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               SAKAI だより <2月>

   

★ 2月29日(月)[「3月度 TOKYO 39会ゴルフ(東京 CC )=降雨のため14H目で中止=」]

 今日は小生の春の部第1回のゴルフ。ホームコースの東京CCでの「TOKYO39会(三菱自工本社同期有志)ゴルフ会」、2組6人が参加した。

 天気予報は「午後雷雨の可能性もあり」だったが、午前中はまずまずで暖かい良い天気だった。小生は昨年度最後の12/4から東京CCの貸ロッカーに道具は預けっ放し、今日始めてクラブに触るという状態なので、案の定スタートホールは9、次のショートも大チョロだったが、奇跡的に2オン、ロングパットも入りパーを拾った。これで調子に乗り終わるとハーフ46と上出来。

 昼休みに雨が降り出し午後は小雨の中、行けるところまでということになったが14H目で大降りとなり遠くで雷鳴も聞こえ中止となった。

 2002年以降79回の大会史上、“途中中止”は初めてのケースとのこと。皆で協議した結果、「全て無しにしよう」と決着、NP・LD含め賞金はなし、会費も1000円安くなった。ただ、風呂に入り軽く懇親会をして帰る時は快晴となっており少し悔しい思いをしたが、夕方なのでいつもと反対側を向いて集合記念写真(参照)を撮って解散した。

 

★  2月 27 日( 土 )[「 読書(船戸与一「満州国演義」)」 ]

 小笠原出張で、現在愛読中の船戸与一の「満州国演技シリーズ」(新潮文庫)の第⑤巻「灰塵の暦」を読み終えたので、次巻発行が待ち遠しく本屋で問い合わせると3月1日付発行の第⑥巻「大地の牙」の発売日が今日というので、早速手に入れた。(写真参照)戦火の舞台は上海・南京からノモンハンへと広がっていく。

 小説とはいえ、小生が満洲で生まれる数年前の知っているようで知らない状況が、日本(内地)の政情と対比されながら詳細に描かれているので興味深い。

 8月発行の第⑨巻が最終巻。これからの通勤時間あまり熱中し過ぎないように1ヶ月かけて読書する楽しみが増えた。

★  2月 25 日( 木 )[「 女房・叔父の“お別れ会”(九段下)」 ]

1月13日に85歳で亡くなり、近親者で「家族葬」を行った女房の叔父の会社主催の「お別れ会」が、今日九段下のホテルグランドパレスで11時半から13時まで行われたので、上野の CIC から出席した。

 1000人を越すと思われる大勢の方が参列し、バイオリン演奏の中厳粛に献花が行なわれた。

 そして傍らに故人を偲ぶ写真等が飾られたなか、豪勢なお別れパーティが催された。

 業界の方や県人会の方が中心でお互い和やかに話が弾んでいた。(写真参照)

 小生は参列の親戚も思ったより少なかったので、遺族としての務めを少しは果たすべく最初から最後まで見届け、 主催者に重ねてご挨拶をして会社に戻った。

 

★  2月 18 日( 木 ) 〜23日(火) [「 小笠原出張」 ]

今日から船中2泊を含む5泊6日の小笠原行きである。10時竹芝桟橋(浜松町)出航、9時に芳賀鰍bIC社長を含むNPO法人「生命科学教育奨励会」(小笠原諸島の生態系を守る活動)関係者5人が集合予定だが、乗り損なうと1週間船がないので早目・早目で家を出たら8時に“一番乗り”となった。

 無事乗船し、居住区(写真左上参照)を定めると「飲食する」か「本を読む」か「眠る」かのいずれかしか無い。東京湾を出るまではまわりの景色を楽しむことも出来たが、あとは何とも永い26時間だった。

 良く揺れ、かつ機関の音も大きく流石の小生でも熟睡など程遠かった。ただし、今までの乗り物酔いをしたことのない体質は年を取っても維持しており、昼・夜・朝とアルコール付の飲食は大いに楽しめた。

 2日目(19日)11時過ぎ、父島二見港に到着。ペンションにチェックインし、小笠原第1次調査団の活動を始めた。

 レンタカーで鰍bICと関係のあるJAXA小笠原ロケット追跡所への挨拶を含めた、父島の全般的概略島内視察を行い、素晴らしい風景を島内のあちこちで鑑賞、主目的の外来生物「グリーン・アノール」(写真右参照)とも対面したり、防空壕等の戦争中の残蹟等の見学等も行った。動物だけでなく植物による外来種の生態系の破壊も驚くばかりである。(写真左下、父島二見港) 

3 日目(20日)は、外来生物駆除を司る(財)「自然環境研究センター」の事務所で打合せののち、昨日に引続き島内視察をもう一度詳細に行った。天気が特に午前中芳しくなく、遠景の美観は楽しめなかったが美しい海岸や公園等に行つたり、やはり外来生物の野生の山羊の集団を遠目にすることができた。

 4日目(21日)は、片道2時間ほどかけ父島から50kmほど離れた母島の視察を1日かけて行った。父島ほど外来生物に侵食されてない部分もあるが、それだけに「世界遺産」の名にかけても予防処置も徹底的に行われている感じだった。

 小生は往復の船旅を「鯨」見物をしようと、殆どデッキ上で頑張ったため夜から風邪症状(特に夜間の咳・痰)に悩まされることになった。

 5日目(22日)は月曜日。帰り便出発が14時なので、朝から環境省・小笠原村・林野庁等官辺関係の挨拶回りをした。出航は名物の島をあげての見送り、桟橋の小学生も含む太鼓・踊りだけでなく、港外までの船艇での見送りは壮観だった。

 後は来るときと同様26時間の船旅、特に夜の咳・痰には参り、ついに特別室(荷物部屋)に隔離してもらい、翌6日目(23日)15時半に何とか竹芝桟橋に到着した。5時に橋本駅に着いて、内科医院経由で帰宅し翌朝には風邪症状は回復した。

 しかし寝れない間に楽しみに読み残していた船戸与一著の満洲国演義⑤「灰塵の暦」は完読できた。ただし、毎朝・昼・夜と続いた島のご馳走と美酒で出発前に比べ一挙に4 kg も太ったのは風邪と同様“想定外”。これから数日間の減量が大変だ。

★  2月 17 日( 水 )[ 2 月度 「 Lの会(新橋)」 ]

  今日は恒例の「 L の会」(潟梶[ドテック幹部例月 OB 会) 。つい先日、新年会をしたばかりのような気がするが、 1 か月経つのは早いものだ。 いつもの新橋駅そばの「坐和民」銀座土橋店に CIC の帰りに出席した。

 小生は明日からの小笠原行きの準備も帰宅後しなければいけないし、あまり飲まないようにして早目に帰ることを心に誓って、いつものとおり常連5 人で楽しく飲んだ。そして出来たばかりの新しいNPO法人の名刺を見せびらかして、山男4人組を羨ましがらせた。久し振り最近のフルメンバーで記念写真を撮り解散した。(写真参照)

 

★  2月 16 日( 火 )[ 「6 連休・水泳」・ 「 北公園・梅園その2(相模原)」 ]

 日程の都合で小生は11日から今日まで6連休となった。書類の整理も含めあれこれ行事や仕事をこなしたが、水泳にも毎日行った。連日でやると楽に泳げスピードも多少早くなったような気がする。しかし“追い抜かれ専門”は変わりない。

 連休最終日の今日は、天気も良く特にすることもないので女房と食事・買物に橋本に行くことにし、その途中11日に引続き北公園に再度梅を観にいった。今度は八重を除きほぼ全部の木が満開、枝垂れの梅も見事に咲いていた。(写真参照)

 「今年は暖かいので例年より満開が早く、かつ色も綺麗だ」と、一緒になった犬を連れた話好きのお爺さんが親切に教えてくれた。

★  2月 15 日( 月 )[「 平成27年度所得税確定申告」・「はなこ通信」 ]

 先週末12日(金)、例年どおり“e−Tax”での平成27年度所得税の「確定申告書」の作成に取掛った。2016年度の国税庁のHPから入るのだが相変わらずわかりにくい、昨年のデータも残っていたが4〜5回やりなおしてなんとか深夜に出来上がった。なかにはどうして出来たか分からない部分もあり、スッキリしないが、まあこれで完成すれば間違いないということになる。

 明日が受付開始日だが、事前預り受領OKというので、混雑を避けて相模原税務署に今日提出に行った。ほとんど待たされることもなくスムーズに受付けてもらえて良かった。

 また話は変わるが、女房側の甥の「俳句集」を、潟{ーダーコム発足時の印刷製本の業務として請け負ったことがある。「花薺(なずな)」という小冊子で2003年6月発行で、このブログにも書いてある。

 女房が俳句の好きな甥に、友人の俳句等の「ささやか通信」を送ったら、「はなこ通信」(花小金井在住のため)という名で自分も是非作ってみたいと言われたので、これまた先週末頑張ってその第1号を作成した。(写真参照:A4三つ折り・配置は実物と異なる)

 当面、家族・親戚・知人を中心に30部ほど注文されたが、定期的に永く続くことを期待したい。鰍aCの定款にある“出版事業”の再開なるか?。

★  2月 13 日( 土 )[「 松が丘親睦会・絆会(隣家)」 ]

 小生はいろんな会合と重なり、このところ欠席がちだったご近所自治会(松が丘親睦会)の老人会「絆会」に久し振り出席した。

 原則、奇数月は独居老人宅、偶数月は中華料理屋としていると聞いているが、小生の最近は8月と11月に出席しただけ。今月が隣家ということは何かでずれたのかもしれない。昨年は家調の「歩く会」と東京銀杏会の{BH会」が同じ第2土曜日というのも響いた。

 酒とつまみを持ちよりフルメンバーの13人(老人は他に多数いるが)が集まり楽しく飲んでしゃべった。

 聞くと先月酒類が貯まり過ぎたのが2ヶ月連続隣家の理由。今日も貯まっていたので当分中華料理屋は無さそうだ。(写真参照)

★  2月 11 日( 木 )[「 孫娘・幼稚園作品展」・「次男家と会食 」 ・「北公園・梅園」(相模原) ]

 相模原に住む次男家の孫娘(年長)の通う幼稚園の「作品展」があるので、夫婦で午前中観に行った。

 先に観終わった次男家と昼、相模原のイタリアンレストラン「マカロニ市場」で落ち合い、女房の誕生祝を兼ねて会食した。

 会食にはまだ参加できないが、生後4か月の弟もこの1か月でさらに成長し、我々を大いに楽しませてくれた。(写真右は孫娘の作品の一つ)

 天気も良いし、終わってから近くの相模原北公園の梅園に行って見ると、まだ満開の木は30%程度だが、大勢の見物客で賑わっていた。

 蝋梅はもう峠を過ぎ枝垂れ梅は花を付けはじめ、紅白の満開の梅は良い匂いとともに見頃といったところ。ここ数週間が最高だろう。(写真左参照)

 

★  2月 10 日( 水 )[「東京銀杏会・二水会(虎ノ門)」 ・「女房誕生日」 ]

先月初めて出席した東京銀杏会虎の門昼食会「二水会」に、また急に出席する気になって鰍bICの出勤日を12日(金)から今日に変更した。

というのは、「二水会」があることは知っていたが、案内メールが手違いで昨日着き、見ると今月のメインスピーカーが同じ三菱ふそうの後輩のT君で「やさしく読み解く“自動車”」という話をするという。

元々、「銀杏講演会」を1 週間間違え12日と思っていたが、月曜に気が付きそれなら夜久し振り六本木のMBIサロンに出席しようと手続きをとったばかり。それも急遽キャンセルして今日新橋の新橋亭に行くことにしたもの。

21人も出席しており、昔通産省で自動車を担当していた10年上大先輩もT君の話に興味を持つて初出席されていた。背番号が小生の193番に続き、194番となるのだろう。皆さん博識で老若を問わず、自動車に関するいろんな議論が飛び交って楽しいひと時となった。

 夜7時ごろ家に帰ると、今日は女房の満72歳の誕生日。孫たちはじめ友人や親戚からお祝いの手紙やメールや花が届いていてご機嫌だった。(写真参照)

 明日、孫娘の幼稚園の「作品展」のあと次男家共々お祝いの会食をすることになっている。

★ 2月7日(日)[ 第5回「松が丘親睦会役員(ブロック長会議) 」]

今年度最後のご近所自治会「松が丘親睦会(塚場自治会第10班)」の役員(ブロック長)会議が、3時から塚場自治会館で開かれたので相談役&D班ブロック長である小生は、昼に水泳に行ってから出席した。

来年度の新ブロック長も顔合せのため出席したので総勢17人の大会議。(写真参照)

3月の総会に向けての会合だったが、数人の独演会で会議の体にもならなかった。

従来の仲良しメンバーの老齢化に伴い、考え方や世代の異なる新参者等も増え、自治会運営の難しさも極まれりという感じだ。

小生も今期限りで相談役を辞退することにした。最後の仕事として向う3年ほどの役員の選任(原則入居順が崩れつつある)には力を貸すことにした。

 

★ 2月6日(土)[家調「鎌倉街道を歩く会#2下見(府中〜永山)」]

相模原家事調停委員(含む OB) 有志の「鎌倉街道を歩く会」の第2回(3/19:府中〜永山)も、第1回同様小生は都合があり参加できないので、今日のリーダー・スタッフの下見に参加させてもらった。

府中駅に男性5人・女性4人の9人が集まり、京王永山駅まで約10kmほど歩いた。前回最後に着いた「大國魂神社」と、その東に隣接する60年ほど前から発掘され始めた「武蔵国府跡」や近くの「 府中 高札 場 」を振り出しに歩きはじめ、今日のメインの新田義貞軍約20万人と北条泰家軍10万が戦い、新田軍が勝利し1週間後に鎌倉幕府が滅亡した「分倍(梅)河原古戦場跡」(記念碑:写真右参照)に着いて昼食を摂った。とにかくその戦(1333年頃)にまつわる名所・旧跡が多いコースである。

特に午前10時ごろ立ち寄った分倍河原駅近くにある曹洞宗「高安寺」では、丁度“初午稲荷祭り”の講にぶっつかり、今日のみ御開帳の「藤原秀郷像」の社に参拝し、つき立てのお餅・甘酒・やきとり・ししゃも等のご馳走を頂いたうえ、歴史通のおじさんから詳しい説明を聞けて大いに勉強になった。(写真左参照)

義経が平家滅亡後に鎌倉入りを許されなかった時、ここに立ち寄り弁慶が「大般若経」を書き写したときの硯の水を取った「弁慶の硯の井戸」でも有名。

平安時代に藤原秀郷が居館を見性寺としたのが始まり、分倍河原の戦乱以降の諸戦で見性寺は炎上。1340年頃足利尊氏が安国寺の一つとして臨済宗の寺・高安寺としたが、その後戦国時代軍事拠点となり荒廃。

江戸時代に入り1600年ごろ曹洞宗のお寺として再興されたとの事。家康の加護を受け領主的存在のお寺、歴代住職の墓があり前述のおじさんが付いてきて追加説明までしてくれた。

午後は関戸橋を渡り、北条側の有名武将の墓や 熊野神社の境内にある 「 霞が関南木戸 柵跡」(関所) 等 を見ながら3時ごろ永山駅で解散。例によって居酒屋で有志7人で反省会。橋本駅でさらに2人で2次会をして帰った。

★ 2 月2日 ( 火 )  [ 「 三菱重工・名古屋航空機製作所 ( 大江 ) 訪問 」 ]

先般、一般財団法人「日本コンピューターシステム販売店協会」の理事をしている知人に頼まれ、同会の総会時のセミナー講師を三菱重工(名古屋航空機製作所)のMRJ事業部にお願いしたら快く引き受けて頂けた。

今日その専務理事が詳細打合せに行くというので、お礼方々小生も急遽同行することにした。

2000年4月に名古屋を離れて16年ぶりの懐かしの大江工場訪問である。小生のいた所長室のある時計台付きの歴史的建物は現在名航の第一本館として使われている。訪問は第二本館?の方だったので、帰りにタクシーを止めて外から眺めて帰った。(写真参照)

帰り名古屋駅で専務理事と別れ、駅近くのビルで事務所を開いている小学校から高校(&予備校)までの同級生夫妻と久し振り旧交を温めてから帰宅した。

 
株式会社 ボーダコム SAKAI だより

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