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『松ヶ丘SAKAIだより』(2013年2月分) 

2月3日(日) [ 「義妹・第九合唱(五反田文化センター)」 ]

今日は午後、義妹が五反田文化センター(音楽ホール)での、都立富士高校同級生の「還暦祝い・お楽しみ会」という音楽コンサートで、第九の「歓喜の歌」を歌うというので“応援団”として聴きに行くことにしていた。  

最初は夫婦で行き、夜渋谷か新宿で女房の一足早い誕生祝でもと思っていたが「風邪気味」というので小生 1 人となった。それで午前中に 2 日連続の水泳に行き、この MSD ・ 1 月号をホームページにアップしてから、即席?合唱団「コールフロイデ」が出るという16時半を目指して家を出た。  少し早めに着くと、ビートルズの「バンド演奏」の最中だったが、ピアノ・ヴォーカル(クラシック・ジャズ)・ヴァイオリン・ギター(ハーモニカ)などの個々の演奏が13時半から行われていた。

メインの「合唱」はルーマニアで活躍しているプロの指揮者だったが、ソロも含めて素人集団の合唱としては“素晴らしい”演奏だった。

普通の進学高校と思うが流石に東京の名門高校の“情操教育”はすごいものだと感心した。義弟とその次男家族は来ていたが、思ったより聴衆は少なく、それだけにアット・ホームな和気藹々とした雰囲気があり微笑ましい「高級同窓会」を垣間見せてもらった感じだった。(写真参照)

2月5日(火)〜8日(金) [ 「インフルエンザ A 型」騒動 ]

 小生は5日(火)前夜から少しノドが痛い感じがしたが、午後水泳に行って夕方まで普通の生活をしていた。ところが夜中になると38℃の熱が出た。6日起きると平熱だったが丁度近くに新しいクリニックができたので様子見がてらインフルエンザの検査をしてもらいに雪道を歩いて行ったが結果は「陰性」。7日・8日の出勤は大丈夫と思って寝たら、夜中また発熱、朝熱を測ると38.1℃もある。

 7日の出勤は諦め、いつもの鈴木内科・循環器科で検査してもらうと明確に「 A 型」と診断された。平熱になって中2日経たなければ会社などに出てはいけないらしい。あちこちに電話をして当面の予定を取り消した。       

 女房経由で移されたようだ。女房は土・日・月と調子が悪かったので「もう済んだ」と平然としていたが、 7 日夕方から発熱したので 8 日病院に連れて行くとやはり「 A 型」と判定された。潜伏期間が小生より長かったのかもしれない。 まあ、9日からの3連休は夫婦でのんびりすることにしよう。

2月9日(土)〜11日(月) [ 「読書」・「妻・誕生日」 ]

小生は8日寝る前また少し咳・痰・熱が出たが、夜 3 時過ぎからぐっすり眠れ目が覚めると正午だった。また体温も完全に平熱に戻っていた。「 A 型」と分かれば“吸引式”の専用の薬で簡単によくなるものだ。ただし、 5 日分を必ず吸い終えねばならない。部屋の片付け程度で運動もしてないので夜寝ようとすると、今度は目がパッチリ。かくなる上はと本棚を探すと、“ミスター円”こと榊原英資氏の「幼児化する日本社会」(東洋経済)が少し読んだだけで置いてあった。0時すぎからベッドに持ちこみ読んでいるうちに熟睡した。

江田五月君等を介し顔見知りの同年代でもあるので、いじめの問題・教育の問題・マスメディアの問題等は全く同感である。「 2 分割思考は知的退行」と小生の普段の言い分をそのまま書いてくれている。翌日すべて完読したが2007年にこれだけのことを明確に書いてくれても、 5 年以上たっても何も改善されていないということは『どうしょうもない』ということかもしれない。

話しは変わるが10日(日)は女房の60代最後の誕生日。孫たちからのカードや、花が贈られてきた(写真参照)が、お祝いは風邪で先延ばしせざえるを得ない。

また、東北大震災で1回中止となって2010年6月以来の女房の絵画教室の展覧会が3月に行われることになったとのことで、また今回もその案内状作りを頼まれていた。

10日夜から11日にかけ第1次素案を完成した。今回はあちこちで同様の案内のハガキを集めておいたので、大いに参考にし、以前のものを改善することができた。

2月12日(火) [ 「東大剣道部同期会(六本木・霞会館) ]

今日は1週間ぶり北上野へ出勤した。インフルエンザは3日以上平熱で薬もすべて飲み干し完治しているが、時々咳やクシャミが出る。気をつかって抑えようとすると余計出そうになるので、3人の個室だが我慢するのに苦労した。

 

6時から六本木の「霞会館」(旧通産省の倶楽部?)で、東大剣道部昭和39年卒(35年入学)の同期会「剣友会」が一昨年の7月以来1年半ぶりに開かれたので出席した。

前回と同じく遠隔地3名を含む4名欠席の出席者9名で楽しく飲んだ。皆一応は元気でそれなりに楽しく生活しているようだ。これから毎年やろうということになった。(写真参照)

2月14日(木) [ 「東京都害虫防除協同組合総会・研修・懇親会(八重洲)」・「バレンタインディ」 ]

午後東京駅八重洲北口にある喫茶ルノアールの会議室で、小生にとっては最後の業界(害虫防除)団体役員の仕事となる「東京都害虫防協同組合」の第45期総会と研修会・懇親会があるので昼前に CIC を退出して出席した。

 加盟19社中出席は8社(4社委任状)の小規模な総会。シャンシャンで終わり、防護服・暗視カメラの説明や経営コンサルタントの研修会が50人ほどで4時間ほどあり、懇親会は近くのホテルに場所を変えて6時から行われた。 公益財団法人の「東京都 PCO (害虫防除)協会」(加盟120社)との関連もありその必要性自体が今後問われるだろう。(写真は研修会風景)

 帰ると次男家からも日にち指定の「バレンタイン・チョコ」が届いており、先の女房の誕生日と併せて送ってくれた長男家分も含めつい手が出てしまう。大半は女房の口に入るのだが、肥満防止に気をつけねばならない。

2月15日(金) [ 「確定申告(相模原税務署)」・「金曜の絵展ハガキ」 ]

 今日は CIC は午後出勤なので、朝相模原税務署に平成24年度の「確定申告」を提出してからバスで出勤した。というのは午後は雪が降るかも知れないという予報で、町田の絵画教室に行く女房の日程の関連で車での送りを断られたため。

そういえば、先の連休で作成した「第11回・金曜の絵展」の案内ハガキの“案”(写真参照)を、紙質等も含め今日先生や仲間に承認してもらうとのこと。良ければ300枚ほど印刷をしなければならない。夕方 OK の知らせが入ったので、帰りに秋葉原の「ヨドバシカメラ」で用紙を仕入れて帰宅した。

2月17日(日) [ 「北公園・梅」・「水泳」・「松ヶ丘親睦会役員会(塚場自治会館)」 ]

昨日・今日と天気の良い休日。夫婦ともにインフルエンザからも完治し、ようやく通常の生活に戻った感じだ。昨日は買物帰りに夫婦で北公園の梅を2週間ぶりに見に行くと数本の木が花を付けていた。(写真は先日最初の一輪を見つけた「紅冬至」という梅の木)小生も10日ぶりに水泳を開始した。

今日は3時から第6回の松ヶ丘親睦会(自治会)のブロック長(役員)会議がいつもの近くの塚場自治会館であるので相談役として出席した。前回は“相撲”で欠席したが、早くもこれで現3役の1年任期は終わり、3月10日の総会で新3役・ブロック長体制となるので、その新旧が顔合わせした。終って夕方2日連続の水泳に行った。

2月20日(水) [ 「東京都 PCO 協会・総会(アルカディア市ヶ谷)」・2月度「 L の会(坐和民・銀座土橋店)」 ]

午後2時半から第3回公益社団法人「東京都 PCO (ペストコントロール:害虫防除)協会」の総会が、アルカイダ市ヶ谷(私学会館)であるので出席した。

小生は役員を今期から外れたが現理事の CIC の常務(社長長男)が欠席なので、様子のわかる小生と総務部長(都害虫協・新監事)が会社を代表して参加した。加盟120社中23社(委任状68社)約40名が出席していた。

また、6時から2月度「 L の会」(潟梶[ドテックの月例 OB 会)がいつもの「坐和民」銀座土橋店(新橋)であるので、小生は少し早かったが会社に戻らず途中所用で時間をつぶしてから出席した。いつもの6人が集まり楽しく飲んだ。今年は山岳部?は、日本の第2の高峰・北岳を狙うらしい。関係のない小生は「南岳はないのか」とオチョクルのが精一杯の抵抗だ。(写真参照)

2月21日(木) [ 2月度「3木会(坐和民・神楽坂店)」 ]

今週もあれこれあり、半日勤務も駆使しながら CIC に4日勤務となった。夜はまた2月度の「3木会」(大学教養部の月例クラス会)が「坐和民」の神楽坂店(飯田橋)であったので出席した。2日連続で同じような食べ物で飲むのも大変だが、常連7人が集まり楽しく飲んで1人3千円程度と安いのは魅力だ。

ただし、付近の部屋に若い男女の集団がいて耳を劈くような大声で笑いかつ奇声を発するのには参った。まあ「天は二物を与えず」と諦めて我々の話の中に陶酔するしかないが、本当に何とかならないものかと「酒は静かに飲むべかりけり」といわれ育った年寄りは腹が立つ。

2月23日(土) [ 「孫娘・保育園学芸会」 ]

2月26日(火) [ 第15回「憂楽会(日比谷公園・松本楼)」 ]

3 ヶ月に 1 度の大学同期生有志による「憂楽会」がいつもの日比谷公園内の松本楼で開かれたので、 CIC の帰りに出席した。固定メンバー15人のうち 2 人欠席だけで13名が出席した。最近恒例のゲストは 3 人目の且O菱総合研究所の代表取締役社長の大森京太氏だった。

「“プラチナ社会”と老後の住まい日本版“ CCRC ”構想」という話を食事をしながら2〜30分聞いて、いろいろと議論した。なにせ70歳を越えていても大部分が元気に働いているメンバーなので、65歳の講師も若くは見えず話づらかったかもしれない。

補正予算を 1 票差でねじれ国会の参議院で成立させたばかりで駆けつけた与野党の野田毅・江田五月両代議士の話につい傾き、さすがに時々気がついた者が話を本題に戻すといった雰囲気だった。 5 月には前回の野田一夫講師の関連で淡路島に行こうという話にもなった。(写真は江田五月活動日誌から)

帰り新宿から最近出来たばかりの京王線の橋本行き特急に乗れて良かったと思ったのもつかの間、蘆花公園駅近くで人身事故ということで途中笹塚駅で長時間ストップ。 1 時間15分も延着して橋本に着いた。 iPhone の麻雀まで電車が動き出すまで全く憑かず、ムキになってしまった。

 

 

 

 

 





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