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『松ヶ丘SAKAIだより』(9月分)

★  9月2日(金) [ 「重工39会ゴルフ延期」・「 Y 氏展覧会」・「だだちゃ豆パーティ」 ]

 台風12号で今日予定されていた「重工39会ゴルフ(東京 CC )」は早々と 1 週間延期が決まった。まだ“重工39会の怪”は続いているようだ。

 お陰で今年は欠席と決めていた CIC 恒例の「だだちゃ豆パーティ」に出席出来るようになった。夕方だけというのも勿体ないので、久しぶりに三菱重工関連の営業活動に協力することにし、朝横浜に直行し昼前には田町の会社にも関連社員や顧問と訪問した。

 また、このところ案内をいただいても失礼していた神奈川銀杏会で知り合った東大の大先輩で元清水建設の役員の Y 氏から、丁度三田の建築会館と京橋のギャラリーでの2つの展覧会の案内が来ていたので、上野の会社への帰途寄って観ることにした。

三田は「第17回建築家たちのスケッチ展2011」で氏は10点の国内の風景画を展示していた。参加者は7名の少数精鋭の大展覧会だった。(写真右は Y 先輩の展示コーナー)

 

氏は京橋の“ギャラリーび〜た”での「第31回同台アートクラブ展」の方に居られ、絵の解説までしていただいたがブタベストの風景の力作(写真左参照)を 1 点出展していた。こちらは旧陸士・幼年学校・防大出身者のいわゆる軍人 OB の経済人の会で約30名の同人中約20名の30点ほどの作品が展示されていた。(「台」が学校の共通項)

小生もマッキンゼー研修で訪れたブルージュや郷里大分の由布岳の風景等もあり興味深かった。 Y 氏は陸士最後の61期(終戦時18歳?)と知って、その元気さにも驚いた。

会社に戻り、5時から恒例の「だだちゃ豆パーティ」が開かれた。毎年紹介しているので詳細は省略するが、芳賀社長が出身地山形県鶴岡市から直接とりよせ、客先をはじめ社員に“まめまめしく”働くようにと振舞うのが仕来たり。ただし、今年は品不足で家族へのお土産分はなかった。小生はさらに 6 時から別席の社長の接待宴に急遽同席し、飲みすぎ・食べすぎを大いに反省しつつ、甲府方面の台風の大雨で大幅に遅れた中央線に乗ったため夜遅くなって家に帰り着いた。

★  9月4日(日) [ 「松ヶ丘親睦会有志 BQ 大会」・「三菱ダイヤモンドコンサート(サントリーホール)」 ]

恒例のご近所自治会の「松ヶ丘親睦会バーベキュー( BQ )大会」は今年は中止となったが、先日の有志暑気払いで有志で昨日(3日)土曜日にやることになり、我が夫婦も含めて30数人が出席の予定となっていた。しかし、これも台風12号の影響で数日前に今日3時からに変更された。

ところが今日は午後2時からサントリーホールでオール三菱合唱団主催の「第11回三菱ダイヤモンドコンサート」があり、女房の友人達が出るため夫婦 2 名のチケットを購入ずみであった。 BQ 大会の方は発起人でもあり役員も仰せ付かっていたが、会費を支払ったうえ丁重に欠席とさせて頂いた。

小生もオール三菱合唱団には、三菱重工・自工の同期生も 2 名いることが、女房が以前聴いたとき貰って来たプログラムでわかっていたので、楽しみにしていたもの。

今年はドヴォルザークの「スターバト・マーテル」の演奏で、広上淳一指揮で東京フィルハーモニー交響楽団・ソリスト4人との共演。総勢200人もの大合唱(合唱指揮は山神健志氏)で素晴しい出来だった。(写真=前回のもの=参照)終って 2 人の同期生にも久しぶり会え、女房の友人達との交流もして、気持ちよく帰宅した。

★  9月5日(月) [ 「 TOKYO 39会ゴルフ(東京 CC )」 ]

大型の台風12号は四国・中国地方に上陸し大きな被害を残し、昨日日本海に抜けた。しかし、“台風一過”とはいかず引き続いて湿った空気が北上し、広範囲で雨を降らせ続けている。

今日の東京 CC (秦野)での 2 ヶ月に 1 度の「 TOKYO 39(三菱自工・本社同期有志)会ゴルフ」は後半霧雨の中となったが、何とか18ホールプレーできた。今回は参加者が9人と急に増えたため 5 人用カートを使い 2 組で楽しく回った。(写真参照)

いつも順位は新ペリアで、ハンディ戦で総握りという方式だが、小生は51・49の100とまずまずで今回は 7 位、総握りは微小の勝ちとなった。 ただ、ゴルフ場のボイラーが壊れ風呂でお湯が使えず、水風呂・シャワーで着替えて表彰式をして帰るというハプニング付の 1 日となった。

★  9月7日(水) [ 「程ヶ谷会ゴルフ(程ヶ谷 CC )」 ]

大学同期生の O 君がメンバーの名門「程ヶ谷 CC 」で6月にゴルフをしたのをきっかけに、同期生だけで楽しもうと「程ヶ谷会」と称し、今日その第 1 回を4 人で行なった。(写真参照)

素晴しい天気に恵まれ 8 時にスタートして、スルーで午後 1 時に18ホール終り風呂に入り昼食をとり解散した。小生はドライバー・ショットとも終日好調だったが、最初のホールで5パットその後もアプローチ・パットがことごとく駄目でスコアはがたがたになった。

流石に名門コースのグリーン周りは誤魔化しが効かないことを痛感した。しかし、楽しいパートナーとともに伸び伸びとプレーはでき気持ちは良かった。11月に第 2 回目をすることも決まったのでそれまでに弱点を修正したいものだ。

★  9月8日(木) [ 「三菱重工・相模原工場訪問」・「都 PCO 協会役員会(市ヶ谷)」 ]

今朝は先週2日(金)に引続き、 CIC の営業支援のため関連顧問・社員と待合せ、我家から近い三菱重工・相模原工場を訪問し、数年ぶりに各関係先を表敬訪問した。流石に直接知っている世代は居なくなっているが、本社からの紹介や共通の知人が沢山いるため丁寧に応対してもらえ嬉しかった。

 終って午後、今年第6回目の東京都 PCO (害虫防除)協会の役員会がアルカディア市ヶ谷であるので直接参加した。今回は前回(7月)と違い全役員が出席、東日本大震災への協会の協力内容等4時半まで熱心な会議が続けられた。ハエの発生等当協会関連の作業は完全に終結したと報告があった。終って有志 8 人で「なでしこ」の北朝鮮戦をテレビでやっている居酒屋で 2 次会をして CIC に一度も顔を出さずに出勤日を終えた。

★  9月9日(金) [ 「重工39会ゴルフ(東京 CC )」 ]

台風12号のためやはり先週2日(金)から 1 週間延期となった、恒例の「三菱重工39会ゴルフ」(重工東製同期を中心としたゴルフ会)が、小生のホームコースの東京 CC (秦野)で行われたので出席した。

急遽変更のため、いつもは 5 組のものが 3 組9人と参加者は大幅に減ったが、天気は快晴となった。秋のシーズン始まって10日間で4回目と過密スケジュール、かつ成績も今一。パートナーはシングル級の名手 2 人、一生懸命頑張ったが、またもや100を切れずハンディ戦で7位と振るわなかった。まあ、肝心なところでの OB が響いたが一昨日に続きドライバー・ショットとも良いのが救いである。(写真参照)

★  9月14日(水) [ 「 G & M の会(立川国際 CC &秋川雀荘)」・「義母訃報」 ]

今後春 2 回・秋 2 回の計年4回やろうと決めてから、最初の「 G (ゴルフ)& M (麻雀)の会」がいつもの立川国際 CC (あきるの市)で今日行われた。

 主宰者の Y 君とは 5 回目だが、現固定メンバー(小生以外はゴルフ場の地主)になってから3回目である。ゴルフの方は好天というより猛暑の中を楽しく回った。小生は今日も目標の100を切れなかったがまずまずの内容であった。(写真参照)

 終って4時前から五日市線・秋川駅近くの雀荘「アリンス」でご開帳。9時前に終るという硬い約束を守って今年 2 回目の麻雀を楽しんだ。

 ところで、その途中女房から電話があり今日満93歳の誕生日を迎える義母の訃報が入った。それ以降バッタリ上がれなくなり大敗を喫して終了した。  本「 MSD (8月号)」を女房が誕生祝のカードと一緒に送ったのが着いたと、昨夜電話で感想を含め例により長時間話し合っていたのを聞いたばかりだった。

その上18日(日)には「敬老の日」ということで、女房の3姉弟とその連れ合い計7人で会食をすることを女房が企画したのを非常に喜んでいたとの事。 願わくはあと数日長生きしてもらいたかったが、高齢の 1 人暮らしで朝介護さんが訪問してベッドで倒れているのが発見された正に“急逝”だった。合掌。

★  9月15日(木) [ 9月度「3木会」 ]

今日は 9月度「3木会」(大学教養部月例クラス会)がいつもの新橋クラブジャパンであるので、 CIC 芳賀社長と夕方神谷町にある久間元防衛大臣の事務所を訪問した後直行した。

8 月を休会としたので、 2 ヶ月ぶりとなったが常連6人が集まり、いつもどおり時勢を憂いつつ楽しく飲んだ。ただし、小生は先の胃カメラ検査でピロリ菌が見つかり、その除菌薬服用(1週間)期間中で“禁酒”せざるを得なかった。(写真参照)

深江マスターが年内で引退するのにあわせ、今後場所の変更や隔月開催等を提案してみたが、少なくとも年内は現行どおりでいくことに衆議一決した。

★  9月16日(金)・17日(土) [ 「義母通夜・葬場祭(神式葬儀)」 ]

16日夜、田無山総持寺大日堂で義母の通夜があるので、午前中予約してあった接骨院に行き、帰りに北の丘プールで水泳をしてから、女房と午後行った。愛知県・豊田市から長男、相模原市の次男も会社から直接出席してくれた。

家族葬でこじんまりということだったが、叔父・叔母に女房の兄弟および子とその連合い・孫等一族約30名が出席し賑やかな通夜となった。 神式なので義父の葬儀の時米国にいて欠席した小生には戸惑うことが多かったが、次女の夫というのは「献杯」の発声程度が役割でなんとかなった。

翌日(17日)の葬場祭(告別式)は、昨日が友引ということもあり午前10時からと早く始まったが、会場一杯の約50人の大勢の一族郎党が集まった。混雑する多摩葬祭場で荼毘に付し、2時過ぎ会場に戻り十日祭を行なった。

終って孫娘を連れ一家で参列してくれた次男家の車に乗せてもらって帰宅した。この数日のバタバタとした動きの中で義母の93歳の人生が“大往生”を遂げたわけだが、人生というのは本当にあっけないものだとつくづく感ずるのは、こちらも充分に年をとった所為だろう。(写真参照)

★  9月21日(水) [ 「台風15号(帰宅トラブル・後処理)」・「読書(福沢諭吉)」 ]

今週は3連休に挟まれた3日の労働日。 CIC の芳賀社長はインド出張で不在なので、当初全日休む予定でいたが昼休みに個人的な所用が入り、帰ってから人事部門との会議もということになったので出勤とした。

ところが台風15号が接近、交通機関が危ういということで会議中に女子社員を早く帰宅させることにし、小生も会議終了後4時半ごろ早目に会社を出た。

しかし、秋葉原で少し迷ったがいつもの都営新宿線岩本町駅から京王線橋本駅のコースを選んだがもう笹塚までしか行かないという。兎に角新宿に出ようと市ヶ谷で JR 線に乗り換えることを試みたが総武線が動かずアウト。再度地下鉄で新宿に出て小田急をと思ったがこれもストップ。どうせならと京王線新宿駅改札前で待つことにした。周りはほとんど立ったままだったが、小生は新聞紙を持っていたので胡坐をかいて座り込み読書(後述)をしながら待つことにした。5時半ごろから8時頃になってから、明確な放送もあるわけでもなくなんとなく人が動き出し改札口からホームに流れ込んだ。(動き出す前の風景:写真参照)

いつもの特急のホームだったが、全部各駅停車だろうと思っていたら橋本行き急行が隣のホームから出たあと、準特急が出るという。最初のは殺人的に混んでいるので、2番目に出る準特急を待って乗ったがこの間30分以上。調布に着くと前のと合流。それこそ身の危険を感ずるほどの大混雑のなか橋本⇔調布間折り返し運転の各駅停車に乗って橋本に着くとなんと10時過ぎ。長蛇のタクシーの列に並んでいると、最終のバスがきたので近所のご主人と満員バスの最後に飛び乗って帰ると10時半と会社を出てから何と6時間の難行苦行の帰宅となった。

家に着くと夜目ながら裏山の木の枝や葉っぱが家の前の道路に山積、当然のことながら我家の植木はじめ色んなものが飛ばされている様子。

翌朝(22日)7時すぎに起きだし、先ずは前の道路の木の枝葉の大掃除を、ご近所と一緒に行った。まさに冬の雪かきの再現といったところ、次に我家の植木類の復活、屋根上・ベランダ・裏庭と大掃除を昼までかかってやっと成し遂げた。午後予約してあった接骨院に行くと、相当疲労が蓄積しているというので、夕方の水泳は無理をせずに見合わせた。

話は変わるが、先日三田の本屋に郷里大分・中津出身の福沢諭吉の「福翁自伝」と「学問のすすめ」の斉藤孝氏訳・ちくま新書・現代語版が一杯積んであったので購入した。前者はすぐに読み終えたが、後者はなにやかやで途中までになっていた。

今日往復で読もうと、併せて買った「論語」ともども 2 冊をカバンに入れていたのが幸いした。 福沢諭吉の本は昔、小学生〜中学生の時多少の背伸びをして中津市立小幡記念図書館に通ったとき、分からないまま沢山読み大いに感銘したものである。 勿論最初は「野口英世」・「エジソン」等の伝記物が引き金だったが・・・・。

それで現代語版でもう一度と思った次第だが、改めて感銘しなおした。よくあの時代にこのような考え方が出来かつ発表できたものだ。特に最近の国難といった時代、いろんな評論家・ジャーナリストが売らんがために本を出し、かつ愚鈍な国民がそれで右往左往している時、やはり政治家・学者だけでなく良識ある全国民が国の存続を願って書いた「本書」を読んでもらいたいものだ。 京王新宿駅の雑踏の中で完読。長い待ち時間も苦にならずに良かった。(写真は福沢諭吉の本2冊)

★  9月23日(金) [ 「お彼岸・墓参り(さがみ野霊園)」 ]

今日は「秋分の日」、午前中夫婦で我家から相模川を挟んで対岸にある「さがみ野霊園」に墓参りにいった。晴れたり曇ったり、暑くも寒くもないといった丁度よい天気とお彼岸の中日ということもあり、大勢の墓参者で賑わっていた。

我家(堺家)の墓は、大分県中津市の菩提寺安全寺(曹洞宗)境内にあるが、21世紀初日(2001年 1 月)付で相模原支墓?を次世代のため建立したもの。やはり墓は一族(少数化は仕方はないが)の結束には欠かせないものと思う。

墓参り(写真参照)のあと、ピクニック気分で管理施設の前の芝生で出店のまんじゅうなどをゆっくり食べ、地元の栗や野菜を買い込んで帰った。 夕方、昨日サボった水泳に行きスッキリしたが、気候も良くなってきたのでそろそろウォーキングも始めようかと思う。

★  9月24日(土) [ 「北公園ウォーキング」 ]

このところ急に涼しくなって来た。今日は朝から快晴、所用で外出する女房を9時に橋本駅まで送り、そのまま接骨院でマッサージをしてもらい、帰り台風で壊れたゴールドクレストの植木桶や移植用の土など買込んだり、様々な雑用をこなした後、久しぶりに「北公園」をウォーキングでもしてみようと寄ってみた。

ところが至るところ倒木や折れた枝葉で、森の中の遊歩道は立入り禁止となっていた。九州の台風経験ではあまりない光景なので、やはり相模原の潅木は強風に弱いのかもしれない。(写真右参照)

1 時から女房にビデオ録画を頼まれていたので、夕方再度ウォーキングに訪れることにし、午後ゴールドクレストの移植作業をおこなった。

「風が吹けば桶屋が儲かる」とはこのことだと苦笑しながら、1つだけ成長不良のものの置き換えを含めてこの際一挙に解決できて良かった。あとは皆うまく根付いて成長してくれるのを願うのみである。(写真左参照)

★  9月26日(月) [ 第9回「憂楽会(日比谷公園・松本楼)」 ]

恒例の大学同期生有志による「憂楽会」がいつもの日比谷公園内・松本楼であったので CIC の帰り出席した。小生は幹事補佐なのに開始時間を30分間違え、乾杯の後の13人中最後に着席し皆に冷やかされた。(写真は「江田五月活動日誌」からの乾杯風景)

今回から東大原子力工学科(第1期生が同級生)出身の原子力の大家がメンバーに加わってくれたので、原子力関連の話が大いに盛り上がった。さらに他の出席者も皆それぞれのキャリアに基づく豊富な知識を持っているのには驚かされた。

江田五月・野田毅両国会議員も熱心に耳を傾けていた。さらにレア・メタルなどの話にも波及し、小生にとっても大いに勉強になった一夜だった。

★  9月27日(火) [ 「さがみ秦野会ゴルフ(東京 CC )」 ]

年2回の「さがみ秦野会(三菱重工相模原 OB 有志)ゴルフ」の第20回は 3 月に予定されていたが、東日本大震災で延期されていたもの。

いつもの我がホームコースの東京 CC (秦野)で、小生は昨年春以来 1 年半ぶりの参加となった。(昨年秋は雨天順延で、再戦には日程が合わず参加出来なかったもの) ハンディは毎回見直しとなり、小生は今回27と前々回の18から9も甘くなっていたが、優勝と BB だけは次回幹事(メンバーが100人以上いて大変)を避けるため禁物という大会で“中庸”第一である。

天気は快晴だったが、朝のうちは曇っていた。21人が 6 組に分かれ、3組ずつ東アウト⇒イン、東イン⇒南と分かれてプレーした。(写真は開始前のセレモニー風景)

小生は東インの最初と最後のホールで9打、 BB の危険性にさらされたが後半、南コースで47と頑張り14位と事無きを得た。

★  9月28日(水)・29日(木) [ 「 L の会(新橋)」・「家調送別会(南橋本) ]

昨夜(28日)は恒例の「 L の会」(潟梶[ドテックの月例 OB 会)がいつもの新橋「坐・和民」で開かれたので CIC の帰りに出席した。 去る9月8日〜11日、上高地〜涸沢〜奥飛騨と行って来た「 L の会・山岳部?」4人の報告で持ちきった。味をしめて11月にまた丹沢へ行くらしい。

小生には年寄りの“最後の抵抗”のようにも思えるが、まあ出来るだけでも羨ましい。しかし、自ら山に行く気にはまったくならない。当面、平地での生活で充分楽しみたいと思うのが、60歳代と70歳代の違いだろうか。いつものように楽しく飲んで店長(オーナー)を入れて記念撮影をして帰った。(写真参照)

今日(29日)は夕方、本年9月末日で定年退官(小生は3月末日組)する相模原家事調停委員の男性有志による送別会が、我家から近い南橋本の NEC のクラブで開かれ小生は OB ながら特別に案内されたので喜んで参加した。 送別対象者の男性2人は、いずれも調停委員としては小生より先に任官した先輩、大変お世話にもなり、かつつい先日は小生達の送別会を主催してくれた方々である。約20人が集まり楽しく飲んだ。終って橋本駅で例により、さらに数人の有志で2次会をやって解散した。

★  9月30日(金)〜10月2日(日) [ 「名古屋(名古屋39会ゴルフ・孫誕生祝い等)」 ]

年2回(春・秋)の名古屋39会(名古屋の東大同期会)ゴルフがいつもの岐阜・瑞浪の「ベルフラワー CC 」で開かれるので、秋の部は先日7歳になったばかりの上の(初)孫の誕生祝を兼ねて女房と名古屋に行った。  長男家は小学校が終ってから豊田から車で来るので、夕方いつもの名古屋駅の「マリオット・アソシア」ホテルで合流することにし、我々はゆっくり家を出て昼過ぎの新幹線で行った。今回も2泊同宿なのだが、子供も大きくなったので今年から隣室にはエキストラ・ベッドを入れてもらうことにした。

 1日(土)は絶好のゴルフ日和に恵まれ2組8人で楽しくプレーした。東京から小生を含め4人、地元4人という構成。小生はまたしても出だしでつまずき、かつ OB ・ロスト4個と前半は最悪で60も叩いて最下位。しかし、昼食後は46のベストスコアで頑張ったが、新ペリアは逆に出て最下位となってしまった。(写真左参照)

 ホテルに帰り、バースデープランのいつもながらの豪華な誕生祝(写真右参照)をして、夜遅くまで元気な孫たちと遊んだが、小生は疲れて先に寝てしまった。

翌日(2日)は長男家は地元でお祭りがあるということで、チェックアウト時点で別れ我々はのんびり“こだま”に乗って、浜松の「うなぎ弁当」や睡眠を楽しみながら帰宅した。



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