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               SAKAI だより <5月>

   

★ 5 月 30 日( 月 ) ・31日(火) [「 Aの会(鰍bIC地下 )」 ・「TOKYO39会ゴルフ・準優勝(東京CC)」・ 「鰍aC決算締め日 」 ]    

1月末新年会をした「Aの会」(鰍bIC有志OB会)は、幹事格のMさんの病気回復を待って、5月にしようということにしていたがまだ療養中。

会長格のAさんからの催促もあり、ギリギリ今日残り4人のメンバーで急遽30日会社の地下のレストラン「泉」で行うことにした。

ところが、その内1人も急用で、なおかついつも参加してくれる現役有志も役員懇親会等とかさなり都合がつかず3人だけの飲み会となった。

 

ただ、芳賀鰍bIC社長だけは出かける前に顔を出していただき久し振りの2人は大いに感激していた。話も盛り上がり時間も大幅オーバー、少し飲み過ぎて夜遅く帰宅した。

翌31日は4月に雨で流れた 「TOKYO39会(三菱自動車本社同期有志)ゴルフ」が東京CC(秦野) であり、少々きつかったが朝早く電車で行った。

天気も良くメンバーの奥さん1人も含め、8人2組でスタートした。(写真参照)

小生はまた出だし8・8・7、途中我慢して持ち直したが、最後頃もだめで午前中は57。午後のスタートも8で5回連続の「百獣(110)の王」必至の状態となった。それで思い切ってパットを打つと別人の様によく入り、最後3ホールすべてパーの46。計103となり上機嫌で上がると、ふんだんにあるハンディも作用して“準優勝”となり賞金まで頂いた。

日曜日の「鎌倉街道」で、勝運の神社(若宮八幡神社)があり賽銭を奮発(50円)して拝んだのが良かったのか、ゴルフとは面白いものだ。少し希望も見えて来た。

 また、31日は我社鰍aC(ボーダーコム)の第1 5 期の決算締め日。帰宅してバタンキューで寝たあと夜遅くまでかけ、パソコンに向かい「弥生会計」で顧問税理士に持っていくデータ作成に着手した。

 利益を出すと税金に持って行かれるし、赤字を出すと資本金が減る。原則毎日経理処理はしているが、計上漏れや間違い、処理の妥当性等のチェック等を細かに行う必要がある。この数日は女房の言う“会社ごっこ”の醍醐味を味わえる。

 

★ 5 月 29 日( 日 )[家調「鎌倉街道を歩く会# 4下見 ( 町田〜瀬谷 )」]

    相模原家事調停委員(含む OB) 有志の「鎌倉街道を歩く会」の第 4 回( 6 /1 8 : 町田 〜 瀬谷 )も、第1 ・2 回同様小生は都合があり参加できないので、今日のリーダー・スタッフの下見に参加させてもらった。

町田 駅に男性5人・女性 3 人の 8 人が集まり、 相鉄線瀬谷 駅まで約1 4 kmほど歩いた。 快晴なのは良かったが真夏に近い暑さで、距離は短かったが特に前半は今までで一番苦しかった。

町田天満宮から始まり金森杉山神社、熊野神社、五貫目道祖神、若宮八幡神社、妙光寺 ,善昌寺、日枝社、徳善寺と神社仏閣中心のコースだったが、瀬谷は明治時代養蚕業で栄えた町で、銀行まであったそうだが古い樹木や街道それに広大な屋敷をもつ豪邸が並んでおり、往時が偲ばれた。(写真は金森杉山神社の石塔群)

昼食は皆弁当をもっていたにも関わらず、国道16号と246号と交叉する昔からの交通の要所(目黒の交差点)にある、高級料亭「九つ井」で名物のそばをたべ、後本番での昼食候補地で再度持参の弁当を食べるということになった。そのせいか、恒例の反省会は瀬谷駅で軽くすませ帰宅した。

★  5 月 2 8 日( 土 )[ 「孫娘運動会(相模原)」・ 「 東自ふそう 会( 山海楼・新横浜店 )」 ]

今年の第23回「東自ふそう会」(三菱ふそう鰍フ課長以上のOB会)総会・懇親会は、昨年に引続き新横浜の中華料理店で12時〜14時半に行われた。

会員約280名中、110名が出席と昨年より両方ともやや微減していた。一昨年までの三菱平間健保会館の体育館に比べ狭いのは仕方ないが、料理も美味しく話もし易い。(写真参照)

現在の会社は“三菱ふそう”のブランドだけで、実質はドイツのダイムラーベンツという別会社。

三菱自動車・名古屋の「菱光会」と違って現役の出席及び“会社の現況報告”等は一切ないのは寂しかったが、こちらは今年は5 月17日の予定が 急遽中止になった。日産の傘下に入って今後、三菱自工本社関連の各種OB会も含めどうなるのだろうか、トラック・バスの方は一足先に“自立”体制にしておいて良かったのかもしれない。

また、今日は相模原に住む次男家の孫娘(新1年生)の小学校の運動会。

朝一番で夫婦で車で行き開会式と1年生のマスゲームだけ見て、「ふそう会」のため昼前後の玉入れ・徒競走およびお弁当は残念ながらパスしてしまった。

小学生になると、幼稚園の時と比べ1年生は小さくて、どこにいるか見つけるだけで一苦労だ。“最後まで頑張る”が今年のスローガンとのこと。

★  5 月 2 5 日( 水 )[ 「東京銀杏会総会(新橋・第一ホテル東京)」 ]

今日は東京銀杏会(東京大学の東京地区同窓会)の平成2 8 年度総会が第一ホテル東京(新橋)であり、役員(幹事)は1時間前の5時に集まれというので 鰍bIC  を早目に出て参加した。 

五神 東大総長はじめ大学及び各地区の同窓会連合会関係者を含め 100 名ほどが出席し ていた 。

総会(事業報告・会計・役員等)の後、 五神総長の「知のプロフェッショナルの育成と知の恊創世界拠点の形成」=東京大学ビジョン2020=という約30分の講演(写真参照)があり、 懇親会。恒例の アトラクション は新年会で好評だった、現役の東大応援部4 名のリーダーによる気合いの入った“演舞”が行われた。

 今春、6大学野球で勝点とはいかなかったが3勝を挙げた勢いを感じさせ、タイミングも非常によかったせいか大いに盛り上がり、最後に応援歌「ただ一つ」を全員で大合唱して20時30分にお開きになった。

 小生は、今日は昼も社用で飲んだので、いつもの 銀座7丁目のライオンで 行 われる役員有志の2次会には参加せずに帰宅した 。

 

★  5 月 24 日( 火 )[ 「相模原あじさい油絵会(相模原駅ビル)」 ]

今日は好天気で小生は休日でプールも休み。ゆっくり起きて11時ころカルチャー教室で歌を歌う女房を橋本のショッピングモール「アリオ」に送り、小生はそのまま“モーリング(ウォーキング)”&読書、昼食を楽しむことにした。

 ただ、先日女房と行き忘れた、ご近所の女房の友人の御主人(元三菱重工社員)」の絵画展「相模原あじさい油絵会・第12回合同展」が今日の3時半までというので、女房が終わるや否や相模原駅ビルにある「相模原市民ギャラリー」に行くという忙しいスケジュール。ところが行ってみると4時までとの事で、ゆっくり鑑賞できた。

 相模原市の主催するカルチャー教室のOB展、昨年の卒業生が第17期生、。数期合同の会もあるが、期毎に先生の名前から会名を付けたりして、卒業後も活発に活動しているようだ。彼は5期あたりのベテランF20号の大作「里山の冬」を出展していた。(写真参照)

 水彩のグループも同様に活動しており、そちらにも知り合いが多く、これまでも毎年のように観に行っている。

★  5 月 23 日( 月 )[ 「 和田薫幸 会 ・定時評議員会 ( 日本工業倶楽部 )」 ・「 5 月度・Lの会(新橋)」・ 「 読書 ( 内館牧子 〔 終わった人 〕 ) 」]

 今年も一般財団法人「和田薫幸会」(大分県中津市出身の実業家・和田豊治先生の基金による奨学金団体)の定時評議員会がいつもの日本工業倶楽部(丸の内)で11時から開かれたので、鰍bICを途中外出して出席した。

理事会は書面開催ですでに終了という前提で、今日は定時評議員会というのが正しいが、理事会も兼ねて例年どおり小生が議長役を果たした。終わって理事・評議員等で和やかに会食して終了した。

 とにかく約80年にわたり中津市出身の学生が恩恵に預かったわけで(学生以外にも各種学術団体等も)、この程度の恩返しは当然のこととして小生の前後4 人の奨学生が、和田一族や学者・専門家等に交じり理事・評議員・監事等の一翼を担っている。今回から、理事の欠員補充で小生の15年下の中津東大会の幹事の1人にも加わってもらった。

夕方は、 5 月度「Lの会」(潟梶[ドテック月例OB会)がいつもの新橋の「和民・銀座土橋店」あったので帰りに出席した。先月に続き常連5人のうち2人が都合が悪く3人となったが、2ヶ月続きの中止は止めようと皆同意見。部屋も小さい個室にしてくれたのでこれもまた良し、和気藹々と気持ち良く飲んでしゃべって帰った。

 又両方とも CIC から時間だ!と思い慌てて出たのに1時間以上も早く着いた。どうも特別顧問室の時計が1時間ほど狂っていたことによる。1度ならしも2度ともなると我ながらあきれるしかない。

 おかげで、先日京王線の社内で“連続○週間ベストセラー”という広告にひかれ購入した、内館牧子著「終わった人」(講談社 : 写真参照)を数日で読み終えることが出来た。

 というのは、彼女は昔、三菱重工横浜造船所勤労部にいて「社内報」担当。当時小生は係長か課長になりたて位で、担当者連絡会(近隣事業所)等で旧知の間柄。

 その後、彼女はどんどん有名になっており週刊誌等での文章は読んだことはあるが、急に読んでみたくなったもの。

 奇しくも東大法学部卒でメガバンクを定年になった主人公が、いろいろ紆余曲折し結局郷里岩手に単身Uターンするストリーだが、なかなか良くできていると感心した。だが、あまりに身近にありそうな話でもあり、何となく身につまされる感じもした。しかし、これならベストセラーになるのもうなずけた。

 明日からは、買い溜めてあるトムクランシー(マーク・クリーニー)の「米朝開戦」のジャック・ライアンの読書の世界に戻ろう。

 

★  5 月 22 日( 日 )[「 松が丘親睦会清掃日 」 ・「バラ3題(モッコウバラ・庭のGB・北公園バラ園)」 ]

 今日は快晴。朝8時半から恒例の相模原一斉清掃日に併せた自治会「松が丘親睦会」(塚場自治会第10班)の清掃日。

 草刈・ドブ掃除・カーブミラー整備を手分けして1時間強行い、お茶を飲んで役員から諸連絡を聞いて解散した。(写真右参照)

 何十年も続いていた塚場自治会の班対抗ソフトボール大会が、参加者が少なくなり昨年からついにグランドゴルフ大会に変わったが、今年から「松が丘」(第10班)も参加することになった。小生も選手としてエントリーしたが、まだ参加者が不足していると役員から説明があった。 6月11日(土)、応援者にも弁当が出るそうだ。新役員になってやっとまともになった感じ。 

 終わって草刈の余勢を駆って、連続して今春これまで道路沿いのフェンスに黄色い花を一杯咲かせてくれた我家のモッコウバラが枯れたので、その大剪定を昨年同様行った。さらに庭の草木の整備、先日紹介した2株のゴールデンボーダー(GB:バラ)はまだ満開。冬に壊れた水栓まわりの改修や玄関先のゴールドクレストの植木鉢の取替等懸案の園芸関係をホームセンターへの買出しを含め1日かけて一挙に解決した。

 その途中、先日行ったらバラ園が満開だった北公園に女房と一緒に行った。正に今が見頃といったところ。また、先日は全く咲いていなかった「菖蒲園」にも、数輪の花が咲き始めていた。(合成写真左参照)本当に“春爛漫”と言ったところ。

★  5 月 21 日(土)[家調「鎌倉街道を歩く会# 3 (永山 〜町田 )」]

相模原家事調停委員(含む OB) 有志の「鎌倉街道を歩く会」の第 3 回 (永山〜町田)があったので、朝9 時京王永山駅へ集合した。

小生は#1(東村山〜府中)・#2(府中〜永山)と、日程の関連で幹事下見に同行させてもらったので、本番参加は今年初めて。男性13人・女性5人計18人が集まり、町田駅まで約15km(実際は18km)を歩いた。

前2回と違い里山風の中に「古道」が沢山残っており、ここが東京かと驚くほどであった。(写真は古道と表示のある切通)

また今回は幹事の特別な計らいで、小野路宿にある「ピアノカフェ・ショパン」というところで新進気鋭の若手ピアニストによる生演奏が聞ける趣向が盛り込まれていた。

歩きはじめて1時間半後の10時半に到着、11時半までシューベルト・モーツアルト・ショパン等の名曲を聞きながら、少し早い昼食を摂り最後に演奏者を含め記念撮影をしてから、少々きつい“街道歩き”に突入した。

小野路宿に始まり七国山・小野神社・大山街道一里塚・宏善寺・菅原神社・野津田公園等だらだらの登道や階段の多い難コースを総計 3 万歩弱歩き、15時30分ごろ町田駅に辿り着いた。解散して、有志12人ほどで例により居酒屋で賑やかに反省会をして帰った。さらにいつもの橋本組の3次会も覚悟していたが、何故か成立しなかったので明るいうちに家に帰ることができた。

★ 5月 18日(水)・19日(木)   [ 「 剣友会 ( 西麻布・霞会館 ) 」・5月度「3木会(新宿)」 ]

18日、 昨年 11月以降半年ぶり に開いた 、東大剣道部同期の「剣友会」がいつもの西麻布の霞会館で開かれたので鰍bICの帰りに出席した。

全1 3 人中、 遠方の 静岡・和歌山・ 京都・ 神戸 の 4人 を除く 9 人が 集合。しかし 今回は 愛媛 在住のK君が 久し振り顔を出してくれたので、話が弾んだ 、

 一応全員近況報告等もして和やかに飲んだ。1人が所用で1時間ほどで退出したこともあるが、また話に夢中になり過ぎて集合写真を撮りそこなった。

 帰り気が付き出口で慌てて呼び戻したが、気の早い1人は捉まらず7人で撮影、2人は枠入りとした。(合成写真右参照)

 また、翌19日は「3木会」(大学教養部の月例クラス会)がいつもの新宿・西口の居酒屋「土風炉」で開かれたので、これまた鰍bICの帰りに参加した。

 出席者は5人と少々寂しかったが、これも学生時代の昔話に花が咲き予定時間を大幅に過ぎて名残惜しく解散した。

★ 5月 16日(月)・ 1 7 日 ( 火 )  [ 「 第36回 α会ゴルフ 中止 (富士ヘルスCC) ・6 月順延 」 ・「水泳」・「下校時見守り隊」 ]

 昨年 9 月小生が “優勝幹事” で実施予定だった年2回の「α会(三菱自動車エンジニアリング OB 会)ゴルフ」(富士ヘルスCC)は雨で流れ、再戦が5月17日と決まったが、これまた前日になって天気予報は最悪。

 折角、引継書類を整備し賞金袋やNPの旗を準備した後、再び“中止及び次回開催日の調整”に真夜中までかかった。結局6月中旬に3組並行移動することで決着出来た。

 ただ、また梅雨シーズン真っ只中「2度あることは3度ある」にならないように祈るだけである。

 なお、17日から30日までは「北の丘プール」は休館。16日までで何とか今月7回水泳に行けた。なおかつ16・17日と久し振りに松が丘絆会有志のボランティア活動「九沢小・下校時見守り隊」にも参加できた。(写真参照)

★  5月 13 日( 金 ) ・14日(土)   [ 「名古屋39会東京 OB 会ゴルフ (清川 CC ) )」・「水泳再開」・「絆会(隣家)」 ]

 13日は年2回(春・秋)の「名古屋39会(名古屋での東大 OB 会)の東京 OB 会」のゴルフが , 清川 CC (神奈川)で行なわれたので、昨年4月の久能 CC (富里)以来参加した。小生はこの会は時季が良いせいか他と重なりなかなか参加出来ない、今回も3つダブっていたが長津田から車に乗せてくれる仲間がいたので急遽こちらに変更したもの。

 天気は最高。だんだん参加者は少なくなり3組10人だったが、和気藹々とした楽しいゴルフだった。(スタートホール風景:写真参照)

 小生は前半はまずまずだったが、後半5 OB を打って万事休す。4回連続“百獣の王”となってしまった。しかしグロスで7位、新ペリア方式でのネットでは8位と目立たなくて良かった。100を切ったのは4人だけ、やはり老人集団になってきているのかなぁ。

 翌14日も快晴。9時眼科の1週間経過後の再診、受付前15分に行くとすでに入口に30人くらいの列。終わったのは11時過ぎ、半日がかりとなった。  

「随分良くなりましたね」と薬を一部軽くしてくれ2週間後の再診となった。 この際と思い「水泳の解禁」をお願いしたら、不承不承許可してくれた。  「ゴーグル着用、痒くなったらすぐ止めること」という停止条件付き、早速午後今月5回目の水泳に行った。

 夜は、隣家で今月度のご近所・松が丘親睦会の「絆会(老人会)」があったので自分の飲む赤ワインと果物(いちご)を持って参加した。

 ほぼフルメンバーの11人が参加、近所・自治会・健康・遺産等のいつもの身近な話から、社会問題・アメリカ大統領選まで幅広い話題で楽しく飲んだ。秋の旅行(お爺さんの遠足)も 9 月に伊豆方面と決まったようだ。

★  5月 11 日( 水 ) ・12日(木)   [ 「東京銀杏会・二水会(新橋) 」・ 「NPO法人理事会・総会・懇親会(鰍bIC)」 ]

11日と12日は、先月と同様 CIC に午前・午後それぞれ半日勤務として、小生独断の 2 日で 1 日勤務とした。

 11日は、新橋の中華料理店「新橋亭」で開かれる東京銀杏会虎の門昼食会(二水会)に出席。12日は北上野 CIC で行われる NPO 法人「小笠原在来生物保護協会(今回改称)」の第 2 回理事会と総会、引き続き行われる懇親会に出席した。

 というのは、当初「二水会」は欠席としていたが、メインスピーカーが同じ橋本の住人で幹事をしている M 氏(理学部化学科・ S 47年卒・元帝人)。

 よく役員会の帰り等一緒になり、共通の知人もいて親しいので急遽出席にしたもの。これで小生は5回(月)連続の出席となった。  19人が出席1時間半ほど会食(初参加者の自己紹介等)のあと、講演は1時間半ほど。

 講演内容はウィルスや遺伝子等、非常に難しい。小生は最初から理解を諦め、気楽に聞くことに徹した。しかし、皆は非常に熱心で質疑応答など活発だった。(講演風景:写真参照)

 小生はただ一つ、今年庭にある榊の木の葉っぱが黄色になるようになり、どうしてかなぁと思っていたらウィルスの所為と分かった。「切り取る以外ない」と知り、夕方明るいうちに帰りついたので早速全て切落した。

 12日は昨年11月末、 CIC が日本獣医科学大学から引継ぎ新しく発足した NPO 法人「生命科学教育奨励協会」(小笠原諸島の生態系を守る会)の第2回理事会・総会が CIC の会議室で午後5時から開かれたので、理事長として出席した。1人理事が委任状以外全員出席。2月に小笠原の現地調査も行い方向も定まったので、名称・定款の変更が主な議題。結果新名称は冒頭のとおりとなり、主な活動「小笠原外来生物防除研修」が年間 3 回実施されることになった。終わって CIC の関係者も含め懇親会を賑やかにして帰宅した。

★  5月 10 日( 火 )  [ 「読書(鈴木荘一著・太平洋戦争) 」・ 「孫・剣道大会優勝(豊田市)」 ]

 連休前に新潮文庫の新刊「米朝開戦」全4巻を買い込み、これから再度“ジャック・ライアン”の世界にと思った矢先に、前にも数回このブログでも紹介した東大剣道部7 年後輩の、今や“幕末〜近代歴史研究家”として活躍している鈴木荘一君から新著「(アメリカの罠に嵌まった)太平洋戦争」(自由社)が贈られて来た。(写真左参照)

 どちらを先にするか少し迷ったが、読後感も含め礼状も書かねばならないので連休中から読み始め今日完読した。

 最初に紹介したのは2004 年8 月、処女作ともいえる「勝ち組が消した開国の真実」。次が2012年5月、「アメリカのオレンジ計画と大正天皇」。その間に「日露戦争と日本人」というのがあり、今回の全4巻で「起・承・転・結」ということで「東京裁判史観」の超克を成し遂げたとご本人挨拶。

 2004年時点では、まだ興銀(関連会社)のサラリーマン作家だったが、現在は「幕末史を見直す会」代表。著書・論文も多く、テレビ等でも時々見かける。個人的には司馬遼太郎風の作家になることを期待していたが、歴史家の論文の傾向が強まって来たようだ。しかし、現在愛読中の船戸与一の「満洲国演義」と同時代なので、大いに内地の政権・軍部の情勢が分かり参考になった。

 話は変わるが、長男家から連絡があり、8日(日)に行われた豊田市の剣道大会(個人戦)で、小3の下の孫が「4年生以下の部」で優勝したとの事。(写真右)

 長男はトヨタ剣道部に所属しているが、孫達も「浄水剣友会」で稽古をしている。  上の孫(6年生)は団体戦の選手として、これまでも活躍しているが、下の孫が試合で勝った話はあまり聞いていなかったので驚いた。出場選手は52名、決勝は3年生同士だったそうだが、先に小手を取られたが面を取り返し延長戦。15分〜20分続いたが、相手が疲れたところで面を取って勝ったそうだ。

 小学生の時は勝敗はどうでも良いが、この精神・気力は今後の成長につながる。やはり連休中に苦手のクロールで25 m 完泳出来るように特訓したのが良かったと自画自賛した。上の孫も1回戦は二本勝ちだったそうだ。

 母親も剣友会の役員となり、長男家の剣道熱は盛り上がっている。丁度8日は「母の日」と「長男の誕生日」、両親に良い贈り物をしたようだ。

 

★  5月 8 日( 日 )  [ 「水泳Dr.ストップ」・「北公園ウォーキング 」 ]

 いつも水泳に行く「北の丘」センターのプールは、毎年設備保全のため 5 月後半半月ほど休館となる。今年も17日〜30日までと分かっていたが連休中4回も行けたので、昨年並みの8回は大丈夫だと思っていた。

 ところが連休明けの6日、鰍bICに行くと目が無性にかゆく違和感があり、かつ脇腹から背中にかけてこれもかゆい。

 目の方は小笠原で風邪を引いて以来何となく感じていたが、“花粉症”気味なのかな程度であまり気にもしていなかった。それともパソコンのし過ぎか本の読み過ぎで目が疲れているせいかと思い、帰り橋本の定期検診を受けている眼科の診療時間に間に合ったので寄って診てもらった。

 視力等問題なかったが、目を擦すったせいか角膜にキズがあるとのことで目薬を3つもくれ1週間後、再診してくれることになった。勿論“ばい菌”が入ったら大変ということで、水泳はこの間厳禁となった。

 夜になると脇腹のかゆみがひどくなったので、これも土曜日の朝一番で行き付けの皮膚科に行くと、どうも「飛び火」の類らしく、こちらも水泳厳禁を申し渡された。どうも連休中のプールでもらったようだ。 これで5月中の水泳は絶望。「体調管理」と先日書いたばかりなのに・・・。

 それではと昨日・今日と晴天の休日なので、1万歩目標のウォーキングに近くの「北公園」に行った。

 名物の「バラ園」が丁度咲き始め、昨日と今日でもその差が分かるほど。我家の庭のゴールデン・ボーダー(堺)もいつもどおり年4回の開花をしているが、北公園のも満開だった。(写真参照)

 

★  5月 6 日( 金 )  [ 「 風花の会写真展(六本木)」 ]

 東大剣道部同期のN君から今年も写真展の案内を貰って、彼が会場にいる日と小生の都合が合うのが、初日の今日しかない。鰍bICを昼食後2時間ほど抜けて会場の六本木(東京ミッドタウン)に観に行った。

 「風花の会第20年展“花舞台”」と銘打って、大阪・名古屋でも展示する全国的な写真展である。小生は彼が2年上のI先輩の属するこの会に加入した第16年展から5回目である。「富士フィルムフォトサロン東京」に60人程の会員(全国で約130人中)が1人1点ずつ出展している。

 丁度やはり同期のY君も来ており、彼の作品「白馬連峰・朝彩」の前で記念撮影をした。

 I先輩の作品「残照」は4点の代表作?に選ばれウェッブで紹介されていたが、いずれも秀作ぞろいだった。小生のデジカメで撮る写真などとは“雲泥の差”だ。富士フィルムのカメラなんだがな・・・・・。

★  5月5日(木)  [ 「次男家長男・初節句」・「母の日児童画展」(相模原) ]

 11時半に次男家に着くと、昨年9月に生まれた下の孫(長男)の初節句一色。「鎧・兜」・「鯉のぼり」はともかく本人着用の兜・陣羽織・烏帽子・金太郎前掛けまで揃えてあり驚く。(合成写真右参照)

 昨日から来ていた嫁の親ともども記念撮影と嫁の手製のご馳走で楽しく初節句を祝った。

 新1年生のお姉ちゃんも司会その他で大活躍、入学式のビデオも見せてもらった。帰り近くのスーパーの「母の日児童画展」に去年に引続き、作品が展示されているというので、帰り夫婦で観て帰った。

 爺婆のひいき目もあるが「お母さんと家族」という命題どおり、一番の出来だと2人の意見は一致した。 ( 写真左参照)

 

★  5月1日 ( 日 ) 〜5日(木)  [ 「5月連休(長男家帰省・科学技術館・次男家と合同<水泳・5月人形撮影会・会食>・水泳&買物」 ]

 1日、5月連休で長男一家が豊田市から帰省してきた。今年は2日が平日のため、東名上りは行楽帰りの大渋滞さらに事故等で大変だったとの事。箱根に旅行に行っていた相模原在住の次男家も同様だっただろう。

 兎に角夕方から、腕白孫2人を含めた賑やかな生活が始まった。下の孫(3年生)から早速“将棋”の挑戦を受け、それこそ5〜60年ぶりに将棋を指した。相手のミスで何とか面目は保てたが、いずれそのうち負けるようになるだろう。今回も今日と最終日は我家、明日と明後日は京王プラザホテル多摩泊まりの4泊5日である。 

 2日は上の孫(6年生)が正月休みに行って良かったということで、再度北の丸公園の日本武道館の隣りにある「科学技術館」に行き1日遊ぶ計画。 女房は家に残り、小生のみが長男家に付き合い、ホテルに車を置いて多摩センタから京王線で九段下に行った。

小生は 今回は流石にフルタイム付添は止め、 公園のベンチ等で“読書”に専念 しながら 一日のんびり過ごすことにした。 ただ、 昼食(バイキング)だけ館内のレストランで一緒に した。結果、 天気もまずまずで長男家も小生も5時の閉館時まで満足の1日を過ごした。(孫と写真左参照)

 夕食は「中華料理」が希望というので、腹減らし方々公園内散策に引き続いて徒歩で、いつも東京銀杏会後の2次会で行く、神田の学士会館そばの四川料理店へ行った。多少、大人向きだったが、個室も取れ好評だった。帰りは神保町駅から共に京王線一本で好都合だった。

 3日は、下の孫の「水泳の特訓」。午前中にホテルから我家へ来て、次男家も合流し北の丘プールへ。思ったより空いていて泳ぎやすかった。

 次男家の孫娘は女房の「ピアノ教室」のため一足早く帰り我家へ。我々は2時間半ほどかけて下の孫をクロールで25m完泳できるように訓練して、橋本 Ario で買物&軽食をしてから我家に帰宅した。

 全員揃って、堺家恒例の「5月人形3代飾り」の撮影会をした。孫全員・長男家・次男家毎及び我が夫婦も入れた全員撮影等賑やかに行った。(長男家との全員撮影: : 写真右参照)

 終わって、夕方いつもの相模原・星ヶ丘の江戸前寿司「関処」で堺家一家総勢10人で楽しく会食。多摩センターのホテルに帰る長男家の車で我々は送ってもらい帰宅した。

 4日は天気予報は雨。ホテルから朝食後我家へ来て、下の孫が水泳(クロール)が上達したので、再度北の丘プールへ行き2時間ほど皆で楽しんだ。

 上の孫は昨日と同様完泳コースで、小生を300m上回る1kmを軽く泳ぎ、かつウオータースライダーを堪能してご満悦の様子だった。

 終わって皆で橋本 MEWE に恒例の買物に行き、夜はいつもの相模原のイタリアンレストラン「マカロニ市場」で会食し長男家との最後の楽しい1日を我家で過ごした。

 5日は午前中長男家は豊田の自宅に向け出発。我家は次男家の長男の「初節句」に招待されていたので、相模原のマンションに向かった。

 
株式会社 ボーダコム SAKAI だより

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