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1月31日(土)[「相模原交通ボランティア・情報交換会」]

 地域の相模原市立九沢小学校から、相模原市の「子供安全見守り活動団体・情報交換会」の案内をもらったので、このところウィークディが忙しくてなかなか参加できない償いに出席することにした。今日橋本駅そばのサティ6階にある橋本公民館で“北部”、2月14日に相模大野の合同庁舎内の大野南公民館で“南部”と2回に分けて行われるらしい。
各地で2〜3年前に始まったものだが、老人パワーを中心に段々組織も拡大し、成果も上げてきているようだ。学校毎には集まっているがこのような全体的会は今年が始めてである。(写真参照)
教育庁・学校は勿論、警察も講師を派遣し、相模原市全体でこの活動を盛り上げていこうと意図が感ぜられた。100人余の多数が出席しており、各地の代表がそれぞれ実情・体験談を話し合ったが、実際に自発的に子供達に愛情をもって接している人達の話には感動さえする。気持ちのいい2時間をすごし、女房と待ち合わせ昼食・買物をして帰宅した。


1月25日(日)[「松ヶ丘親睦会・新年会」]

 昨日は寒くて悪天候だったので家に閉じこもっていたが、今日は快晴で昼間、近くの北公園のウォーキングにいった。梅も満開、人出も多かった。
 帰って風呂に入り着替えをし、大相撲初場所千秋楽の朝青龍vs白鵬の優勝決定戦を見てから、橋本の料亭「浜陣」からの迎えのマイクロバスに乗り、自治会「松ヶ丘親睦会」の新年会に出席した。
 地区選出の市会議員で我が街がインフラ整備等で大変お世話になった、昨年市会議長を最後に勇退された今井満氏の、秋の叙勲祝賀会を兼ねた有志の新年会でもあった。
そのため全55世帯中の古い約20世帯の奥さんを含めた約30人が集まり、地元出身の今井氏のウグイス嬢も務めたプロの美人歌手の特別出演も含め、カラオケ等で大いに盛上った。(集合写真参照)


1月20日(火)[1月度「Lの会」]


 前日、少々飲みすぎて、朝きつかったが今日は新橋の「わたみん家」で恒例の「Lの会(潟梶[ドテック幹部OB会)・新年会」があるので、海ICに出勤し帰りに出席した。中心人物のK氏が冬山(スキー?)優先で欠席したが、常連7人が集まりいつものように楽しく飲み、かつしゃべった。(写真参照)
これで新年会はあと昨年末急遽決まった、自治会・松ヶ丘親睦会を残すのみとなった。


1月14日(水)[「日本ペストコントロール協会・賀詞交換会」]

今日はほぼ1日海IC芳賀社長と社有車(契約ハイヤー)で関係先の年始挨拶まわり。個々のところで関係社員と合流したり、逆に小生の関係ないところでは車内で居眠りしながら待機したりして、夕刻最終目的のホテルグランドヒル市ヶ谷での「日本ペストコントロール協会」の賀詞交換会に、社長以下3人で出席した。
 全国各県の代表者や関連団体の役員等100名位が集まり盛大に行われた。 初めてといってよい業界内では最大手企業である我社社長の出席は大いに歓迎された。
来賓の平沼赳夫衆議院議員や片山虎之助協会顧問、さらには関係官庁・業界代表の挨拶があり、大部分が中小企業集団の日本の「有害生物管理(PCO)」業界も環境重視の世界動向の中で、少しずつ変貌をとげていく必要がある。(挨拶する片山日本PCO協会顧問・携帯写真)


1月10日(土)[「赤門剣友会・新年会」]

午後1時から本郷3丁目ホテル「機山館」で、恒例の東大剣道部OB会の最近では唯一の公式行事「赤門剣友会・新年会」が開かれたので出席した。
いつも午前中の「七徳堂」(東大道場)での初稽古会に引続き行われるが、昨年同様稽古参加者約50名で総計約70名が出席した。
現役学生も卒業の4年生(入会紹介?)と3年生(次期幹部)が出席する。今年は監督も8年ぶりに交代ということで挨拶があった。さらにソウル大学との親善交流戦も7回目となり、昨年末ソウルへ行った時の団長を同期のキャプテンが務めてくれたので、稽古をせずに参加する小生としては多少心強かった。
今年の卒業生は男女合わせて14名と多かった(写真参照)が、大学に残る者(含む留年)が大多数で、就職者は3人だけというのにも驚いた。決して就職難だからというわけでないのだから、我々から見ると“贅沢”にしか思えない。また、今年は昭和45年卒のK君(芸名:麻布十兵衛)が得意の筑波山名物“がまの油”の口上を披露。大喝采を浴びるなど楽しい会であった。終わってまだ早いので、同期近くの数人と一杯飲み屋で軽く2次会をして帰った。


1月9日(金)[学士会主催「夕食会(岡田彬元東大野球部監督講話)」]

昨年暮れ、いつも定期的に送られてくる「学士会会報」にチラッと目をとおしたら、普通は名だたる学者等の講演が多い中に、旧知の岡田彬元東大野球部監督(元三菱京都野球部)の講演付「夕食会」が今日神田の学士会館であるというのを見付け、初めて参加の手続きをとった。
というのは、氏は小生の1学年上で1975年頃の江川時代に東大を万年最下位から強くした監督である。1981年“東大旋風”で4位となった時の主将を「三菱・川崎」に採用するときにお会いしたのが始めてで、その後いろいろなところでお世話になった。
とにかく話の半分以上はダジャレで、下手な落語家より面白い。久しく会っていないので、この際と思い参加した。
演題もまさしく「東大監督体験噺」である。20名位の会かなと思って行ったら何と100人位の聴衆だった。「夕食会」常連が多数いるようだ。先輩が多いせいか少々畏まっている感もあったが、相変わらずの「岡田節」を聞かせてもらった。現在も千代田区観光協会常務理事・事務局長として大活躍中とのこと、世間は“人材”は放って置かないものだと感心した。(写真は夕食会風景)


1月8日(木)[1月度「2木会(新年会)」] 

 大学教養部月例クラス会は、新年会を兼ねていつものクラブ・ジャパン(新橋)で開かれた。久しぶり常連6人が集まり、クラブ自体も満員の盛況だったが、楽しく賑やかに飲みしゃべった。
今まで現役で世界をまたにかけ活躍していたY君が、昨年末で完全リタイアし、暇になったといい平服で現れた。これからも努めて出席してくれるとのことで、幹事としては頼もしい限りだ。出席者皆の意見も一致し、4月のクラス会総会のアウトラインも決まった。(写真参照)


1月7日(水)[「初泳ぎ」・「松の内」] 

 早くも松の内最終日である。女房は義母の介護で病院に行くので、小生は風邪で遠ざかっていた「水泳」に、海IC初出勤の5日早朝からの寝違いによる肩の痛みも無くなったので行くことにした。風邪の間も極力「北公園のウォーキング」等を続けてたせいもあってか、初泳ぎにしては“絶好調”。いつもより少し長めの700mを軽快に泳ぎ、併設の風呂に入り気持ちよく帰宅した。
今年の松の内は素晴らしい天気に恵まれ、女房の都合で単独となった恒例の「明治神宮」の初詣でも含め目出度く終了した。家事調停も来週から開廷、各種“新年会”もこれから続くが頑張って行こう。(写真は「相模原北の丘プール」HPから借用)


1月6日(火)[「新年雑感2題(喪中年賀状・新年の抱負)」] 

 今年は亡母の喪中で年頭の挨拶は遠慮した。しかし、年賀状は毎年“楽しみ”にしているから、遠慮なく出して欲しいと“異例?”の挨拶状を10年以上も年賀状をやりとりしている親しい人に出してみた。反響はいろいろあり、早速真似させて頂いたという喪中挨拶から、そうは言ってもと事前に断る方、中には年賀状のゲラ入りの丁寧な書簡をくれた人もいた。
結果、発信約600通中約300人に同趣旨の依頼。先方も喪中が約30人、残りの約半分が年賀状を出してくれた。やはり、母を良く知っている人や年配の方には抵抗感があったようだ。
 年賀状は絵・写真・版画・文章など内容が本当に楽しみなものもは勿論だが、年に1度消息だけ分るだけでも意義があると思うが・・・。
もう一つ話は変わるが、MBI(マッキンゼー研修OB会)のホームページに「 新年の抱負」を投稿して欲しいと事務局(S女史)から依頼されたので次のようなメッセージを寄せた。
『“新年の抱負”と改めて考えてみると、現役の時は職場の長として、毎年否が応でも何かしら表明せざるを得なかったが、一線を退くと何も考えていなかったことに気が付いた。強いていえば、家族全体の幸福・健康と繁栄が第一、自分のことは2の次で健康維持とゴルフの事ぐらいなものである。これでは1年が無為に早く過ぎるはずである。Sさんに“尻を叩かれて”2009年の抱負を考えてみた。
 @今年7月は「古希」を迎える。新たな人生の出発点として今後の自分の生活指針を定める。
 Aまず社会との接点である海IC相談役と、家事調停委員の業務に誠心誠意貢献すること。
 B暴飲・暴食を慎み、健康管理に務めるとともに、水泳・ゴルフをエンジョイしながら永続させる。
 C「同窓会」「会社OB会」「郷里の会」等には極力参加し、外部との交流を広げ出来るだけ柔軟な思考力を維持する。
 D孫との意思疎通を重視するとともに、親戚・家族一同の「和」を高めるよう努力する。
あとはあまり欲張らず、何事にも淡々と対処できる年相応の「平常心」の涵養に努めたい。』
あとで、他の人のと比べてみると何と「年寄りじみて陳腐なもの」かとがっかりしたが、これ以上のことも考えられないのも現実であると納得した。
(写真は今日の休日も散歩した北公園に早くも咲き始めた「梅(紅冬至)」)


12月31日(水)〜1月4日(日)[「長男一家帰省」「女房側一族新年会」] 

今年も長男一家が正月帰省してきた。暦の都合で大晦日から4日までとのことなので、いつものように最初の2晩は我家で、後の2晩は近くの京王プラザホテル多摩に宿泊のことにした。
 31日にまず先日のサンタクロース姿で出迎え孫達を驚かせた。元旦の朝を我家で過ごすのは初めてなので、小生と長男は和服姿で一同神棚に参拝、近くの御嶽神社へ初詣や北公園での凧あげなど正月ムードを満喫させた。(凧揚げ写真参照)
 2日は恒例の90歳の義母を頂点とする女房側一族の新年会が、例年どおり田無の「木曽路」で開かれた。肝心の義母が骨折入院中のため終わってから皆で病院へ見舞いに行ったが、集合写真にはパソコンの技術を駆使して参加してもらった。(写真の右端)今年も1名増加し、総勢27名である。
 3日も快晴の北公園で再度凧揚げ、風具合も丁度よく新規の凧と買い足した長い糸で久しぶり高い空に揚げることができた。見知らぬ人達まで糸を持たせて欲しいと言うくらい見事で、孫よりこちらの方が興奮した。夜は次男家を含め、近くの行きつけの寿司屋で堺一家の会食をして(写真参照)、4日朝多摩センターのホテルから送り出し我家の楽しく長くて短い正月休みは終了した。

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