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『松ヶ丘SAKAIだより』(3月分)=見出・抜粋=

★ 3月20日(金)[「第41回結婚記念日」]

 今日は結婚記念日、女房が早々と上野・東京文化会館(小ホール)でのマチネー(14:00開演)・コンサート『岡村喬生・冬の旅(ピアノ:イェルク・デームス)』(写真右)のチケットを購入していてくれた。
さらに、昨年神奈川銀杏会で知合った小生の13年先輩のY氏から東京都美術館での「蒼樹展」の招待状を頂いていたので、夫婦で朝早く出て音楽会の前に観に行くことにした。出るときは雨が降っていたが、着くと天気になり上野公園の桜も咲き始めていた。Y氏の100号の大作はなんと東京都議会議長賞を受賞していた。4月に銀座で予定されている個展にも招待された。

時間がなくなり、楽しみにしていた昼食もそこそこに東京文化会館に向った。
岡村喬生氏のトークとバリトンによるシューベルト“冬の旅”作品89全24曲も素晴らしかったが、女房の目的はピアノ伴奏のイェルク・デームスの方で、帰りに80歳記念のCDにサインまでしてもらいご満悦であった。(写真左参照)
 終わって、新宿でショッピングと結婚記念日の豪華な会食を楽しんで帰宅した。

★ 3月21日(土)[「高齢者(運転)講習」・「お彼岸墓参り」]
★ 3月22日(日)[「九沢小安全ボランティア連絡会」・「ゴルフ練習“空振り”」・「寒緋桜」]
★ 3月25日(水)[「ゴルフ(チェックメイトCC)」] 
★ 3月26日(木)[「MBI第23期同期会」]
★ 3月27日(金)〜29日(日)[「名古屋39会ゴルフ」・「孫誕生祝」他]
★ 3月31日(火)[「さがみ秦野会ゴルフ」]


2009年7月20日(月)[「松ヶ丘SAKAIだより(見出・抜粋)再登場]

 「古希」(7月24日)を目前にして、本欄の中止を惜しむ声もあり、自分としてもこの数ヶ月月刊メルマガの「松ヶ丘SAKAIだより(以下MSD)」で実質継続していているので、今後まったくなくしてしまうのも・・・・という気持も出てきました。それで、「生きている証」・「世間に訴えたいこと」「自分や我家の画期的なこと」[上手く書けたと思うもの」「皆が楽しめそうな話題」などを書き込む欄にしようと、MSD各月号の見出しと1〜2件に限って内容も入れてみることにしました。

 まずMSD(3月号〜7月号)で試してみて、今後、同様に毎月号を掲示していこうとおもいます。興味のある方はお気軽に月に1度程度覗いて見てください。まったくの“自己満足”のみが目的ですのでご容赦ください。


3月20日(金)[「(続)“社長インフォメーション”はメール配信で存続」]

 「本欄休止」に対し、“残念”等の感想がメールで寄せられていることもあるが、小生としても自分の趣味(短文作成・推敲)の存続、さらには家族・親戚・親しい友人・知人との「絆」として、自己のボケの確認もふくめ、月刊メルマガ風『松ヶ丘SAKAIだより』として当然内容は多少変化するかもしれないが、公表は避け家族と希望者に配信することにした。
本日の「結婚記念日」を3月号の最初にして、今後書けるところまで続けて行こうと決心した。 「配信」ご希望の方は遠慮なく小生自宅メールアドレス(ご存知の方に限定)にご連絡下さい。

これにより、本欄は本日時点で凍結のことといたします。


3月17日(火)[「本欄“社長インフォメーション”休止」]

 械CのHP中の本欄“社長インフォメーション”(数年前から「ブログ」と言われるようになった)は、丸6年間続き読者は延合計で約2万人ということになる。
当初、定年になり個人で会社を興しHPを開設、その中での今後の自分の生き方を書き留めよう、さらに積極的に広く社会と接するため自分自身を“鼓舞”することを目的に本欄を設けたわけである。
 かたや、約40年の会社生活の中で遺された能力・楽しみが「短文」を書くことしかないとも気づいたからである。俳句・詩・短歌や絵画の能力・趣味でもあれば別だったかもしれない。
 しかし、最近になり械Cの業務は海IC一本となり、業務機密に支障のない部分に限ると、飲み会やゴルフばかりの様相を呈してきた。それでも家族・親戚・知人・友人などとのコミュニケーションの一助になっていると思い、かつ一方で契約容量をいつオーバーするかなどを恐れながらも続けていた。
 ところがこのところ、小生が思いもよらなかった理解のされ方が起きていることもあり、さっぱり中止としたいところだが、年頭抱負に述べたように7月の古希到達で、新しい生活指針を考え出すまでは中止前提の“休止”ということにすることにした。
長い間のご愛読有難うございました。(写真は69歳末の素顔で感謝を込めて)


3月10日(火)〜15日(日)[「金曜の絵展(町田)」]

 一昨年11月末の海老名での展覧会に引続き1年半振りに、女房の絵画教室(町田・NHK文化教室)の展覧会「金曜の絵展」が町田・国際版画美術館で開かれた。今年も会の案内状のハガキ約350枚、及び女房の油絵の額3個をD.I.Y.で作製したり小生の内助の功?も少なくない。
10日の絵の搬入も勿論手伝ったが、最終日の15日は絵の撤収を兼ねて午後見物に行った。会員は20名。指導の先生は東原均先生である。広い会場で1人5mの持分があり、水彩・油絵5点に米国時代メンバーであったイリノイ・ブルーミントン市のクレスト・ウィックCCでの風景画の計6点を出展してあった。(写真参照)しかし、絵の出来栄えより遠方からも観に訪れてくれる友人・知人と交流できるのが最高の楽しみのようである。
こちらは、初日も最終日も好天気に恵まれ隣接する「芹が谷公園」を気持ちよく散策できて幸いだった。搬出は次男が車で観に来て自宅まで送ってくれたので助かった。


3月11日(水)・12日(木)[「医療講演会」・「全国江田五月会講演会&交流会」・3月度「2木会」]

  今週も11日・12日と海ICに連日出勤となった。11日帰りには東大剣道部の後輩である東大病院医師K君の属する、若手医師のメルマガグループ「MRIC」の案内で、築地の国立がんセンター中央病院・特別会議室での「医療講演会」に出席してみることにした。最近注目をあびているワクチンによる“免疫療法”の大家の先生の話が中心だったが、予想どおり小生には難し過ぎた。しかし、100人を超す医療従事者が出席し、熱心に勉強している姿に感銘を受けた。このような若い医師達がいて医療が年々進歩していると思うと心強い。(写真右参照)

 12日昼には赤坂プリンスホテルで大学クラスメートの江田参議院議長の「全国江田五月会シンポジュウム&交流会」が久しぶり開かれたので、芳賀CIC社長等3人で出席した。茂木キッコーマン会長の基調講演で進められたが、大勢の出席者の中には、大学の同級生等が多数来ており美味しいカレーライスを食べながら旧交を深めることもできた。(写真左参照)
 夕方、帰りにいつもの新橋クラブジャパンでの「2木会」(大学教養部月例クラス会)に出席した。来月の総会に向け最近では最多の9名が集まり楽しく飲んで帰った。(写真省略)昼間の江田君やA君も含めると小生は1日でクラスメート10人に会ったことになった。


3月6日(金)〜8日(日)[「ゴルフ中止」・「義母退院」・「松ヶ丘親睦会(自治会)総会」]

 6日は「重工39会」で今年春のゴルフの幕開けの予定だったが、雨で中止となった。7日の名古屋での第2回「中部赤門剣友会」も延期となったので、水泳位だけの週末となった。さらに骨折で入院中だった90歳の義母が退院したので、8日は女房は花小金井行きで不在。水泳のあと夕方の自治会総会に間に合うようにプール3階に併設の風呂に入って帰った。入浴料100円、年寄りが温泉気分できているのか、昼間から大混雑なのには驚いた。
 地区の塚場自治会第10班(自称「松ヶ丘親睦会」)の総会は、昨年は母の葬儀と重なったので欠席しキャンセルしたが今年も議長役が回って来た。
 昔は飲み会のついでにやっていたような会議だが、メンバーが5〜60人になり、入居順に回ってくる班長は毎年この総会を無事に終えることに相当神経を使っているようだ。小生としてはおやすい御用なので気軽に引き受けることにしているが、今年は論客も少なく会議はスムーズに終わった。カンビール・冷酒・焼酎等と“乾き物”の形式的懇親会(写真参照)をして、皆で塚場自治会館から松ヶ丘まで歩いて戻った。


3月4日(水)[「平尾氏叙勲受章祝賀会」]

海ICの業界団体、社団法人「日本ペストコントロール(PCO)協会」の副会長の平尾素一氏の旭日双光章受章記念祝賀会が、日比谷の東京會舘で開かれたので芳賀社長以下3名で出席した。
京都大学農学博士号を有し、業界の技術面は勿論、協会の国際活動に多大な貢献をされていることが評価されたものと思う。協会顧問の元総務大臣の片山虎之助氏(写真参照)等多くの人から祝辞や祝電が披露された。
自らも外国でもこの業界ではこのような栄誉は珍しく、英国では「ナイト(騎士)」の位を国王から授与されたようなものと伝えられているとユーモアたっぷりの謝辞を述べていた。お孫さん達からの花束贈呈やアトラクションまであり、全国から100人以上の会員が出席の盛大なパーティであった。
我々は途中で退席し、所用で上京し新幹線で帰る大阪支店長と東京駅で落ち合い八重洲地下街の飲み屋でさらに飲んでから帰宅した。


3月2日(月)[2月度「Lの会」]

3/2は恒例の鰍bICの月頭朝礼。8時15分からだが、普段より1時間早い5時起きでも、岩本町まで直通電車がないため京王線乗継で会社には普段の30分前の8時前にしか着かない。夜、旧潟梶[ドテックの月例幹部OB会が三田の「和民」で行われたので出席した。常連6人が集まり楽しく飲んだが、隣席の若者グループの、特に女性のケタタマシイ笑い声と嬌声には悩まされた。
逆に約半数いる男性は大人しくてこれを嗜めることも出来ない様子。やはり新橋の「わたみん家」の方が雰囲気がいいなという結論をもってお開きとなった。(写真左参照)

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