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  Welcome to SAKAI  
               SAKAI だより <12月>

★ 12月 31 日( 木 ) 〜 1 月5日(火) 「長男一家帰省 ・大晦日・元旦・初詣(御嶽神社) 」・「女房側一族新年会(田無・木曽路)」・「 凧揚げ・堺家会食(相模原・関処) 」 ・「 CIC 初出(年頭朝礼・年始回り・明治神宮初詣・新年会・長男家と会食(銀座)」・「水泳始め」 ]              

                (2016年1月分参照)

 

★ 12月 29 日( 火 ) [ 「 次男家長男お食い初め(次男家)」 ]

  9月に生まれた次男 家の 長男 が早くも100日目を迎え、今日「お食い初め」式が次男家で行われた。 名古屋の嫁の親も参加、孫娘の開会・閉会の挨拶、 “赤飯”“お頭つき鯛”等、嫁の手作りのご馳走 と(写真右参照) 、撮影会つき儀式を目出度く行った。

 5 年前の 孫娘(長女)のときもそうだったが、 先日お宮参りをした「子安神社」(八王子)で頂いていた 小石を、 歯が丈夫になるようにと口に付け る儀式等もある 。いずれにしろ日に日に成長している様子に 安心する。正月用に我家が贈った破魔弓(写真左)も飾られていた。

 

★ 12月 28 日( 月 ) [ 「 鰍bIC納会」 ]

 今日は CIC の仕事納め、12時から会議室で恒例の「納会」が行われる。

 本社事務所員は先週土曜日に出て、1月1日付大人事異動に対応したレイアウトの変更を行ったとの事。小生の「特別顧問室」も新人が1人入って来て、6人部屋が初めて満杯となる。ただし、出勤日(時間)もそれぞれ違うので実質個室みたいなものだ。“牢名主”的な小生の存在も今までどおりである。

 良い機会なので机・ロッカー・書棚などの整理等あれこれしているうちにアッという間に12時になり、例年どおり皆で和やかに飲んで、福引等を楽しみ来年に向かって大いに気勢を上げて今年の締めくくりをした。(写真参照)

 

★ 12月 27 日( 日 ) [ 「 水泳納め」・「年末雑感(ゴルフ・読書)」 ]

 「北の丘プール」は明日が最終日。従って今日が小生の“水泳納め”となった。夏の痛風騒動が響いて後半頑張ったが年間140回で、昨年の145回の年間新記録に5回及ばなかった。しかし、1日700m(正味30分強)をノルマにしているので、延べ98km泳いだことになる。ただし昨年も書いたように、いつも片道25mの完泳往復各1コースの右端を往き平泳ぎ、帰りクロールでゆっくり泳ぎ、追越され専門である。

 ターンは禁止でもあるが、小生は必ず1度立って呼吸を整えることにしている。手足を水中で動かしているだけのわりには結構疲れる。終わって整理体操を兼ねて水中ウォーキングを22歩で25メートルを5回歩くことにしているが、これもちょっと気を抜くと難しい。これで車で家を出て帰るまで1時間強、兎に角できるだけ長く続けたいものだ。

 一方、ゴルフの方は真夏(7・8月)と真冬(12・1・2月)は原則止めているが、今年は39回予定のうち34回(雨で中止3回・不成立・不参加各1回)プレーした。平均スコアはこの数年と同様100超、しかし、ハンディのおかげもあるが優勝幹事を来春に2度もしなければいけなくなった。

 読書の方は、21日に書いた来年1月 1 日発刊の船戸与一著の「満洲国演義④「炎の廻廊」(新潮文庫)が、もう店頭に出ており手に入った。(写真参照)

 正月休みに読みたいところだが、孫達と過ごすのでそうも行きそうにない。年明けの通勤時の楽しみに残しておこう、しかし今年はいろいろ良い本に巡り合え、いわゆる読書の“当り年”だったような気がする。 

★ 12月25日(金)  [ 「都響・第九コンサート(上野・東京文化会館)」

年末恒例の  CIC  協賛の東京都交響楽団の第九コンサートが午後  7  時から上野の東京文化会館で開かれた。協賛は今年で1 5 回目で我が夫婦は第3回から連続1 3 回目の参加となる。社長以下役員は招待客を出迎えるだけで、会社を代表して聴けるのは我々だけというのも毎年 同じである。

あくまで営業ツールで、お客さん第一の精神で招待者は決まる。しかし、小生のような管理部門関係者については、会社と密接に関連した友人等に限り招待できる。ただし、「空席」にするのは一般入場者から苦情がくるので最近は“厳禁”。そのせいで今年は間際に戻ってきた招待券の再配分があり、数人の無関係の友人を喜ばせることが出来た。 ( 写真はお客を向かえる直前の鰍bICの営業関連幹部 )

 指揮・ エリアフ・インバル 、ソプラノ・ 安藤赴美子、 アルト・中島郁子、テノール・ 大槻孝志 、バリトン・ 甲斐栄次郎 、合唱・二期会合唱団。

今年は ソリスト は全員日本人だったが 、本当に力強い素晴らしい演奏だった。 帰り上野駅構内にある高級レストラン「ブラッセリー・レカン」に久しぶり入り、小生はワイン、女房は軽食・ケーキをクリスマス気分で味わい、 耳に残った余韻を楽しみながら、夫婦で満ち足りた気持ちになって帰宅した。今年もまた良い年の瀬が越せそうだ。 

★  12月21日(月)  [ 「12月度Lの会(新橋))」・「減量」・「年賀状」・「読書」 ]

 28日まで飲み会なしと思っていたが、今朝手帳を見ると「Lの会」(潟梶[ドテックの月例OB会)が、夜いつもの新橋「坐和民・銀座土橋店」であるのを忘れていた。

 とは言うものの、金〜日曜日の3日間で連日水泳に行くなど体重を月初水準に戻すことには成功した。あと当面の目標の70kgには約1kgだが、これがなかなか難しい。明日からまた再挑戦だ。

 また、この3日間で年賀状を完成、今朝ポストに投函した。今年は少し余裕があったこともあり、ほぼ全員に自筆の添え書きをすることも出来た。

さらに、現在愛読中の船戸与一著「満州国演義③・群狼の舞」(新潮文庫)を完読した。 1932年3月1日満洲国が建国された時の状況等は7年後に同地で生まれた小生にとっては非常に興味深い。小生より5才も若い著者が良く調べ、また手に取るように良く書けるものだと、この小説家に対する尊敬の念がますます深くなる。

すぐに ④を買おうとしたが、発行日が来年1月1日とのことでまだ書店に出ていない。来年8月に最終巻⑨が発行される。やはり、12月・4〜5月は間隔を明けるようだ。(③の写真参照)

 「Lの会」は17時半から、常連5人が集まりいつもどおり楽しく飲んだ。先月のゴルフも良い話題となった。

 

★ 12 月 17日(木)   [ 12 月度「3木会(新宿・土風炉)」 ]

 今日は、主幹事なのに先月は東京銀杏会20周年行事と重なり欠席した「3木会」(大学教養部の月例クラス会)がいつもの新宿の居酒屋「土風炉」で5時半から開かれるので、3時に鰍bICを出て東京女子医科大学病院(新宿・河田町)に入院中の友人を見舞ってから行くと丁度良い時間に着いた。

 今週は月曜日から今日まで4日続きの公私の飲み会があり、毎日朝少し遅くはしたが連続で北上野に出勤した。今週だけでなく12月4日の自治会の忘年会から途中13日(日)だけ除き毎日の飲み会だった。今日が終われば28日の納会まで当分ないので、休肝と減量に努めなければならない。

 「3木会」は10月も3人だったが、11月も少なかったとの事。その反動か7名と最近としては大人数となった。ただし、忘年会シーズンで部屋はいつもの部屋から少し狭い部屋に移された。(写真参照)トイレに行く途中にいつもの部屋を覗いてみたら、何と12人で宴会をしていた。

 夫婦別姓問題・お墓・喪中ハガキ・病気等の話から、来年4月のクラス会総会も老人バージョンで昼間開催の方向で検討しようということになった。

 

★ 12 月 15日(火)   [ 「「#32 FA 研究会・忘年会(学士会館)」 ]

 今日は6時からMBI(マッキンゼー研修OB会)のイベントの一つである「FA研究会」とその忘年会があるので、鰍bICの帰りに神田の学士会館に行った。米国の雑誌「 Foregn Affairs 」を読んで議論する会だが、今回はその11/12月号に載った「 Help Refugees Help Themselves( 難民を助け、自分たち自身を助ける)」= Let Displaced Syrians Join the Labor Market( 住まいを追われたシリア人たちを労働市場に参加させよう)=という論文が主題。

 著者は英国人。小生は、いつものことながら、リーダーが翻訳したものを説明してもらって初めて理解できる。しかし、難しい問題だけに皆も議論というよりも感想を述べあって終わった感じであった。ただ、このように英文に接し、物事を考え、かつ他人の色んな意見を聴けるのもこの会ならではのもの。(写真参照) 終わって、出席者10人といつもより少なかったが、中華料理で和気藹々と軽く忘年会をして帰った。

 

★ 12 月 14日(月)   [ 「第1回東駒 剣友会(新橋・坐和民)」 ]

 2011年7月まで合計23回して店廃業とともに終わりとなった、「クラブ・ジャパン剣道部の集い」という昭和37年〜39年卒で“東大道場で一度でも竹刀を振った事がある人間”の集まりを、是非またやりたいと「新橋:クラブ・ジャパン(その前は新宿:ノッサ・セニョリータ)」の元マスターのF先輩に頼まれ、小生が名簿類を整理し幹事(連絡役)を引き受けた。

 10月に故人4人を除く50人の、今度はこの間の東大剣道部卒業者と駒場寮剣道部室在寮者に限定して名簿を整備し、小生馴染みの新橋の「坐和民・銀座土橋店」で今日開催した。返信のない者も9人いたが、結果的に25人が集まりお互い卒業以来初めてという人達も多く大いに飲み盛り上がった。(最後の集合写真参照)

 名前も「東駒剣友会」として、今後毎年行うことで衆議一決した。終わってさらに有志6人で2次会(信濃町)までして、夜遅く帰宅した。

★  12 月 13日(日)   [ 「北の丘フェスタ(水泳・プール) 」 ] ・「女房ピアノ教室&次男家(孫娘)との X'mas パーティ(自宅)」 ]

  今日は13時半から毎年恒例の女房のピアノ教室の生徒(近所で頼まれた高校生を除く小4及び年長)の発表会に、去年から近くに住む次男家の孫娘(年長)も加わってクリスマスパーティをするようになった。

 父兄も参加し和やかなものだが、小生にはサンタクロースの役割が回ってくる。何年も使っているので洋服が擦り切れてきたため今年は新調した。

 その前にと思い午前中、北の丘プールに行くとロビーで「北の丘フェスタ」と銘打った“イベント”があるとのこと。丁度11時半に水泳から上がると「桜園エイサー倶楽部」一団が演技中。沖縄出身のお年寄りかと思っていたら、若々しい明るくて元気な集団なので30分ほど観て帰った。(写真右参照)

 聞くと、相模原にある桜美林大学のサークルで出身地も全国らしい。後、同大学の落語研究会の登場もあり、学園祭の延長のようだったが地域の人をこうやって楽しませてくれるのはよいことだ。(写真右参照)

帰って小生は書斎に閉じこもっていたが、ピアノ発表会が終わった15時前ごろ声がかかり、サンタクロース姿(写真左参照)でプレゼントをもって登場すると皆に大喜びされた。各家族ごとの写真撮影にも加わった。

★ 12 月 12日(土)   [ 「東京銀杏会・目黒懇話室( B ‣ H 会・自由が丘) 」 ]

 東京銀杏会(東大の東京地区同窓会)の「目黒懇話室」というのが正式らしいが、自由が丘のブルーヘブンというクラブを借切り、飲みかつ歌う会である。

 略して自称「 B ・ H 会」、毎月原則第2土曜日に開催される。第2土曜日は小生にとっては「絆会(地元自治会の老人会)」及び「家事調停委員仲間の東海道を歩く会」等と重なり出にくい日であった。今月は今年最後でもあるし、6月以降半年ぶりに出席した。

 17時半開始、21時までというのが正式の時間帯。17時と間違えて早目に行くと表で待たされ、ママさんと一緒に店に入った。最終的にカウンター・ボックス席が溢れる若手新人1人を含む12人が集まり、クリスマスソングを含め楽しく飲んで歌った(写真右参照)。小生は持ち歌2曲を歌い(写真左参照)2時間強いて早目に退出した。

★  12 月 11日(金)   [ 「家調有志・PVゴルフ中止(秦野・東京 CC) 」・「橋本組・忘年会(橋本)」 ]

今日の天気予報は1週間前位から“雨”だった。一昨日東京 CC で聞くと「午前中は何とか持つかも」というので好転することを期待していたが、昨日になると“朝から雨”との事。 CIC で夜、接待・飲み会もあるので、午前中に中止を決定。メールで最終的に2組6人のメンバーに早々と「中止」を通知した。これで今年のゴルフは一昨日で終了、来年3月まで“冬眠”となる。

 今朝、6時ごろ目が覚めるとドシャ降りの音。良かったと思ってまた寝て10時半に起きると快晴。しかし、表に出てみると“日雨”も降っているし強風、生暖かい変な天気、彼方の大山・秦野の方面はどんより雨雲が停滞していたので、ひとまず良い判断だったと安心した。

 しかし、ゴルフから帰ってから橋本4人組で行う「忘年会」は予定どおりで17時に橋本駅集合となった。女房の買物に付き合い今月2度目の水泳に行くと大忙し、ギリギリで間に合った。

 近くの居酒屋で楽しく飲んで(写真参照)、カラオケ屋で1人4曲ずつ歌って帰った。折しも忘年会シーズンで何処も満員、居酒屋1時間半 ・ カラオケ1時間の時間制限付きとなり、思ったより早目に帰れて良かった。

★ 12 月 9日(水)   [ 「 L の会ゴルフ(秦野・東京 CC) 」 ]

 今日は潟梶[ドテックの OB 会「 L の会」の懇親ゴルフ。4名だけのプライベイト・ゴルフだが、このところ春・秋2回の定期戦となっている。

 小生のホームコースの東京CC(秦野)で最高の天気、名物の富士山もバッチリ見えたが集合写真では頭の陰にかくれ写ってくれなかった。(写真参照)

 53・51の104と小生の最近の成績としてはまずまず。参考までに新ペリア方式で成績を出してもらったら(ハンディ上限等一切制限なし)、NETで73〜76とGROSとほぼ逆順位になった。こういうお遊びのゴルフもまた面白い。  明後日、もう一度このようなゴルフをして今年のゴルフは終了の予定である。

★  12 月 8 日 ( 火 )  [ 「TOKYO39会・一献の会 ( 自由が丘 )」 ]

今日は夕方5時から、いつもの自由が丘の寿司屋「磯勢」でTOKYO39会(三菱自動車本社同期有志)の“一献の会(忘年会)”がある。

北の丘プールが休館日で水泳もなし、午前中玄関先のクリスマス・ツリーの飾りつけ、カルチャーセンターに行く女房の送迎、床屋に行くなどしてから出席した。

この会は奇数月がゴルフ、6 月と12月に一献の会で集まっている。今日はメンバーの半分の7人と過去最少の出席者とのこと。(最後集合の写真参照)

今回は年末は忙しいからと半年前に幹事が日にちを決めたのにも拘わらず最多の欠席理由が「失念」。今後どうしたら良いかというところから、“物忘れの話”が中心となったが、いつものように賑やかに楽しく飲んだ。来年は1泊してゴルフをしたいなという意見が大勢を占めた。

★ 12月 6 日( 日 ) 〜7日(月) [ 「 孫娘幼稚園発表会・関処(相模原)」・「宮崎出張」 ]

6日は相模原に住む次男家の孫娘(年長)の幼稚園の「発表会」、朝 9 時に女房と車で行った。大きな幼稚園なので5日と6日の2組に分けて行う。

年少〜年長組までの6クラスがそれぞれ可愛いミュージカル・オペレッタ・ダンスなど 1 時間半ほど熱演した。親や兄妹・祖父母さんたちが大勢きていて、自分の関連する幼児には大声の声援を掛けたり楽しい会だった。小生も年長の孫娘の「ダンス」の出番では、孫娘に一点集中して楽しんだ。

終わって、名古屋からわざわざ観に来た嫁の親も含め、いつもの江戸前寿司「関処」で会食。良く話す孫娘を中心に楽しく団欒をした。

2時すぎ解散したので、小生はそのまま鰍bICの仕事で宮崎に行くため羽田空港に直行した。一応芳賀社長等と現地ホテル集合としていたので、結果的に18時にチェックイン出来た。

翌朝、迎えに来た宮崎営業所員と日南市の関係先を訪問した後、空港までの帰り道にある“青島”を観光して(写真参照)から羽田空港に夜帰り着いた。

★  1 2 月 5 日 ( 土 )  [ 「 松が丘親睦会忘年会 ( 相模原・とん平 )」 ]

今年も忘年会のトップを切って「松が丘親睦会(塚場自治会第10班)」の忘年会が、相模原・小山の割烹「とん平」で開かれた。

町内入口まで迎えに来てくれたマイクロバスに全55世帯中、21 世帯 22人が乗って行き6時に開始。ざっと数えると80 歳以上が5人、70歳台が10人、3人の2世組もほぼ60歳。12年前の新入居者の4人が若いが40歳以上の老人集団だ。

今年は親組織の塚場自治会の忘年会と重なったため来賓もなく、カラオケ設備もなかったので、もっぱら座席近くの人同志で雑談。最後に一言ずつ近況報告をして終了した。まあ、あまり儀式ばらずに良かったともいえるが、多少盛り上がりに乏しい忘年会でもあった。(写真参照)

★ 1 2 月 4 日 (金 )  [ 「 第132回東京銀杏会コンペ・3位T ( 相模CC )」 ]

今年は中央林間の相模CC(通称・旧相模)で4回東京銀杏会ゴルフが行われ、小生は6月は出たが9月・10月は都合が合わず欠席、今日は久し振りに出場した。今回で132回目だそうだが、小生は7回目、兎に角難しいコースで毎回苦戦している。ドタキャンが2〜3人いたが5組17人で回った。

天気は予報どおり快晴だったが強風の1日、カップも難しいところに切ってありパターも難しかったせいか皆スコアは悪く、優勝者もNET80だった。そして小生も108といつも並み成績だったが、NET84で3位タイとなった。順位は年齢順で厳密には4位だが、賞金も頂けた。(イン・10番のスタート時風景)

終わってこの名門クラブ名物の美味しい「スキヤキ」でのパーテイがあり、年齢差もあるが大学同窓という縁で飲み放題の酒と併せ大いに楽しかった。

80才以上の先輩が5人もおられ、それなりのスコアで回り、食欲・酒量も旺盛なのには驚かされる。まだまだ頑張らなければ・・・。

 

 
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