第1回松が丘親睦会(塚場自治会第10班)役員会」が開かれたので女房と2人で出席した。従来の相談役に今年はDブロック長(役員)がまわって来たので、会費徴収等女房の役割が重要になってきたことによる。1年毎の3役が若返ったのはよいが、他のブロック長も最近入居者ばかりになったので相談役も大変である。早速、会費や花見や入居者掲示板(個人情報)の見直しが提案された。取敢えず花見だけは例年どおりとして、後は今後の検討課題とした。
また、役員会議を午前中にした要因でもあるが、今日2時から松が丘・絆会(老人会)が、近くに引越したメンバー宅でお披露目を兼ねて開かれた。小生もこのところ所用で欠席がちだったが久しぶり出席した。12名が出席、招待家(含むお孫さん)の手厚いおもてなしもあり大いに楽しい会となった。 |
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★ 3月2 7 日 ( 金 ) [ 「 さがみ秦野会ゴルフ ( 秦野・東京 CC )」 ]
年2回の三菱重工・相模原関係者の東京CCメンバーのゴルフ会「さがみ秦野会」が開かれた。会員は100人を超え、一時は10組ほどのコンペだったらしいが、今日は4組14人と少なかった。常連で都合の悪かった人も多かったようだが、高齢化で体調不良というのが第一の要因。それでも昔の名残で南⇒東アウト組と東イン⇒南組の2組に別れる変則コンペである。
天気は最高、名物の富士山も良く見えた。(写真参照)
ただし、小生の調子は依然として悪く、危うくBB幹事を免れることができたのだけがラッキーだった。
いつも往復とも相模原駅そばに住む前会長の車に同乗させて頂けるが、特に帰りは高速道路が混み電車の方が早い。しかし、小生はいつも乗るやいなや熟睡できるので、疲労回復には大いに役立つ。
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★ 3月2 5 日 ( 水 ) [ 「 家調・相模原支部ゴルフ ( 大厚木 CC ・桜コース )」 ]
今年から年3回となった家調・相模原支部ゴルフがいつもの大厚木CC・桜コースで開かれた。天気は快晴、調子も少し上向きなので張切ってスタートした。ところがまたしても前半でつまずき、昨秋3位になった同ハンディにも拘わらずあわやBMorBBの成績で17人中13位となった。
今年4戦目だが、甚だ不本意な成績の連続だ。女房から「練習したからよ」とからかわれた。まあ回数だけは充分ある次回また頑張ろう。(スタート前ミーティング:写真参照)
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★ 3月2 4 日 ( 火 ) [ 「 お彼岸・墓参り ( さがみの霊園 )」 ]
このお彼岸はあれこれ忙しく恒例の墓参りに行きそびれていた。今日は「明け」なので、天気も良いし夫婦で昼に橋本のショッピングモール・アリオに行き買物・食事をしてから行くことにした。
我家から車で2〜30分の、相模川の対岸にある「さがみ野霊園」の堺家相模原支墓に着くと、それまでの快晴が怪しくなってきたがなんとか雨は降らずに済んでくれた。さすがに霊園の殆どの墓に花がかざられており、参拝者も少なくやはり“最終日”といった感じだった。(写真参照)
それでも何とか毎年の恒例行事をすませスッキリし、帰って小生は今月8回目の水泳に行った。
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★ 3月22日 ( 日 ) [ 「元相模原市会議長今井満氏通夜(相模原市営斎場)」 ]
去る14日に亡くなった元相模原市会議長の今井満氏(享年79歳)の通夜が相模原市営斎場で18時から行われたので、ご近所のご夫妻の車に小生を含め3人乗せて貰って参列した。
氏は地元下九沢(塚場自治会)選出の市会議員で、1964年に最初の住人が入居した我が新興住宅地「松が丘親睦会(塚場自治会第10班)」にとっては大恩人である。
氏のおかげで水道・道路等のインフラ整備等もできた。御礼の印に「松が丘20周年記念」に御宅に贈った桜の木も大きく育ち、つい数年前までその下を借りての“花見”が年中行事だった。また、我々の昨年の忘年会にも特別参加してもらい祝辞を頂いたばかりでもある。
大勢の参列者で近くの学校の校庭の臨時駐車場も満杯となるほどの大通夜だった。勿論松が丘親睦会の古手の住人もそれぞれ車に分乗して参列していた。(写真参照)
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★ 3月21日 ( 土 ) [ 「鰍bIC懇親ゴルフ会(柏・藤ヶ谷CC)」 ・「読書(デッド・オア・アライブ= T.クランシー)」 ]
今日は CIC 関連の懇親ゴルフ会が柏市にある藤ヶ谷 CC で開かれた。天気も午後は快晴の最高のゴルフ日和。小生は今期3度目のゴルフ、難しいコースなので100を切るのは難しかったが、何とか出だしから5ホール目ぐらいから、先日の絶不調からの復活の兆しが見えてきた。これからの本格的ゴルフ・シーズンの到来に向けて希望が出て明るい気持ちで帰った。
話は変わるが、昨年末から読み始めたトム・クランシーの「デッド・オア・アライブ(生死を問わずに)」全4巻(写真参照)を読み終えた。
アルカイダのオサマ・ビンラディンの殺害から、このところのISIS等を彷彿とさせるような内容の“読みだしたら止められない”ような面白い小説だった。
帰りに、さて次は・・・と思って本屋によると、巨匠の遺作と銘打って、今度は「米露開戦」(全4巻)が新潮文庫から今年発行されて店頭に並べてあるではないか。「米中開戦」も面白かったので、とにかく1冊買ってみた。
本当は途中に何か毛色の変わったものを読みたいと思ったが、登場人物も良く覚えている内の方がいいだろうと、また当分同じ興奮のなかに浸ることにした。
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★ 3月20日 ( 金 ) [ 「 東京大学基金・ 安田講堂特別自由見学会(本郷)」・「続・家調・東海道を歩く会#2(川崎〜新子安)」 ]
東大基金から「安田講堂改修寄付プロジェクト」に賛同した人達に、昨年末改修工事が終了した安田講堂の“特別自由見学会”の案内が来ていた。
今日は天気予報もまずまずのようなので、先日歩き残した家事調停委員の「東海道を歩く会」の川崎〜新子安間を午後歩くついでに行って見ることにした。
11 時半から15時半までというので、最初に入れば丁度よいと思い早目に行くと15分前ぐらいに受付けてくれた。
寄付額によって違うが、欧米風に寄付者の名前を講堂の椅子の背や銘板に書いてくれていた。小生の名前も、高額寄付の企業・個人の金の銘板、椅子の背には到底及ばなかったが、入ってすぐの壁の白い銘板に50音順で出ていた。大学への寄付は数回行ったのでどれがどれか分からないが、まあ良い記念になると嬉しかった。(写真左参照)
終わって川崎に移動。駅そばの旧東海道の入口近くにある「天龍」という昔良く行った中華料理店で懐かしの“やきそば”を食べてから、ジャスト1時から東海道歩きを1人でスタートした。
先日幹事が作ってくれた案内書や地図を片手に「芭蕉の句碑」や「市場の一里塚」等を立て看板等を見ながら歩いたが、鶴見駅を過ぎて京浜国道に出たあたりから、よくわからなくなり兎に角「總持寺」には行き過ぎた道を迷いながら引き返し辿り着いた。(写真右参照)
鶴見の「總持寺」は我家の菩提寺「曹洞宗・安全禅寺」の総本山。丁度本殿が工事中だったが、その大きさには驚いた。御参りもしっかりしてまた生麦方面に向かったが、案内書にある生麦事件の跡地(碑)と生麦魚河岸通りは分からないまま終点の新子安駅に着き、17時すぎ橋本駅に帰着した。 |
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★ 3月19日 ( 木 ) [ 「3月度・3木会(新宿西口・土風炉)」 ]
今日は3 月度「3木会」(大学教養部の月例クラス会)。いつもの新宿駅西口近くの居酒屋「土風炉」に常連6人が集まった。 やはりこちらも昨夜と同じで17時半から、また30分ほど早く鰍bICを出て参加した。
どうせ小生もフルに働いているわけではないが、多少気がひける。しかし、高齢の“サンデー毎日”の連中との付き合い上、仕方がないと大目に見てもらおう。今月は6人と参加者は少なかったが、いつものように楽しく飲んで喋って帰った。(写真参照)
また、来月は「クラス会・総会」(水道橋・ホテルメトロポリタン・エドモンド)のため3木会は休みとなる。
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★ 3月18日 ( 水 ) [ 「MBI第23期同期会」(新宿東口・咲くら)」 ]
今日は17時半から新宿駅東口の真ん前のビルの6階にある、「咲くら」という居酒屋で「MBI(マッキンゼー研修)」の第23期同期会が開かれたので、鰍bICを少し早目に出て参加した。
年2回開催とのことだが、小生は昨年10月は他用と重なり欠席したので、5月以降となり時に会っている数人は別にして久しぶりだった。
丁度23年前の研修終了日に併せてわざわざ幹事が設定してくれたが、期末ということもあってか現役組は皆無で7人という過去最少?の出席者だった。それでも楽しく話しが弾みあっと言う間にお開きとなった感じだった。(写真参照)次回は10月のMBI全体の「ファミリーデイ」に併せて、東大構内で行う予定とのこと。是非「23年ぶりの第23期の会」(単なるゴロ合わせ)として大勢で集まりたいものだ。
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★ 3月 15 日 ( 日 ) [ 「家調・旧東海道を歩く会#2(大井町〜新子安)」・ 「 松が丘親睦会総会(塚場自治会館) 」 ]
2月に日本橋をスタートし大井町まで来た、横浜家庭裁判所相模原支部の家事調停委員(含OB)有志の「旧東海道を歩く会」が、今日9時に大井町に集まり新子安までの2日目にはいった。登録メンバーはその後4人増え26人となったらしいが、今朝は17人集まった。ところが小生は午後3時から自治会の総会があるので、最初から今日は午前中のみということで参加した。
ただし、午後合流という1人もいて延べ人員は変化なし。小生は後日1人で次回までに残りを歩くことにした。
天気は曇天だったがそう寒くもなく歩きやすかった。昔、鮫の頭を祀ったので鮫頭神社と言っていた「八幡神社」、そのそばの土佐藩邸の警護に当っていた「坂本竜馬の像」(写真左参照)、「鈴ヶ森刑場跡」、「大森貝塚」、「梅屋敷公園」、「六郷神社」、「川崎宿(六郷渡場・万年屋・田中本陣跡等)」を見ながらひたすら歩いたという感じで、小生は昼食時間の1時過ぎ川崎駅から橋本へ帰った。
2時半に橋本駅まで車で女房に迎えにきてもらい、夫婦で塚場自治会館の「松が丘親睦会(塚場自治会第10班)・26年度総会に直行した。というのは相談役に加え、今年度はD班のブロック長(役員)となったため。さらに塚場自治会の顧問で、我が10班の面倒を良く見て頂いた今井満・元相模原市会議長が昨日亡くなったとの訃報が入り、会議・親睦会もそこそこにお開きにし、役員でその対応を協議した。(総会風景写真右参照)
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★ 3月 14 日 ( 土 ) [ 「最後の剣聖・羽賀凖一」(同時代社)・ 「 橋本公園(河津桜満開) 」 ]
東大剣道部同期の近藤典彦君(元群馬大学教授・国際啄木会会長)がこの度、彼が心酔していた剣道の師について「最後の剣聖・羽賀凖一」という本を上梓した。我々同期生も力を併せその販売に協力しているが、3月10日の正式発刊日を前に1冊が小生(写真提供)にも贈呈されて来た。
450頁にも及ぶ装丁も素晴らしい本(写真左参照)、早速読み始め昨夜読み終えた。内容も素晴らしく、先生の日記その他数多くのデータをよくまとめ、かつ文章表現も卓越しているが、何よりも彼の先生を慕う心が本当に前面に出ている。
小生もよく存じ上げており、東大剣道部の師範ではなかったが同時代の中心部員が“羽賀道場”にも通っていたこともあり、直接・間接に自然に剣道の影響を強く受けた大先生である。
剣道界では“異端児”という人もいるが、中山博道先生直系の弟子で伊藤一刀流・新道無念流の流れを汲む伝説的強豪剣士、剣道=居合の精神のもと正に「最後の剣聖」といえる。
小生がまだ初心者の学生時代、当時剣道専門家の最高峰が集まる「妙義道場」の朝稽古や、肝胆あい照らす合気道の創始者植芝盛平先生の道場等にも勉強のため連れて行ってくれた。
独特の大技の面打ち体当たり、続く2の太刀・3の太刀・・の連続技は、当時の東大剣道部を風靡した。これで昭和37年全日本学生優勝大会(大阪)で東大はベスト8となり話題となった。(現在はなかなか出場権も得られないが)
巨人軍・荒川博コーチとの関連で王貞治を指導した話は有名である。
是非皆さんにもご購読いただきたい。
今日はその感想を含めた礼状を近藤君に出す方々、女房と橋本駅そばに買物に出かけた。毎年早咲きの河津桜がこの時期満開になる、現在相模原市緑区役所となりの「橋本公園」に寄ってみると写真右のとおり見事に満開だった。
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★ 3月 11 日 ( 水 ) [ 「北公園・梅満開」・ 「 ゴルフ練習(相模原SG) 」 ]
今日は暖かい快晴の休日。北の丘プールは昨日に続き今日も休館日とのこと。
昼に女房と北公園に梅を観に行くとまさに満開。多くの観梅者で賑わっていた。
特に老人の各種介護施設の車が沢山来ていて、車いすの集団が楽しんでいた。もちろん家族連れで来ている人、写真撮影に熱中している人、犬の散歩の人なども多い。ウィークディの昼下がりをのんびり過ごした。(写真参照)
帰って小学生下校時の“見守り隊”に参加した後、昨日のゴルフがあまりに酷かったので相模原スポーツガーデンに練習に行くことにした。
クラブがシーズンインで手元にないので、昔のものを持っていったが貸クラブもあるというのでドライバーは200円出して借りて打った。
いつものとおり1箱(50個)打って帰ろうとしたら、出口のところで上手な人がいて見ているとヒントを得たので、もう一度打席にもどり1箱また打って帰った。そう簡単に良くなるものではないが、明らかに打ち方を間違えていたのに気が付いたのは救いだ。
出ると玄関前の国旗掲揚ポールの旗が“半旗”になっている。東北大震災の記念日に対する気遣いに感心した。 |
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★ 3月 10 日 ( 火 ) [ 「 TOKYO39会ゴルフ(秦野・東京CC) 」 ]
天気予報どおり昨夜は雨だったが今日は朝から晴れ、今年2度目のゴルフ「TOKYO39会(三菱自動車本社同期有志)」が先週と同じ東京CC(秦野)であるので張切って朝早めに家を出た。ところが横浜線・町田で小田急に乗り換えるべきところを鴨居まで寝過す。秦野駅8時45分発のクラブバスに間に合わないかなと思ったが、幸い?にも小田急のダイヤが大混乱していたおかげでタイミング良く乗れて何とか間に合った。
しかし、プレーの方は前日と同じコースを回ったにも拘わらず、大いに乱れ昨年の最悪スコアを上回り参加6人中ダントツのBMとなってしまった。雨でビショビショのフェアウエイと途中俄か氷雨も降る寒さの所為にしておこう。
帰りはすんでのところでクラブバスに乗りそこなったが、重工相模原の先輩にバッタリ会い家まで車で送ってもらった。憑いているのかいないのか分からない1日となった。(スタート前の写真参照) |
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★ 3月 8 日 ( 日 ) [ 「 和田薫幸会理事会(渋谷)」・「次男家(孫娘)来訪 」 ]
今日は例年どおり11時半から郷里中津関連の奨学金団体「和田薫幸会」の平成26年度理事会が東急プラザ渋谷9Fの「甍(いらか)」で開催された。
平成27年度事業計画・予算等を審議したあと出席者9人で和やかに会食をして帰った。これをもとに5月に定例会議(理事会・評議会)が行われる。
3時過ぎ家に帰り着くと4時ごろ相模原に住む次男家が孫娘を連れて遊びに来てくれた。いろいろ幼稚園の話をしてくれたり、レール遊び、ピアノの練習等をして楽しい時間を過ごし、皆で夕飯を一緒にして7時ごろ帰って行った。
夜8時前に日曜夜恒例の長男家からの電話がありこちらも孫達と話をして、夫婦ともども何となく心満ち足りた1日となった。
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★ 3月 7 日 ( 土 ) [ 「 東京銀杏会トップフォーラム ( 東大本郷・小柴ホール )」 ]
2015年の東京・神奈川・千葉・埼玉各銀杏会共催による第20回トップフォーラムが13時半から東大本郷構内の小柴ホールで開かれたので、幹事集合時間の11時半に間に合うように行った。
今年のテーマは「これからの日本のエネルギーと原子力」。
田中伸男東大公共政策大学特任教授(前IEA事務局長)をコーディネーターとして、パネリストが橘川武郎一橋大学教授、藤田玲子日本原子力学会会長、山地憲治(公財)地球環境産業技術機構理事・研究所長、清水修二福島大学特任教授の4人のシンポジウムだった。予定した時間をオーバーして17時半まで熱心かつ内容の濃いディスカッションが行われた。(写真参照)
原発問題はとにかく某前首相たちのように単純に「反対」・「全廃」とい言えるものではないと思っているが、まさにそのとおりということが確信できた。
まず現在の日本が産業競争力を保つためには、コストの高い他のエネルギーへの変換は難しい。当面2030年頃までに原子力依存を15%程度までに下げ、その時点で技術面等で炉心デブリ処理・使用済み燃料・高レベル廃棄物処理の問題が解消されるかどうかで進退を決めるという田中氏の意見に妥当性がある。一方で原子力研究者を育てていくべきという藤田氏の意見も重要。また、周りの中国・韓国は原発方向、炭酸ガス濃度等の世界的情勢さらには放射能教育も遅れているなど考えなければならないことが多い。さらに福島の再生、復興も急がねばならないという難しい情勢が良くわかった。 |
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★ 3月6日 ( 金 ) [ 「重工39会ゴルフ(秦野・東京CC)」 ]
今日は「啓蟄」。小生もゴルフ冬眠から抜け出して、春の部の初日とした。
例年のことながら、ホームコース東京CC(秦野)での重工39会ゴルフ(三菱日本重工同期入社者を中心としたゴルフ会)の3月例会に参加した。
ところが昨日までと打って変わった寒い日となったが、4組13人で楽しくプレーした。そういえば昨年は雪に苦しめられたことを思い出した。(スタート前の写真参照)
小生は今年は絶対いつも100を切るという目標をもってスタートしたが、これが裏目。
前半はまずまずの出来だったが、後半肝心なところでミスを連発、自滅した感じで昨年と変わりない100超のスコアとなってしまった。
内容はそう悪くはなかったので、今後は結果として100を切れば良いという気持ちで淡々と回ることが重要だなと反省した。
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★ 3月4日 ( 水 ) [ 「3月度・Lの会(新橋)」 ]
潟梶[ドテックの月例 OB 会「 L の会」。2月度は小生は急用が出来て欠席したが、結局出席者少数で流会になったとの事。今日 3 月度がいつもの新橋駅そばの「坐和民」銀座土橋店で開かれたので CIC の帰りに出席した。
そのせいか何となく久しぶりに感じたが、常連5人が出席して楽しく飲んだ。(写真参照)また、小生を除く4人はテントも共有し山岳部を結成している。早速今年の山行きの相談を始めたようだ。小生が帰ったあと“残業?”をして、行く先と日程を決めるらしく、4月・5月の「 L の会」と春のゴルフ(東京 CC) の日程が早くも確定させられた。
小生は「山の話」には入らず一足さきに、退席して帰った。
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★ 3月1日 ( 日 ) [ 「江戸城天主を再建する会」(神田・学士会館)」 ]
認定NPO法人「江戸城天主を再建する会」の通常総会(第10回)が13時から神田・学士会館で開かれたので出席した。
そもそも10年程前、任意団体「江戸城再建を目指す会」が設立され、高校の先輩(現在:理事)から加入を勧められていたもの。2011年に抗しきれずに会員になっていたが、昨年「目指す会」から「再建する会」に名称変更。
専務理事に大学の同期生も加わり制度も改正(会費増額)され 、 俄然東京五輪を前にして実現の可能性も感じてきたし実現もさせた くなった 。
また鰍bICに“法人正会員”への加入を勧めるためにも、通常総会に初参加してみ ることにし た。
15名ほどの理事のうち2名も知っているし、出席者中にも知人がいるだろうと思って気楽に行くと、80人ほどの中に1人(途中退席)だけだった。
総会は予定オーバーの16時半ごろまで、緊迫した質疑応答も含め熱心に討議、そのあとブレ−ンストーミング的なワークショップを30分ほどして、懇親会があり20時過ぎお開きとなった。
皇居東御苑に徳川家光将軍の時築かれた「寛永度天主」(写真参照)を復元するという活動だが、今まで両理事から聞いてた楽観的話とは全く違い難題山積といったところ。帰りに指摘すると「それはそうだ。他人の家の中に建物を建てる話だから」と一笑に付された。それだけにこれからの広報・宣伝・署名及び宮内庁・皇族の賛同を含めた関係政・官・財界等との交渉が重要になってくる。5年以内に「夢」を「現実」に変えるには時間が大問題と感じた。 |
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