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8月31日(日)[「第24回染谷知子・独唱会」・「都市対抗野球(敗退)」]

今日は東京ドームで第79回都市対抗野球・1回戦の「三菱ふそう川崎vsJR九州」の試合がナイターで18時からある。

 それに先立ち14時から千駄ヶ谷の「津田ホール」で、去年(7/22)初めて小生も聴きに行った女房の大学同期生の染谷知子氏(現・金沢大学教授)の独唱会(ソプラノコンサート)があるため、こちらを2人で聴き、友人達とその後の懇親もある女房を残し、小生のみ野球(水道橋)に行くということで昼前に家を出た。
 独唱会は、同氏が東京都立高校(富士高校等)の名音楽教師のころからずっと24年間も続いており、区切りをつける意味からも今回をもって最後にするとのことである。毎年これにあわせ同窓会をしているグループ等も多々あり、広い会場がほぼ満席の盛況であった。(写真参照)

 終わって、我が「三菱ふそう川崎」が有終の美を飾るためには“優勝”しかない第1回戦(対JR九州)応援のために張り切って1時間も前に着いた。
そして、選手家族扱いで特別席に案内してもらい早めに入場し、久しぶりウォーミングアップ段階からの観戦となった。しかしながら、相手投手が難物と聞いていたがそのとおりで、試合結果は1対3のあっけない緒戦敗退となった。
 結果的にみれば、『労使一体で、選挙(川崎市議会)に勝ち、野球(都市対抗)に勝って、“ふそう”(トラック・バス)を日本一に』というキャッチフレーズのもと、労務屋としての小生の会社人生の相当部分の情熱を捧げた「三菱ふそう野球」の終焉であった。このことは工場経営の基本思想が“人情”中心から“効率本位・労の軽視”へ転換したことも示している。今は「内部告発」と「コンプライアンス(遵法精神)」の凌ぎ合いの殺伐とした時代とも言える。


8月29日(金)[「相模原豪雨・雷」・「朝顔(3色)」]

今日は出勤日のため、小生は昨夜早目に床に就いた。ところが1時ごろ凄まじい雷鳴で目が覚めた。バケツをひっくり返したような豪雨・雷の音と雨戸の隙間からのひっきりなしの稲妻で寝て居れない状態が数時間続いた。
結局治まってから寝たので、寝過ごして普段より多少遅れて北上野の海ICに出勤した。朝は晴れていたのでそう気にしていなかったが、会社につくと皆に様子を聞かれるし、愛知・岡崎等にも局地的に起ったようで、ニュースの威力であちこちの知り合いからメールや電話でお見舞いをいただき恐縮した。
帰宅し夜、この2階寝室のテレビは当日消してあったのにも拘らず、CATVのチューナーが完全に壊れているのに気が付いた。 我家にも被害があったことになる。早速翌朝電話をすると、同様事件多発で大混雑らしいが近日中に見に来てくれることになった(4台中の1台につき緊急を要さず)。
ところで我家のエントランスの朝顔が、初めて曲りなりにも3色(白・赤・紫)全部咲きそろっているのに気が付いたので、写真で紹介したい。


8月26日(火)[「第13回MBIセミナー(マッキンゼー主催)」]

第13回というが、一昨年(06年)8月に引続きマッキンゼー主催のMBI(企業研修会OB会)のためのセミナーが、同社オフィス(六本木ファーストビル)の9階会議室で開かれたので先着25名の枠内に入り出席した。
丁度、海ICの所用で4時に田町に行きそのまま直行したので、開始1時間以上前に南北線六本木一丁目駅に着いた。駅に直結する「泉ガーデンプレイス」という大きなビルのゴージャスなレストランで夕食を取ってから行った。
セミナーはデイビッド・ヘンダーソンというマッキンゼー・アソシエイト・プリンシパルによる「地球温暖化とCO2ビジネス機会」というテーマである。
資料はすべて英語、勿論講義も英語と気合が入ったが、「今日は初めて日本語でトライします。質疑応答は日本語、難しいところだけは英語を使います。」と謙虚な滑り出しだったが、何と何と素晴らしく流暢な日本語だった。
講義内容も、さすが世界マッキンゼーNO1のこの道の専門家だけあり、説得力豊かなものだった。終わって思いがけず軽食つき懇親会まで用意されており、事前に夕食を取ってしまったのを多少後悔した。(写真参照)


8月25日(月)[「ミュージカル、ミス・サイゴン(帝国劇場)」]

先週、次男家が都合で急に行けなくなったということで、帝国劇場で7〜10月ロングラン公演中のミュージカル、ミス・サイゴンの今日昼(1:30〜)のチケットを貰うことになった。(ポスター参照)
夫婦で楽しみにしていたら、その後突然小生に今日午前中の家事調停が入って来た。それでも終わってすぐ行けば何とかなるかと思っていたが、土曜日夜、九州・沖縄旅行の報告会を兼ねた両家会食の席で、渡されたチケットは当日引換え方式(連名)のもので、ついに小生は諦めざるを得なかった。
女房はその前に、銀座「みゆき画廊」で絵の東原均先生等の「チャリティーグリーティングカード展」を見る予定だったので、そちらも含めた同好の友人を誘って小生と行くよりより楽しんできたようだ。
一方小生はじっくり腰を落着けることができ、ベテラン“相調”の力もあり、一発成立を成し遂げ、2時過ぎまでかかり書類等を完成して帰り、恒例の「水泳」を楽しんだ。


8月18日(月)[「C・J剣道部の集い(第20回)」]

毎年恒例の新橋・クラブジャパンの深江マスターが主宰する「東大剣道部の集い(第20回)」に今年も参加した。
東大道場「七徳堂」で1度でも竹刀を握ったことがある者に参加資格があるユニークなOB会である。
正式なOB会「赤門剣友会」と違った雰囲気もあり、毎年30名位が集まるが、今日は月曜(いつもは金曜)に設定した関係か、10名強と参加者が少なかった。
小生は体重節制中のため海ICの帰りに寄って、早目に帰る積もりだったが、同期の久間衆議院議員が都合で8時過ぎに来るというので、結局彼の帰る9時ごろまで付き合った。 しかし北海道からの久しぶりの後輩と会えたり、駒場寮で寝食を共にしたこの時しか会えない先輩等と飲めたり楽しい会であった。(写真参照)


8月9日(土)〜13日(水)[「新神戸(友人夫妻との会食)」・「亡母・初盆(中津)」・「堺家・九州旅行(別府・阿蘇)」]

8月10日(日)大分県中津市の旧実家(現・甥住居)での亡母の初盆会のため、9日夕方に当家は長男・次男家を合わせ総勢8名が、中津駅前の「グランプラザ中津ホテル」に集結した。
我々夫婦は往きは新幹線「新神戸」駅で途中下車、大学剣道部の同期友人夫妻と昼間会食してからだったが、菩提寺の安全寺で墓参り後(写真右参照)、夕食を姉夫婦・甥一家とホテル前の鱧料理の割烹「丸清」で一緒にした
翌日午前から実家での読経後、初盆参列者でまた「丸清」で会食し、堺家一同は別府のホテル「リゾーピア別府」に移動した。
 別府湾を一望できる和室つきの広々したツインベッドルームに3泊し、11日はJR九州の「あそゆふ観光」バスで阿蘇まで足をのばし、「くじゅう阿蘇国立公園」の雄大な風景を堪能。(阿蘇山頂写真左参照)
12・13日は、「高崎山」のお猿、「海たまご(水族館)」のイルカ・トドのショー等別府近郊観光と温泉気分を満喫し、そのまま沖縄へダイビング旅行へ行く次男家、豊田へ帰る長男一家を見送り、空路で遅く橋本の自宅へ戻った。
しかしながら楽しかった本旅行で、やはり覿面に2sの体重増となり、明日からまた節制を期する必要が生じた。


8月5日(火)[「TOKYO39会(一献の会)」]

三菱自動車・本社の同期有志の会「TOKYO39会」恒例の、夏の“一献の会”がいつもの自由が丘すしの「磯勢」で行われた。ゴルフ会は2ヵ月に1度、こちらは年2回である。今回は故園部元社長夫人をいれても10人と少し少なかった。メンバーをもうちょっと増やそうということにもなった。
しかし、いつものように楽しく和やかに飲み、時間がアッという間に終わった感じがした。「病気」の話はやめようといいながらも、つい話題はそちらに傾くのも致し方なしか。しかし、テニス・ゴルフ・ボーリング・ストレッチ体操・山登り・国内外旅行と小生の水泳の話も含め、皆向上心旺盛である。ただネクタイは誰もしてないので、上野の鰍bICから駆けつけた小生も慌ててはずした。(写真参照)


8月3日(日)〜4日(月)[「江ノ島・岩本楼」・「水泳」]

昨年9月末頃の鎌倉に引続き、女房の米国時代の麻雀?仲間が、今年は江ノ島・岩本楼(写真左)で集まることになっていたようだ。1人ドタキャンで予備人員として強引に連れていかれた。
それでは鵠沼で“自遊人”として謳歌しているMBI(マッキンゼー研修)の仲間の「工房」に寄るという条件で同行した。彼の陶芸作品を発注して、今まで全く知らなかったが由緒(旧岩本院:宮内庁御用達の時代もあり)ある旅館に到着した。幸い麻雀での小生の“出番”はなく、宿の海の見えるプール(写真右)を独占して、雄大に水泳を楽しみ、そのまま名物の「洞窟風呂」や「ローマ風呂」でゆったりできた。
翌日もと思ったが10時のチェックアウト時間を過ぎると、超過料金を取られるので、藤沢で延長戦に入った女房たちを置いてサッサと帰宅し、いつもの相模原北の丘プールで泳いだ。これで5日連続、7月20日からは上野出勤日を除き毎日水泳をしたことになる。なんとかこのまま続け終生の運動にしたいものだ。

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