|
1939年7月 |
|
旧満州国新京特別市(現中国:吉林省長春市)に生まれる |
1946年10月 |
終戦により、大分県中津市(両親の出身地)に引揚げ |
1958年3月 |
大分県立中津南高等学校卒業 |
1964年3月 |
東京大学法学部第二類(公法コース)卒業 |
1964年4月 |
三菱日本重工鞄社、東京製作所勤労部に配属される |
1964年6月 |
新三菱重工梶A三菱造船鰍ニ3社合併で三菱重工鰍ニ社名変更 |
1971年4月 |
三菱重工鞄結梵サ作所の大半が相模原市に移転、残留部隊は三菱自工鰍ヨ転籍 |
|
トラック事業部東京自動車製作所総務部人事課(丸子工場労務管理担当)となる |
1972年12月 |
三菱自工鞄結梹ゥ動車製作所(川崎工場),総務部勤労課に転勤 |
1977年9月 |
日本自動車エンジニアリング[現三菱自動車エンジニアリング]株ュ足に伴い |
|
本社総務部勤労課長として出向 |
1980年1月 |
三菱自工鞄結梹ゥ動車製作所総務部に復職。5月に勤労課長となる |
1991年9月 |
同・総務部次長(部長格)から三菱自工竃{社人事部長付として転任、米国行きに備える |
1992年4月 |
米国ダイヤモンド・スター・モータース[現米国三菱自動車製造(MMMA)](株)へ |
|
執行副社長(EVP)として出向(三菱自動車・参与)
|
1996年10月 |
三菱自工竃シ古屋自動車製作所(兼名古屋バス製作所)副所長として復職 |
1998年4月 |
三菱自動車直系関連会社の兜H名エステック副社長として移籍,6月取締役社長就任 |
2000年4月 |
田町地区エステックとしての潟梶[ドテック設立に伴い、取締役社長就任 |
2002年6月 |
(株)リードテック取締役社長を社長定年により退任。潟{ーダーコム設立(7月1日営業開始) |