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3月28日(金)〜30日(日)[「名古屋(花見・39会ゴルフ・孫のお祝い)」]

年2回の「名古屋39会(東大同級生の会)ゴルフ」が29日(土)に、いつもの岐阜・瑞浪の「ベルフラワーCC」で開かれるので、一足早い孫の入園と1歳誕生祝いもすることにして、夫婦で名古屋駅の「マリオットアソシアホテル」に出かけた。28日(金)、天気もよいので少し早めに出て桜の名所「山崎川」と「名古屋城」で花見もすることにした。
満開を予想していったが、7分咲きといったところだった。山崎川で女房は歩きは充分ということで、名古屋城はタクシーで一回りして、キャッスルホテルの最上階のレストランで一服しながら上から楽しんだ(写真上参照)。途中、“八雲マンション”時代、工事中だった八事と本山間の地下鉄名城線「名大前駅」を通過したり、夕食は松坂屋で蓬莱軒の「ひつまぶし」を長蛇の列に並んで食べたり、2人で名古屋の郷愁に浸った。
29日は、トヨタの豪華なゴルフ場で、8時トップスタートで2組8人で絶好の天気のなかゴルフを楽しんだ。(写真左下参照)
小生は先日の「春の椿事」そのままの調子で好調だったが、最後上がりの2ホールで突然乱れ10・9と大叩き。新ペリアで3位となったが、柳の下にドジョウはいなかった。
3時過ぎにはホテルに戻れ、豊田から来た長男一家の孫2人との時間が充分楽しめた。
夕方からホテルのレストランで特別のお祝いパーティをして(写真右下参照)、皆で楽しい団欒の一夜が持てた。30日(日)は女房が東京でクラス会のため、我々は朝食後早々に新幹線で帰途についた。


3月27日(木)[「中山忠彦・永遠の女神展」]

高校(大分県立中津南高)の大先輩の中山忠彦画伯(日展常務理事・事務局長)から、先日「永遠の女神展」(朝日新聞社主催・日本橋高島屋)の招待状が2枚送られて来た。中津の義兄宅に彼が高校時代師事した武田由平先生の版画名作に併せ彼の「絵画集」もあり、勿論郷里の生んだ有名な洋画家であることはよく存じ上げていたのでビックリした。どうも大分県人会関連で贈られたものと思う。(ポスター・写真参照)

喜んで今日所用で東京に出た女房と夕方、海ICからの帰りに落ち合い観にいった。日曜日の夜NHK「新日曜美術館」でも放映されたが、良江夫人をモデルにした優雅な気品のある独特のテーマを確立されている。
日展初入選作品から最新作品までの代表作70点、素描・リトグラフのほか、作品制作のために収集した貴重なアンティークドレスや装飾品等堪能させて頂いた。帰り久しぶり「丸善」の名物“早矢仕ライス”を食べて帰った。


月25日(火)[「さがみ秦野会ゴルフ(春の椿事)」]

年2回の「さがみ秦野会(三菱重工相模原工場OB有志)ゴルフ」が、いつもの我がホームコース東京CC(秦野)で開かれたので出場した。小生は5日の冬眠明け後、母の葬儀で2度のゴルフをキャンセルしていたので、今日で今年2回目である。天気は絶好で名物の富士山もくっきりだった。(写真左参照)

会員は100名ほどおり、いつも10組程度の大コンペだが今日は最終的に8組31名と比較的少なかった。しかし、幹事になると大変である。
小生はオフィシャルハンディの19で出ているので優勝の心配はないが、前回のようだとブービーになる恐れがあるので気合を入れてやった。失敗も多かったが前半44、後半48、計92と上出来でネットで優勝者と1打差の3位となった。次回ハンディも1減らされ18となり嬉しい「春の椿事」の1日であった。(写真右は懇親会風景)


3月21日(金)[「参議院議長室及び公邸見学」]

以前から大学教養部クラスメートの江田五月参議院議長にお願いしてあった、議長室の見学が今日実現した。おまけに公邸まで見学させてもらえることになった。母の葬儀にわざわざ弔電を頂いたお礼の電話がきっかけで、彼の議長就任以来の懸案が一挙に解決した。まったくの“物見遊山”が目的なので、海ICの芳賀社長の車の定員一杯の4人で、あつかましく伺った。
折からの「道路特定財源関連法案」で議会は難航の最中で、議長室前で記者団のフラッシュの一斉放列を浴びたり、めったに出来ない体験をした。ついでに悪乗りして「参議院予算委員会」の傍聴までして、一行少々興奮・感激をして帰社した。(写真は公邸・議長執務室での記念撮影)


3月20日(木)[「結婚40周年」・3月度「Lの会」]

今日は結婚40周年記念日だが、夜3月度の「Lの会」(旧潟梶[ドテックの部長以上月例OB会)があるので、昨日2人とも東京に行く予定から、夜どこかで落合って豪華な会食の予定としていた。しかし、天気も悪く結局、最寄の橋本駅のmewe内のいつものイタリアン・レストランで祝杯を挙げて帰った。

「Lの会」の方は、祝祭日なので候補日と思っていなかったが、三菱関連者は出勤日ということで設定されてしまった。文句を言いたい所だが、毎回同じ状況の人も数人いることを考えると仕方なく、6時に間に合うよう自宅からいつもの田町の「和民」へ休日出勤?をした。さらには、母の葬儀には「弔電」も頂いていたので御礼を言う必要もある。常連5人が雨の中集まり楽しく飲んだ。風邪で2回連続欠席した最長老も元気に出場、相変わらず辛口のジョークを発していた。(写真参照)


3月15日(土)・16日(日)[「相模原北公園(梅)」]

朝日新聞の15日朝刊で、近くの「北公園」の梅林が“見頃”と報じられた。前から見ているが今週末は、ウォーキングも兼ねて夫婦で連日行って来た。勿論、梅は最高、天気もよく新聞記事のせいか人出も多かった。

さらに、園内に4・5本ある早先の桜「小彼岸桜(本HPの関係かどうか知らないが、火曜日に『オカメ』と変更してあった)」と「寒緋桜」は土曜日つぼみだったのが、日曜日は咲き始めており植物の季節感に感心した。お陰で小生は2日間とも1万2千歩を達成出来た。(写真は新聞に載ったのと同じしだれ梅の木)


3月13日(木)[「平成研究会セミナー」・3月度「2木会」]

今日は海ICに久しぶり出勤した。夜、久間元防衛大臣の所属する「平成研究会(自民党津島派)」の“セミナー(資金集め)”がグランドプリンスホテル赤坂(通称・赤プリ)で開かれるので、芳賀社長と出席予定だったが、社長が資金後援する「三浦雄一郎氏のチョモランマ登頂壮行会」と重なったため、執行役員と2名で出席した。公明党の太田党首・森元首相等他党・他派の大物政治家達の挨拶の後に、「堺屋太一氏」の講演らしきものがあった。(写真参照)
丁度、日銀総裁やドル安等経済界の混乱時だけに普通なら時宜を得たものだが、時間に制約もあり、自民党及び派閥への「エール」といったものだった。

大混雑で立食テーブルにも近づけないのを幸いに中座し、新橋クラブジャパンの3月度「2木会」(大学月例クラス会)に少し遅れて参加した。いつもの常連5人で楽しく飲んで帰った。来月は年次総会なので大勢集まるだろう。


3月6日(木)〜10日(月)[「母永眠(通夜・葬儀・法要)」]

6日(木)午前の調停が終わり、午後の調停開始直前の昼食時に、大分・中津市の義兄から「午前9時過ぎ、母・勝子死亡」の第1報が入った。 仕方なく、いやに永く感じた調停を終わってから、自宅であちこち関係先に連絡をとり、7日朝新幹線で帰ることにした。
7日(金)昼過ぎ到着、仮通夜の実家から通夜・葬儀・法要の会場「中津紫雲閣」に御棺を移送、7時から通夜、多くの親族が集まってくれた。小生の作った母の「白寿記念のアルバム」を当家菩提寺の曹洞宗・安全寺の方丈が見ており、説教の中で大層褒められた。その夜小生と義兄が会場で母と同宿。姉と女房はホテル泊となった。戒名は父と対の“智徳院禅月勝圓大姉”である。
8日(土)は11時30分から葬儀、1時から中津市・風の丘葬斎場で荼毘に付され、満98歳数え年100歳の母は逝ってしまった。
土曜日だったこともあり、遠方の子・孫・曾孫も全員そろい、地元の多くの親戚に囲まれまさに「大往生」であった。夕方4時から都合のつく全員に参加してもらい「初七日」の法要も盛大に行うことができた。(異例の出棺前の集合写真参照)
9日・10日は、名古屋に帰る長男一家に中津案内をしたり、諸関係先への挨拶や手続きを終えて相模原に帰ったが、こちらも今後「さがみ野霊園」の新墓への分骨埋葬手続き等で大変そうである。


3月1日(土)[姉「回想録」・「ホームコンサート(大木裕子ピアノ)」]

 母の「白寿記念アルバム」に続き、郷里(大分県・中津市)に住む姉・岡松京子の「回想録」を小生が“監修”して発行することにした。アルバム編集と併行しながら(アルバム優先)数ヶ月間の悪戦苦闘の末完成、今朝身内7家族に限り橋本郵便局から発送(謹呈)した。(A4・約50頁:表紙写真参照)
 姉が母の米寿記念に書いた「回想録」に刺激?されて書きはじめ、2・3年前に見てくれと頼まれていたが、データでなくワープロ書きの文書であったこともあり、放ってあったもの。アルバムの参考にしていたが、それとの整合性をとる必要もあったが、母の一生、満州、引揚、その後の姉弟の生活ぶり等「回想録」として子孫に残す価値もあると思い、会社の文字読取ソフトでパソコンに取り込んでもらい、姉の文を小生が監修という形で完成させたもの。

 すっきりした気分で、女房の大学の先輩が自宅(野田市)で開くホーム・コンサートに、天気もよいし往復6時間かけて遠足気分でお邪魔した。
夫君がまた小生の大学クラスメート、このところ夏の草津国際音楽祭も夫婦で御一緒している仲である。
 今回で7回目ということで、30人位の常連が集まっていた。友人一家のニューヨーク時代の父兄仲間である、大木裕子さんというプロのピアニスト(日本各地で演奏会開催中)のコンサートで円熟した味わいのある素晴らしい演奏に酔いしれた。
終わって今度は本当のビールやワイン、ホスト家手製料理の大御馳走になり、小生はさらに酔ってよい気持ちで往きのインターネットで調べたコース(大宮まわり)は当家には不適合ということがわかったので、帰りは「つくばEX」を利用して帰った。1日で神奈川・東京・埼玉・千葉と1都3県を移動した。

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