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6月28日(水)〜7月1日(土)[「社用ゴルフ(酒復活)」「決算処理」]

6/28・7/1の両日、海ICの “社用ゴ ルフ”で芳賀社長(Hcap5)のホームコースの「藤ヶ谷CC」(千葉・柏:写真)でプレーした。
事の性格上、メンバー及びスコア等は秘密とするが、両日とも天気予報は最悪であったが例によってまずまずのゴルフ日和となり、コースも最高、緊張しながらも楽しくプレーできた。さらに、昼・夜と久しぶり生ビールの本物を数杯美味しく飲んだ。つまみも食べるのでやはり翌朝は少々太り気味となる。従って次の日の節制が重要ということも認識した。
また、潟{ーダーコムの第5期(5月末締:実質丸4年)の決算確定版が江田税理士事務所から送られて来たので6/30(金)に、銀行で納税、相模原税務署等に一連の届出業務をおこなった。偶然にも月末日のため、市役所・県税事務所関連も税務署で一括して出来ラッキーであった。
またこの機会に会計ソフト「弥生会計」の3度目のバージョンアップ(06プロフェッョナル)を行った。まさに「ヤミクモ」といった感じで使っているが、丁度「05プロフェッショナル」のバックアップがガタガタになったのと、会社法改正で決算書も変更となったのでグッドタイミングだった。あと3万円ほど出すと「ハイバーサポート契約」というのがあり、困った時教えてくれるらしいが、こちらは「聞く事」さえ分らない。電話で一言イヤミを言って「ヤミクモ」流を続けることにした。我々無知組には「悪徳商法」的とも思える、ライブドアをもう少し痛めつけて欲しい気持ちだ。


6月26日(月)[「定期検診(東京慈恵医大病院)」]

今日は東京慈恵医大病院(西新橋)に約3ヶ月に1度の定期検査(血・尿)の検査結果を聞きにいった。「医学的に何等問題のない数値です。10kgの減量はこんなに効くものですかね」と担当の先生が感心してくれた。
小生の検診は主治医の鈴木内科・循環器科(橋本)で、投薬と主に血の濃さ等、血圧・心臓関係が毎月。年1回の夫婦での橋本・協同病院の半日人間ドック(昨年度予定の今年1月が入院となったので、今年度は7月)。それに“痛風もどき”の縁で田町時代からの3ヶ月に1度(途中一時中断あり)のこの検診(腎臓・肝臓等中心)の3本立てである。体重は目標の60kg台にあと一歩、丁度保健師さんの言った7月には達成するので、「今度は10月初めに“酒・復活後”の検査をしましょう」と先生にニヤリと笑われた。


6月24日(土)[「在京大分県人会・春季総会」]

「在京大分県人会」は三菱自動車の課長時代には会員登録していたが、米国駐在中に消えていた。今年4月に大分県にゆかりのある人が海ICの役員になり、「県人会」に入るというので小生も再度入会した。

今日、その平成18年度春季総会が“椿山荘”で開かれたので2人で出席した。彼は仕事で長年大分県にいたわけで、生粋の大分県出身というわけでないので座席は小生と同じ「中津市」の席に座らせた。地元から知事・県会議長・数名の市長が出席し、ゆかりの関取やタレントが出て最後は豪華な福引まであり200名以上が出席する大掛かりなものだった。
中津関連の高校の同窓会で顔見知りの人も多かったが、名簿から期待していた人が皆欠席していたのは残念であった。大分県選出の国会議員が到着順に紹介されたが、皆若いのでびっくりしていたら、元・前議員だけが本物で後は全部「秘書」だと教えられ納得した。(写真は挨拶する広瀬大分県知事)


6月21日(水)[相模原北公園「あじさい」]

「あじさい」は相模原市の花でもあるが、我が家から歩いて10分の北公園のあじさいは、東日本で2番目だそうだ。昨日、女房が学生時代の友達を誘って見にいったら良かったらしい。

それで、天気はどんよりとしてあまりよくなかったが「あじさい」には相応しいので、今日小学校のボランティア活動の後、買物の途中2人で行ってみることにした。天気・ウィークディにもかかわらず結構な人(&犬)出だった。期待した「万歩計」が電池のせいで消えてしまったのは残念だったが、まずは休日の風流な散歩を楽しめた。(写真参照)


6月20日(火)[6月度「Lの会」]

今月の「Lの会(潟梶[ドテックOB会)」は小生の勤務先(海IC)から歩いて行ける上野駅浅草口前の「和民市場」で開かれた。いつもの品川駅港南口の「和民」より少し高級とのことである。料理も酒の種類も少し違うらしいが、節酒・ダイエット中の小生にとってはあまり関係はなかった。
6名が集まったが、内4名が6月始めに2泊3日で尾瀬に行ったのでその報告で持ち切った。天気もよく、泊った山小屋の温泉・お酒それに世話をしてくれた女性がよく、帰りによった日光の華厳の滝と昼食のライスカレー等すべてが良かったらしい。写真も沢山見せてくれた。夏は北アルプスに行こうという話しで誘われたが、夏はゴルフでさえ断るつもりなので丁重にお断りした。尾瀬行きを“歯痛”のためドタキャンの1人と分けたジョッキ半分の生ビールをなめなめだったが、楽しい飲み会であった。(写真参照)


6月19日(月)[「ホームページ改修と所感」]

本欄の年・月毎の集約は本HP製作元の旧MAE(三菱自動車エンジニアリング)のIT部門にお願いしていたが、MAEが会社改編等の結果今年4月且O菱ふそう本体に吸収されややこしくなった。月毎の纏めはすでに教えてもらい出来るようになったが、「2006年」で年毎の方も自前でやれる様、今年に入ってからずーとお願いしていた。しかし、何せ担当者も「超多忙」で半年が過ぎてしまった。
さらに「御意見欄」がご承知の方もおられると思うが、国内外からの“自動プログラム?”による迷惑メールで蹂躙されるようになったので、廃止も視野に善処方も併せて願いしていたら、この週末やっと担当者の“個人的サービス”によりご覧のとおり改善された。今後マニュアルどおり自分で出来るか多少の不安は残るが感謝!感謝!である。
世の中「ブログ」ブームとのこと、言葉さえ知らなかったが色々他人から言われたり我ながら逡巡することもあるが、一途に自分自身のために続けているだけである。しかし、「性悪説」の立場で読む人がおれば、悪用等心配してもし尽くせない。さらに、「迷惑メール」にいたっては、まさに軽犯罪どころか現代の「重犯罪」といっても良いのではないかと思う。折角人類が発明した文明の利器を、その裏をかいて使い難くしようとするのだから。
他人にわからなければ、何をしても良いという昔流で言えば「卑怯者」の根性を持った、良心のかけらもない“小心者”(外国やFAXの場合は不特定多数を相手の商売上の宣伝が多いが)のなせる業であろう。このような輩には宗教的な「死後必ず罰が当たる」という罪を、世の中大多数の“常識者”ですべての宗派の神様に祈る運動でもやりたいものである。
昔の武士が「やーやー我こそは」と名乗りあって戦っていたのが、何処からともなく飛んでくる銃弾と戦うようになった時も同様に感じたかもしれない。


6月17日(土)[都市対抗・神奈川県予選「三菱ふそう・第二代表決定」]

今年度(第77回)の都市対抗野球・神奈川県予選(第2次)は6日に始まった。我が「三菱ふそう川崎」は、1回戦はクラブチームである「三菱重工・横浜」なので、当然楽勝と思ってテレホンサービスで聞くと、まさかの敗戦。その後、敗者復活にまわり、「新日石」「重工・横浜」等を連覇し、やっと昨夜第一代表決定戦で敗れたばかりの「日産」と、本日第二代表を争うことになった。

 14時に低アルコールビール2缶を持参して横浜スタジアムに行った。やはりまさに垣野監督流の野球で、危なげなく勝つところを若手投手の育成のため最後はヒヤッとさせられたが結局5対4で第二代表を勝ち取った。(写真参照)今年の夏も東京ドームで大いに楽しめそうだ。三菱自OBとしての楽しみとプライドが“野球”だけとなってきたのは、小生だけではないだろう。
これで2年連続18回目出場。是非2連覇(実質3連覇)をしてもらいたい。


6月15日(木)[「ゴジラ会」]

年3回の東大剣道部(戦後〜S40卒)の非公式OB会である「ゴジラ会」が、いつものルポール麹町(麹町会館)で行われた。我々のS39年組はほぼ最若年次(S40年組の出席率は悪い)なので、小生がいつも受付・会計幹事である。
雨だった所為か、遅刻・ドタキャン・無断欠席者が多く、出席者も最終的に31人と普段より10人ほど少なかった。昨年末には余った会費を東大剣道部に寄附する勢いだったが、これまでの剰余金でなんとか支払いが出来た。しかし、わが同期は5人も出席していた。(写真参照)


6月11日(日)〜13日(火)[自工(TOKYO)39会ゴルフin軽井沢」]

三菱自工・本社同期有志の会「TOKYO39会」のゴルフは、今月は“軽井沢”で行うことになった。というのはメンバーの1人(T君)が軽井沢に本宅を構え(東神奈川のマンションが別宅)、毎回東京CC(秦野)に参加してくれるので、時に押しかけようということで、12日(月)プリンスランド・ゴルフクラブで行うことになったもの。故園部三菱自工元社長夫人も含め3人の夫人を入れ4組14人の賑やかな会となった。(写真左)

遠征組は各々前日11日(日)プリンスランド内のグリーンプラザホテルに、17時までに集合、寝食をともにすることになっていたが、我が夫婦(女房は今回ゴルフ不参加)は、新幹線で行き「脇田美術館」を見て、直ぐ近くのパルアクティブの会員制ホテル「貴陽荘」(写真右)にチェックインし、乾杯に付き合う別行動とした。
翌日、小生はT君に迎えに来てもらいゴルフに参加。女房は近くの「セゾン美術館」やショッピングを楽しみ、ゴルフの表彰式に合流。その後皆と一緒にT君宅を訪問、我々は「貴陽荘」でもう1泊し、小生は海IC出勤、女房は相模原へ帰るスケジュールとした。
ゴルフは前日までの雨が嘘のような快晴で気持ちよくプレーできた。スコアも丁度100といつもどおりであったが、狭くて難しいコースでは上出来でハンディにも恵まれ、「握り」もほぼ総取りでき御満悦であった。
T君家はさすがに海外生活も長いだけ素晴らしい間取りと設備の、「軽井沢山荘」といったもので、ここに泊って翌日山歩きの4人は、バーでのグラス片手で大液晶テレビでのWCサッカー観戦等、大いに楽しんだことだろう。


6月10日(土)[三菱ふそう「第51回・湯河原会」]

昭和30年(1955年)から毎年つづき、前回(2004/2/14)で第50回目を迎えた三菱ふそう川崎の労使の非公式懇親会「湯河原会」がはじめて1年飛ばし、それも湯河原(熱海)泊からホテル・エルシーついには平間の体育館という風に、さらに恒例の2月はじめでなく本日開かれた。
前回このHPに書いたので詳細は省略するが、小生は丸子から川崎工場に移った1973年から、米国駐在中の4年をのぞき29回目の出席となる。
2003年に会の創始者の1人で、会長を長く勤められた塩原健次郎氏(元副社長)が亡くなられてから、会社も(組合も)大いに変わりいずれこうなると予想していたが、本来の趣旨の「湯河原会」の終焉はそう遠くはあるまい。個人的事情もあったが、なんとなく空々しい雰囲気にも後押しされ、1時間ほどいて早々に帰途についた。(写真参照)


6月8日(木)[6月度「二木会」]

大学教養部の月例クラス会「二木会」が、いつもの新橋「クラブジャパン」で開かれた。今月も5人と少なかったが、メンバーの1人が四国88箇所のお寺巡りを完遂した話や、村上ファンドのインサイダー取引の「罪状」の法律的根拠など“超専門家”もいるなか、酒を飲みながらあれこれワイワイ話しをするのも楽しいものだ。
最後は木曜日恒例の美人?シャンソン歌手の名曲を楽しみ、「ノンアルコールビールでは物足りないのではないか」と気遣うマスターの心配をよそに、小生にしては遅くなり過ぎたが橋本まで遠路よい気持ちで帰った。(写真参照)


6月7日(水)[「名古屋39会(OB会)」]

昨年11月末以来半年ぶりに「名古屋39会」(名古屋で卒業以来続く東大S39年卒業者の同窓会)の東京在住OB会が、いつもの銀座8丁目の「登り九」(とりきゅう)で開かれた。途中3月にゴルフ会(八千代GC)もやったし、いろんな会で会う人もいるので、トータル9回中6回出席の小生も顔なじみが多い。登録会員はどんどん増えて30名を越し、20人以上になると会場に入りきれないので先着順にしようかという状況らしいが、今回はうまく収まったようだ。職業空欄の比率が多くなったが、それぞれ工夫して人生をエンジョイしているのがお互い大いに参考になる。楽しく飲んで集合写真をとり解散した。


6月2日(金)・3日(土)・4日(日)[「6月度重工39会ゴルフ」・「ふそう会」・「塚場ソフトボール大会優勝」]

2日は三菱重工・東製入社同期会の6月度の月例ゴルフ会「39会」がいつもの“東京CC(秦野)”で行われた。今回から重工・横船(横浜造船所)の同期有志も参加することになり、ゴルフ愛好者約6名のううち3名が初参加した。今後幹事は大変だが、毎回4組16人で行うことになりそうだ。
入社直後、独身寮が一緒だった程度なので入社時以降初めて会う者もいた。さらにいつもどおり“ゲスト”もいて初顔合わせのため、最初やや緊張してやったせいもあり前半は45と好調、しかし午後慣れてくるといつもどおり崩れたがなんとか54で止まり、99とついにギリギリの線で100を切る目的を達成した。今後は恒常的になるようにしたいものだ。(写真左参照)
今後このゴルフを「重工39会」とし、自工・本社同期会の「自工39会」や名古屋・東大同期の「名古屋39会」等から区別表示することにしたい。


3日は12時から三菱ふそう・平間体育館で第13回「東自ふそう会」が開かれたので出席した。課長以上経験者のOB会だが、出席者は150人程度で昨年と同程度だった。しかし昨年450人位の会員が337人と表示されている。聞いてみると本人が辞退したのだそうだ。一方、会社も今年から“手を引く”ということですべてOB会幹部の手で運営されていた。当たり前といえばそのとおりだが、「会社の衰退度」とも言える。情け無いことだ。


4日は地区の塚場自治会の恒例の「ソフトボール大会」。我が塚場自治会第10班(自称「松ヶ丘親睦会」)が、出場8チーム中2年連続3回目優勝を果たした。
新規入居者と2世(娘の旦那が多い)中心の若手に優秀なプレーヤーが集まっている所為である。我々本格的?高齢会員はすべて応援団だが、この結束が他に追随を許さない(写真右参照:中央がダイエット効果で10何年ぶりのGパン姿で応援の小生)。終わって選手・応援団合同の大祝賀会を松ヶ丘内の駐車場および道路をせき止めて盛大にやって夕方解散した。


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