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『松ヶ丘SAKAIだより』(8月分)=見出・抜粋=

★  8月3日(木) [ 「TOKYO39会一献の会(自由が丘)」 ]

三菱自動車・本社の同期有志の会「 TOKYO 39会」は奇数月にゴルフ会、年2回が“一献の会”と称する暑気払いと忘年会である。

 今日、いつもの自由が丘「磯勢」で中心メンバーだった故園部元社長の夫人を含め10人で行った。 皆フリーなので5時半開始。小生は CIC を 1 時間ほど早退して出席せざるを得なかった。初参加者が1人加わったが、欠席者も8人おり出席率は50%程度と少なかった。それだけに近況報告等も充分に行えて和気藹々に楽しめた。  「アラ古希」とか言っていたが、なぜか70歳を超えたのは 2 人だけで何故か小生は今回は最長老扱いされてしまった。病気の話と孫の話は止めようといいながら、結局そちらの方へ行ってしまうのは年のせいか。しかし、まだ皆ゴルフをはじめ向上心を捨ててないのは立派だ。(写真参照)

  8 月7日(土)〜12日(木)[「別府温泉旅行(中津法事&長男一家)」]

姉の初盆が11日に大分県中津市の義兄宅(宴席は駅そばの結婚式場) であるので、長男一家と出席を兼ね一昨年母の初盆の時に宿泊して良かった別府(堀田温泉)の「リゾーピア別府」に4泊することにした。三菱自動車の契約ホテルで、別府湾が一望できるうえに和室つきの広いツインルームで食事も美味しい。さらに長男家は今度は車で豊田市から関門海峡を渡って来ることになった。

 それで、我が夫婦は帰りは大分空港から「早割り航空券」を買い、行きは最悪東京駅から新幹線(自由席)と決めたうえ、羽田発の「シニア割引」の飛行機を狙い7日に中津に1泊し、法事当日は忙しいであろう義兄との交流を事前に図ることにした。

7日朝早く羽田に行くと思ったより簡単に、13時過ぎ発の北九州行きのシニア割引切符がとれた、無ければ福岡行きでもと思っていたのでラッキーだった。夜義兄と会食もゆっくりでき、翌日も義兄宅を訪問し近くの姉の墓にもお参りすることができた。さらに堺家の菩提寺(安全寺)で墓参りや諸連絡もでき、午後には別府で長男一家と合流し夕食前には早速孫たちとホテルのプールで遊ぶことも出来た。(写真右上・中津市安全寺境内・堺家の墓)

翌日(9日)は台風4号の接近で天気は荒れ模様だったが、午前中はもちそうなので近くの九州自然動物園(アフリカン・サファリー)に出かけた。 長男が小学生の時以来で約30年ぶりだったが、園内を餌をやりながら走るバス等いろいろ改善されている。バスに乗れるまで時間があるので昔のように車で一周。そのときは天気もまだ良かったので、遠くも見えて多くの動物が観察できて最高。「餌やりバス」に乗った頃から霧が出て遠くは見えなくなったが、ライオン・トラ・熊・象等猛獣がすぐそばに来て迫力満点、孫達にはおそらく強烈な印象を残すことが出来ただろう。(写真左上参照) 後半は雨も激しくなったので早目に別府の町に戻ると下界は天気も良く、遅い昼食と買物などをしてホテルに戻った。

10日は快晴、2年前にも行った「高崎山」とその前にある水族館「海たまご」に再度行った。というのは5歳の孫も前回のことをあまり憶えていない様子なのでもう1回ということになったらしい。我々夫婦は何度も見ているし、多少疲れ気味でもあり各種アトラクションの席取等裏方に徹したが、孫たちはセイウチやイルカのショウに目を輝かせていた。(右下は高崎山での集合写真)

11日は中津を往復、義兄宅での読経のあと親戚一同(約30名)で「エトゥワールダルジャン」という、超高級の新しい結婚式場で大宴会が催された。 急に“献杯”の音頭をとらされたりしたが、和やかかつ盛大に初盆の儀式も終り姉もさぞかし喜んだことだろう。招待客である我が一家はお開きの後、再度「安全寺」で堺家の墓参りをして、雨の中別府に引き揚げた。

夜はもう食べきれない状態で夕食を摂らされたが、孫たちの食欲はあきれるばかりである。楽しみにしていた花火はついに強風等もあり出来なかったが、ホテルのマンドリンショウに飛び込み 2 人で大声で「崖の上のポニョ」の合唱をして、観衆から大拍手を受けたり大活躍であった。(写真左下参照)

翌朝玄関先で記念撮影をして、孫たちを豊田に送出してから夫婦で大分空港経由、夕方には普段の平穏な我家の生活へ戻ることが出来た。しかし、明日から2kg以上増えた体重減らしに苦労しなければならない。


★  8 月13日(金)[8月度「MBIサロン(六本木)]

★  8 月18日(水)[「猛暑・水泳・整体」・8月度「 L の会(新橋)」]

★  8 月19日(木)[「ピアノリサイタル(あざみ野)」]

今日は午後7時から、女房の友人のピアノ教室出身で現在ミュンヘン国立音楽大学大学院マイスタークラスに在籍中のピアニスト(の卵?)の伊藤ゆりあさん(写真参照)が、一時帰国中にあざみ野アートフォーラムでピアノリサイタルを開くというので、夫婦で聴きに行くことにしてチケットを購入してあった。

彼女は高校生の頃から、各地のピアノコンクールで数々の入賞を果たし、来年卒業後はプロのピアニストとして期待されているらしい。小生も一昨年の横浜ロイヤル・パークホテルでの「サマーコンサート(女房と友人のピアノ教室の発表会)」で、会っているし練習を兼ねた演奏も聴いているので親近感もあり楽しみにしていた。 たまたま午後は家事調停があり、5時ぎりぎりまで記録を書いてから女房と長津田の駅で待ち合わせ夕食を摂ってから行った。 大勢の聴衆が来ており、シューマンの「謝肉祭」を主に、ベートーヴェン、ショパン、リスト、シューマン等アンコールを含め数多くの曲を弾いてくれた。

★  8 月22日(日)[「来客用駐車場(松ヶ丘内)」]

我が家は米国駐在中も含め相当以前から自宅の玄関先駐車場以外に、「来客用」というか 2 台目の駐車場を町内(松ヶ丘)に確保していた。5〜6台の収容能力の空地しか無かったので、先着既得権として貴重なものだった。

ところが10年ほど前から、町に隣接する地元地主の土地が駐車場としてだんだん整備されて、松ヶ丘近辺の他の住も多く利用し始めた。

最近女房が現在のところが止めにくいとか文句を言い始めたのと、何といっても“草刈”をしなければいけないのが苦痛であった。また草も茂ったし、年間契約更新時期も近づいてきたので、新駐車場の地主に聞いてみると空いているというし条件もよい。早速契約することにし、現在の契約を解除しようとすると、どうしても電話・ FAX 等が仲介管理者の不動産屋に繋がらない。不思議に思い今日直接行って見ると事務所は看板も外され「蛻の殻」どうも倒産したらしい。去年、若い跡継ぎの経営者と契約を交わしたのだが・・・。実にタイミングが良かったようだ。契約当事者の地主に直接、契約終了の手紙を出し、帰って猛暑の中最後の草刈をして新契約を締結した。(写真左、草刈を終えた旧駐車場・銀色車の右隣:写真右、新駐車場・入口から丹沢方面)

★  8 月24日(火)[「MBI第23期同期会(丸の内・オアゾ)」]

約20年前の1991年12月から 3 ヶ月間、東京・米国・欧州と各1ヶ月のマッキンゼー研修(第23期)の同期会が昨年11月以降久しぶりに、丸の内オアゾの5階にある居酒屋「えん」で開かれた。大企業各24社から年齢差約20歳の精鋭25人が参加した。今では考えられない豪華なバブル期の企業研修であった。小生が上から2番目だったが、最も若い者も今は50歳代である。12名が集まり楽しく飲み語った。現役のバリバリ組からリタイアして余生を送っている者等、様々だがそれぞれ味があって面白い。

全体は10年間で30期あり、6〜700人もいる。「 MBI 」と称し本欄にも度々登場しているが、来年は同期の幹事が全体の会長に就任するとのこと。(写真参照)

★  8 月25日(水)[「家調・相模原暑気払い(高尾山)」]

★  8 月27日(金)[「クラブ・ジャパン剣道部の集い(新橋)」]

新橋クラブ・ジャパンの深江マスターが主宰する、「七徳堂」(東大剣道部の道場)で1度でも竹刀を握ったことのあるものという「剣道部の集い」に参加した。正式な OB 会の「赤門剣友会」や「ゴジラ会」とまた違った雰囲気もあり面白い。しかし、今年はなぜか参加者が正式OBのみの12〜3名と少なかった。わが同期も出席予定の久間前衆議院議員がドタキャンで2名だけ、おまけに小生は明日の“内視鏡検査”のためアルコールは禁止。 CIC の帰りに顔見せ的にいて同期のN君とともに早めに退出した。

★  8 月29日(日)[「ベルカント声楽会コンサート(町田市民ホール)」]

  女房の友人のNさんがソプラノ独唱で出演する、声楽家佐藤のりこ門下の「第30回ベルカント声楽会発表会」が町田市民ホールで開かれたので、女房に同行して聴きに行った。  神奈川県各地の教室で佐藤先生に声楽を習う人達の発表会だが、Nさんはそのトップバッターだった。教室は県下あちこちにあり発表会も 2 部・2日間に分かれているようだ。先生のご主人(イタリア人)が7月はじめに旅先のノールウエイで急逝され、 3 時半から追悼式典があると会場で知らされたが失礼し、最初の休憩時間まで聴いて町田駅で遅い昼食を食べて帰宅した。(写真はNさんの舞台)


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