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9月28日(木)〜10月1日(日)[「中津(老母見舞)」・「名古屋(ゴルフ・孫)」]

初めて北九州空港を使って、大分県中津市の介護施設「三光園」に入院中の10月に97歳となる老母を夫婦で見舞った。28日はいつものように寝たきりで、何の反応も見せなかったが、翌朝は丁度“車椅子”のところに出くわし、親切な介護士の誘導もあり、気のせいか眼が我々を追っている様にもみえた。姉夫婦と記念撮影もしてもらった。(写真左参照)
その足で今度は新幹線で名古屋に向かい、いつもの名古屋駅の「マリオットアソシアホテル」に泊り孫と久ぶりに交流した。ただし、長男は米国出張の期間が延長に延長で帰国できず、嫁と孫が一緒に泊ってくれた。さらに、当初予定の「名古屋39会(東大同期会)」のゴルフの日程も会場の都合等で変更となったため、30日(土)は急遽、河添元三菱自動車社長等米国・名古屋自動車製作所の旧友と、愛知カンツリー倶楽部でプライベイトな楽しいゴルフとなった。(写真中参照)パー74と難しい名門コースで名古屋時代も苦労したコースだが、絶好の天気にも恵まれほぼ100近いスコアで小生としては満足すべき結果だった。後は徹底したジジ(ババ)馬鹿ぶりを発揮し、孫と大いに楽しく食事をし遊ぶことができた。(写真右参照)


9月27日(水)[「ポーラ(Ms.Paula Schildt)さん来日」]

小生が米国[DSM(ダイアモンド・スター・モータース)→MMMA(米国三菱自動車製造)]駐在中から現在[MMNA(北米三菱自動車)]も歴代社長・副社長の秘書のポーラさんが友達のバーブ(Ms.Barb Taylor)さんと2人で1週間強のツアーで日本にやってきた。

京都でも2組の御夫妻が案内役をされる予定らしいが、東京では今日19時に宿舎のヒルトンホテルに至近距離の新宿住友ビルの50階の中国料理「秀山」に関係者が集まり、歓迎会をすることになった。1987年頃から約20年間に亘るので、小生が2代目グループとなるが、奥さん方も含め16名もの大勢が集まった。名古屋等遠方からも河添元三菱自動車社長等が駆けつけ、我々日本人にとっても楽しいOB会となった。ただ最近の人や、真に英語の上手い人は良いが、小生のように帰国後10年も経ち英語を忘れかけた人間にとっては、話を聞く分には問題ないが、気持ちが半分ほどしか表現できずもどかしい感じもした。(写真参照)


9月23日(土)[「相模原市立麻溝小学校・運動会」]

昨年は雨で流れてウィークデイになり行けなかったが、今朝は絶好の秋晴れなので、次男の嫁が先生をしている「相模原市立麻溝小学校」の運動会を夫婦で見に行くことにした。
昨日帰りに親切なタクシーの運転手が良い駐車場を教えてくれたので、念願のナビ付の車を運転していくとJR相模線「原当麻駅」そばの学校は非常に近かった。田舎の風情を残す運動会で、学校の指導には相反しているが、狭い構内は宴会用の敷物で一杯であった。(写真参照)
そういえば、日の丸・君が代の東京地裁の判決は理屈では分るが、こういうような微笑ましい雰囲気を「法律上で表現」出来る様な素晴らしい裁判官が出ないものですかね。
しかし、判決で暫くの間は元気づくと思うが、法律で良し悪しを問う以前に、そのような問題を起こす「飛び跳ねた先生」が、少し我慢すれば済む話だと思うが・・・。「相撲」は当然、最近はアメリカを真似て「プロ野球」も国歌を歌うようになったが、そういう時はその先生方はどうするのですかね。1人頑固に座っているより、やはりまわりに気兼ねして立っていると想像するが・・・・・。


9月20日(水)[9月度「Lの会」]

8月を飛ばしたので「待ち通しかった」という声とともに、和民グループの新橋のガード下の「然の家(ぜんのや)」というところで、最近の固定メンバー7名が集まり、9月度の「Lの会」(潟梶[ドテックOB会)が始まった。完全リタイア組にとっては、“東京”にくる貴重な1日になるらしく、朝早く出てデパート・美術館等1日用事を足してから来るらしい。うち1人は有名?な風呂屋に行き、上がりにすでに一杯やり、これが効き過ぎたとのことで、ウーロン茶から出発していた。

11月初旬に内4名が高山に行きたいとのことで、小生は不参加だが三菱自動車健康保険組合へ「高山荘」の予約をすることも頼まれた。「和民グループ」では高級店とのことで、店員はすべて日本人、メニューも凝ったものが多い。店の風情もよいので玄関先で記念撮影をすることにしたが、人の出入りが多く苦労した。(写真参照)楽しく飲み、時間制限もそう厳しくないので予定時間を大幅にオーバーして解散した。


9月19日(火)[ゴルフ再開「さがみ秦野会」]

7月7日をもって真夏のゴルフを避けていたが、今日から再開した。小生のホームコース「東京カントリー倶楽部(秦野)」に属する、三菱重工・相模原工場関係者のゴルフ「さがみ秦野会コンペ」に、初めて参加させてもらった。
大先輩から後輩・現役まで100人ぐらいメンバーはいるらしいが、年1回で毎回約10組・40名を目途にしたコンペで、今回は11回目だそうだ。

しかし、今日は元大幹部の葬儀と重なり、急に8組30名となり幹事は大変だったらしい。小生は「会長」の推薦で、特別に入れてもらうことができ、好天気に恵まれ久しぶりのゴルフを楽しんだ。10・9・8と3箇所で大叩きしたが、50・49=99とまずまずの出来だった。おまけにオフィシャルの19のHcpで出たら19位で「当日賞」及び「NP賞」で、思いもよらない賞金まで頂いた。それで帰り道、町田の「東急ハンズ」に寄り、金曜日に自分の全くの不注意で失くし、1度は諦めた最新式の「万歩計」を買い直した。(写真は表彰式)


9月14日(木)[9月度「2木会」]

今日は大学教養部の月例クラス会「2木会」が、いつもの新橋烏森口近くのクラブ・ジャパンで開かれた。このところ、6月は5名、7月は小生も欠席で3名、8月も4名と低調だったが、今日は8名とまずまずの出席率だった。「オウム真理教」から日本の仏教各宗派、さらには「キリスト教」・「イスラム教」等と話題が広範囲に及んだため、先月のコンピューターの大学教授の論客も静かだった。珍しく貸切状態で大いに落ち着いて話ができた。後半いつものシャンソン歌手が加わりダンスまで出て、楽しく時間を大きくオーバーして終了した。(写真参照)


9月12日(火)[「東京野田会(セミナー)」]

大学同期生の野田毅自民党衆議院議員の「東京野田会」セミナーに何年かぶりで出席した。いつも案内は受けていたが、都合のつかない日が多く欠席していた。たまたま今回は海IC芳賀社長と先日の“同期会”の話をしていて、2人で出席しようということになったもの。ところが社長の方が急に北海道出張となったので、結局社長の長男の英武課長と出席し野田君に紹介した。

今回のセミナーは13時半から新橋の第一ホテルで、講師竃村総合研究所・主席研究員のリチャード・クー氏による「内外から見た日本経済」がメイン講演であったが、折りしも野田君がポスト小泉の総裁候補の1人“谷垣禎一”氏の選挙対策本部長に就任したばかりだったせいか満員の盛況であった。(写真は挨拶する野田代議士)また、会場で野田君の実兄で東大駒場寮・剣道部室の小立諦先輩とも久しぶりお会いすることも出来た。


9月8日(金)[「だだちゃ豆納涼大会」・「MBIサロン」]

海IC恒例の「だだちゃ豆・納涼大会」が、本社会議室で5時半から行われた。小生も出勤日を昨日と振替え参加したが、普段出勤日の違う「顧問軍団」が大勢出席した。芳賀社長の故郷から直送のものだけあり、においも味も市販のものと一味ちがう。社長自ら120kgを千葉研修センターの厨房で朝から茹で上げ、1日かけてお得意様にもお裾分けする。たらふく食べて各人毎お土産まで頂く。(2004/8/20及び2005/8/26参照)

たまたま、月例の「MBI(マッキンゼー研修OB会)サロン」が今日六本木のステラハウスで開かれており、長い間御無沙汰しているので帰り道にもなるし、終盤“顔を出す”約束をしていた。だだちゃ豆パーティ終了後駆けつけると8時過ぎには出席できた。
また、美味しいワインとフランスパン等の御馳走に預ったので、明朝の1kg以上の体重増加は覚悟の上の1日となった。メンバーはなんと7人中5人が三菱重工・自工出身者であったが、楽しく交流し帰宅した。(写真右参照)


9月7日(木)[「屋根工事終了」]

約1ヶ月かかって、屋根の葺き替え工事が終了した。屋根がシルバーのトタンからブラウンのステンレスに、樋が丸型から角型に代わり、気のせいか家が少し引き締まって見える。軒下もすべて金属板で包んでくれたので未来永劫はオーバーにしても、今後15年〜20年はメンテナンスは不要とのことである。裏の森も伐採して少し開けたので、この際あまり見たことのない庭側からの我が家も撮影してみた。(写真参照:右はステンレスの屋根)


9月4日(月)[「JR東日本・準決勝敗退」]

 今朝、「JR東日本」の堀井監督に激励の電話を入れたら繋がった。どうせ今日は準決勝を見に行くつもりで、午後社外で仕事の予定を立てていたので14時からの準決勝・第1試合「JR東日本vs日産自動車」の応援に、仕事の都合で前半だけだが行くというと、特別席を用意してくれた。試合は生憎、日産が初回3点先取し劣勢となった。途中退席したので、帰宅してインターネットで見るとやはり6対1で敗退していた。しかし、チーム自体はこれから発展しそうな雰囲気であり、来年以降を期待したい。またCATVで第2試合を見るとこれも昨日の「日本通運」が「TDK」に負け、小生の希望的予想は完全に外れた。今年の小生の都市対抗野球は、決勝戦を待たず1日早く終わったということか。


9月3日(日)[「在京中津会」・「三菱ふそう川崎・準々決勝敗退」]

  今日は11時半から、九段下のホテル・グランドパレスで「在京中津会」が、14時から水道橋・東京ドームで都市対抗野球・準々決勝「三菱ふそう川崎vs日本通運」があり、日曜日の外出にとっては好都合の日程であった。

「在京中津会」は年1回、中津出身者ならだれでもよいという会で今回で13回目だそうである。小生も大学の後輩である新貝現中津市長の選挙を応援するため「中津東大会」のメンバーとして参加したのがきっかけで3〜4回目ぐらいである。最近は同時に参加した、仲間の鰍ンずほファイナンシャル・グループの前田社長等の“効果”もあり、倍々ゲームで出席者数も増えて今日は最高の100人超とのことであった。中津から来た新貝市長の「市政報告」と前田社長のいつもながらの軽妙な「卓話」に出席者も満足していた。(写真は両氏を含んだ出席した「中津東大会」関係者)

小生は早目に退出し東京ドームに直行した。昨年も準々決勝で当たり苦戦した「日本通運」と期せずして同カードとなった。心配が図にあたり、大接戦の末サヨウナラ負けを喫した。まあ、トラックの大ユーザーへ花を持たしたと思えば良しだ。
かくなる上は「三菱川崎及び岡崎」の出身で、かつ我が夫婦が仲人を努めた堀井哲也君が監督の「JR東日本」に是非優勝してもらいたい。そのためにも決勝で当たることになれば「日本通運」も、我が社と同様商売上の“気配り”をしてほしいものだ。


9月1日(金)[「顔写真」・都市対抗野球「三菱ふそう川崎(2回戦)」]

 今日は昨日の木曜日に替え、海ICの出勤日とした。午後所用で神田に行ったついでに三越・本店で先日撮った顔写真のCDを受け取り、東京ドームに1時間ほど寄り、都市対抗「三菱ふそう川崎」の2回戦を見て、夜の接待のため上野に帰社した。
「顔写真」の方は、当日不満そうだったためか若干の修正を加えてくれた。勿論追加料金も取られたが、元が悪いのだから仕方が無い。一応10kg減量が顔にどう影響するのか、“使用前(写真左:03/3月銀座・松屋)”と“使用後(写真右)”を比べてみた。
都市対抗野球「三菱ふそう川崎」の2回戦は、対新日鐵・広畑。昔は歯が立たなかったチームだが、今は調整相手として丁度よい。新日石からの補強投手を試していたが、何とか持っていた。1時間強見て5対0となった時点で帰ったが、やはり後続の投手が打たれ5対3で終わったらしいが、垣野監督の計算どおりだろう。ベスト8となったこれからが本大会だ。

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