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12月29日(金)[海IC・納会」]

今日は海ICの仕事納め、原則木曜日の出勤日をずらして出勤した。他の顧問も同様なので、12時から会議室で開かれた恒例の納会は、背広姿の“老人”比率が目立った。
小生は、今年は年明けから色々あったが「社史」編纂で明け暮れた1年だった。午前中に最終的となる2007年1月1日付けの、社員配置表の原稿を出版社にメールで送り、来年は校正のみとなる。後は出版社に頑張ってもらい予定どおり2月中に発刊できることを願うのみである。最後に、来年が良い年となりますように・・・・。(「編集後記」用に撮った我が狭い執務室から)


12月25日(月)[海IC協賛「都響・第九コンサート」]


今年も早くも年末、恒例の海IC協賛の東京都交響楽団“第九”コンサートが夜7時から上野・東京文化会館で催された。今年は役員でないため、入口で招待客に挨拶する役目から外れたので、女房の分と2枚入場券を早々もらい小生は影武者的役割を受け持つことにした。
ところが間際になり客先からの追加リクエストが相次ぎ、役員の入場券がなくなったと聞き申し訳なく思ったが、当社買占め席の空席に座れば大丈夫と言うことだった。しかし、当日社長発案で急遽入場時の挨拶後、外部での「役員忘年会」に切り替わったので、会社社員関係者で「第九」を堪能したのは我が夫婦だけということになった。
オーケストラはいつものジェイムズ・デプリースト指揮で少し堅い感じがしたが、「合唱」は二期会合唱団で毎年のことながら素晴らしかった。(写真は入場時役員挨拶の風景)


12月21日(木)[「フランス料理」(ロイヤルパークホテル)]

海ICの芳賀社長から、「今回は小泉前総理も出席するらしいが、ロイヤルパークホテル(箱崎)で“300Kcalのフランス料理フルコース”を食べるディナー・サロンがあり、自分は行けないので代わりにご夫婦で行って下さい」と1人1万5千円也の券を頂いた。
丁度、女房も昼に銀座方面に来る予定もあり、喜んで待ち合わせて参加することにした。
「小泉」は料理評論家?で有名な東京農大の小泉武夫教授の間違いとすぐ分ったが、ホテルと医療法人社団「こころとからだの元気プラザ」が共催で、9月から毎月実施、今回で4回目の、岩月明という世界的?名シェフによる低カロリー・低塩分の健康的なフランス料理フルコースを楽しむパーティーということが説明を聞いてわかった。
会場の「有明の間」に大勢の紳士・淑女が集まり、ワインは飲み放題でシェフの詳細説明と小泉教授の漫談風のスピーチを聞きながらゴージャスな夕食を夫婦で楽しむことができた。(写真参照)

(余談)[翌・22日(金)]
朝、体重はジャスト69kgでワインを沢山飲んだわりには問題なし。昨日でCIC「社史」の原稿も一応全て完了。年賀状を投函した後、12時すぎの「九沢小」終業日の一斉下校のボランテイアを終えすっきりした休日である。(女房は外出中)


12月19日(火)[MBI「渡辺貞氏のセイモア・クレイ賞」受賞祝]

MBI(マッキンゼー研修同窓会)のメンバーである渡辺貞氏(元NEC)が、スパコン生みの親の名を冠した米学会賞「セイモア・クレイ賞」を日本人で初めて受賞されたので、有志が集まり祝賀忘年会を銀座8丁目の「活水料理やまと銀座店」でやることになったので出席した。33名が集合した。(写真参照)
彼は98年にコンピューター界のノーベル賞といわれる「Eckert-Mauchly賞」も受賞しているので、スパコン関連の大賞を独り占めしたことになる。
現在は、国が始めた次世代スパコン計画のリーダーとなって、米国製に抜かれた世界一奪還を目指している。しかし、出席者が皆さん言うとおりそのような“大それたお方”とは全く思えないお人柄である。
我が女房は欠席したが、夫婦ともどもで毎春、調布の野川公園の通称「MBIの木」の下で車座になって花見をする気さくなお仲間といえる。


12月18日(月)[「TOKYO39会・忘年会」]

三菱自動車・本社の同期有志の会「TOKYO39会」は奇数月がゴルフ会・年2会が“一献”の会である。今日はその忘年会が、自由が丘の「すしの磯勢」で行われた。16人のメンバーの内13人(故園部社長夫人を含む)が出席した。
会の歴史は案外古く、米国駐在経験者グループが中心でバス関係者さらには東京・名古屋・京都・水島各製作所出身のその仲間が適当に入り混じった楽しい会でもある。最初は数人で始めたものだが、だんだん増加傾向にある。とにかく楽しく飲んでアッと言う間に3時間以上が経ってしまった。(写真参照)


12月17日(日)[「ミニコンサート」(青葉公会堂)]

近所の人に頼まれて、女房(副社長)がまたピアノを教え始めた。今日は友人のピアノ教室の「クリスマスコンサート」(市ヶ尾・青葉公会堂)にその生徒達を加えてもらい、小生もそのプログラム作成を手伝ったので、後半迎えがてら行ってみた。
その名のとおりの、まさに「ミニコンサート」であったが、皆それなりに一生懸命練習した成果を演奏しており、30年ほど前、我が息子たちが生徒の一員だったころを懐かしく思い出した。(写真は女房伴奏の全員合唱)
昔は、「ピアノ教室」は税務申告等大変だったが、今は当社の定款にものせてあり、れっきとした“社業”である。しかし積極的に拡大するつもりはない。


12月14日(木)[12月度「2木会」]

これまた“忘年会”を兼ねた、大学教養部の月例クラス会「2木会」が、いつもの新橋・クラブジャパンで開かれた。会員制クラブで、かつ我々は常連中の常連であるが、この時期は小生が18時の定時刻に行った時すでに満員。やっと7人の座席を確保してくれた。(後半はいつもの定席にかえてくれたが:写真参照)
いつものメンバーが所用で数人欠けたが、新顔も登場し話題も広範囲となってこれまた楽しい忘年会となり、時刻を大幅にすぎた10時前解散となった。


12月13日(水)[12月度「Lの会」]

旧潟梶[ドテックの部長以上のOB会「Lの会」の12月度例会は“忘年会”ということで、いつもの和民グループの中で高級店とのことの新橋「然の家」で開かれた。
ところが、肝心の釜a民の重役を子息に持つK氏が体調不良とのことで急遽欠席。しかし久しぶりに紅一点のA嬢が出席してくれたので、1年の締めくくりに相応しい楽しい会となった。(写真参照)
口の悪い連中なのでK氏は「ノロウイルス」にやられた事にされたが、そのため11月に彼も含め有志4人でいった「高山・白川郷・郡上八幡」の旅の話は、アルバムだけで新年に持ち越しとなった。次は京都と夢は飛んだが、とりあえずは逗子の重工・湘南荘でやろうという話に落ち着いた。
2時間では別れ難く、帰り全員で新橋駅前の「驛舎珈琲店」により2次会を楽しんで帰った。


12月12日(火)[「久間章生君を囲む会」]

「久間章生・朝食勉強会(年3回)」の“忘年会”ともいえる「囲む会」がホテル・ニューオータニで18時から開かれたので、海ICの芳賀社長と出席した。

防衛庁の省昇格が目前なので、明確に口に出せないなんとなく祝賀ムードの会といった雰囲気でもあった。
挨拶も同じ東大剣道部の先輩である辻丸紅会長と東北楽天イーグルスの野村監督の2人がメインで、政治家で唯一人出席の麻生外務大臣は友人としての話をしただけという「政治パーティ」らしからぬあっさりしたものであった。(写真挨拶する久間防衛庁長官)
芳賀社長がそのまま大阪出張なので、久間君と長官最後となるであろう2ショットの写真を撮らせてもらい早目に退出した。


12月8日(金)[油絵「ウインドウズ1」(東原均・絵)]

去る11月30日、女房が町田の絵画教室の先生の鎌倉の個展に行き、「すごーく気に入った油絵があったので買ってしまった」と話していたが、今日家に送られて来た。(写真参照)名古屋の時の先生の絵もあるので記念になってよいのではないかと思っていたが、値段は1回海外旅行に行ったと思えば良いぐらいだという。まあ先日の海外に絵を描きに行く高校の同級生のことを考えるとこちらの方がずーと良いと納得した。
しかし、実物を見るとあまりにも題名のとおりである。女房にいわせるとこの微妙な白い色が良いのだそうだ。じーと見ていると何か見えて来て、飽きないのだそうだ。まあ、壁に高い窓を1つあけたと思い、あとは値上がりして資産価値が上がるのを待つことにしよう


12月2日(土)[「同窓生の集う駒場の第九」]

和田薫幸会の石川会長(中津市出身の経済界の巨頭・和田豊治氏のお孫さん)から、東京都立駒場高校(旧第三女)OB中心の「第九コンサート」のチケットを頂き、会長も合唱に出演するというので東京オペラシティ・コンサートホールに、夫婦で昼過ぎ“花束”を持って聴きに行った。というのも女房も同校出身で会長は大先輩に当たることによるからである。
歳末助け合い運動のチャリティでもあったが、NHK加賀美アナウンサー(司会・朗読)はじめOB・OGのプロの音楽家(指揮者・独唱者等)さらには慶応大学のワグネル合唱団等が出演する本格的なものであった。

第二部はバス・バリトンのOB・門屋留樹(愛称Mecki=ハリネズミ)氏による「クラポップ」という癒し系ニュージャンル?の構成となっていた。 女房も数人の同級生や知合いと会えたようで、自分のルートで来た案内は断っていたようだが行ってみて良かったと喜んでいた。(写真はオペラシティの大クリスマス・ツリー)


12月1日(金)[「12月・重工39会ゴルフ」]

今年から“真夏”と“真冬”のゴルフは止めようと決めたので、小生にとっては今日が「06秋」の最終ゴルフとなった。いつものように三菱重工の東製の同期生10人及び横船の同期生2名・ゲスト4名の4組16名で、小生のホームコースでもある東京CC(秦野市)で開かれた。ポカポカ陽気の絶好のゴルフ日和のもと、春の最終戦(7月7日)は力が入りすぎ自滅したので、淡々とすることを心掛けたら、フロント・バックとも50を切り96と小生としては上出来の結果となった。 皆から「続けてやりたくなった」のではないかと冷やかされたが、来年3月に再開することを終了後の“忘年会”で約束し、大枚のチョコレートも頂き気持ちよく帰宅した。(写真はスタート前)

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