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1月16日(月)〜30日(月)[「入院(相模原協同病院)」]

朝タクシーで「相模原協同病院」脳外科へ、早速CT検査、やはり「軽い脳梗塞」ということで即入院となった。とりあえずは既に決定している当面の仕事・飲み会・ゴルフ等の日程の取消しや調整に苦労した。
翌日から「眼科」「MR」等検査づくめ、1日2回の点滴等2週間の入院生活を送った。
幸い“眼”だけで“手・足・声”等外観上も何も変わらず、他の入院患者に比べても非常に「軽症」とも思えるので、再発防止は勿論のこと、これを機会に減量と節酒に努め、少しでも長生き出来る生活様式に移行しようと堅く決意した。


1月13日(金)・14日(土)・15日(日)[「明・暗2極」]

13日(金)、女房はがんセンター中央病院で手術後の経過、今後の治療等についての説明を受けに行き、4月上旬までは通院の必要もなし、ということでまずは目出度し。
14日(土)近くにいる次男夫婦と橋本駅そばの中華料理店でお祝をした。(両家車のためアルコール抜き:写真参照)


ところがその夜、明け方目が覚めるとどうも眼の調子がおかしい、色々ためすと少し左側がボケる。「脳梗塞」かなと思ったが、日曜なのでメディカル・センターで紹介してくれた古淵の「眼科」にいくと、やはりそうらしい。
橋本駅そばの小生行きつけの「相模原協同病院」に紹介状を書いてくれ、明日8時に行くよう手配してくれた。タクシーで往復し、不安な一夜を過ごした。


1月12日(木)[「2木会(新年会)」]

今年初の「2木会」(大学教養部・月例クラス会)が新年会を兼ねて、いつもの新橋・クラブジャパンで開かれた。新年だけに大勢から出・欠の返事があったが、丁度都合が悪いという人が多く結局このところの低位安定値の5人が集まり楽しく飲んだ。しかし、多くのメンバーがこの会を意識しているのだけははっきりしている。そろそろ4月ごろの“総会”の準備を開始しようということになった。(マスターを含めた常連のメンバー)


1月11日(水)[「右膝じん帯痛」・「功名が辻」]

今日は海ICの顧問になって、初のフリー・ディである。
土曜日(1/7)の初稽古が終わっていい気分で家に帰り、夜風呂から出てベッドに入ると何と無く右膝の感じがおかしい。朝起きるともう関節を曲げると大変な痛みである。立ってしまい平地を歩くのはできるが、階段の上がり降りや腰掛けに座るのも立つのも大変である。
そういえば昨年暮れ頃から、地下鉄の階段を上がるとき右膝に少し異常を感じる時があり、行付けの内科医に「筋肉の弱りですかね」と聴いたら「太りすぎですよ」と一蹴された。これも剣道再開のきっかけだったのだが、初稽古は3分ごとに相手を変えるということで、太鼓の音とともにやたらに「蹲踞」が多く、2〜3度ふらつき恥ずかしい思いをしたのを思い出した。
日・月と湿布で我慢したが酷くなる一方である。10日(火)ビッコを引きつつCICに出勤、昼休みに近くの整形外科に駆け込んだ。レントゲンをとり「右膝の半月板の後ろが炎症をおこしており、そのためじん帯を痛めたようですね。湿布と安静しかないですね」といって患部に注射を打ってくれた。薬も出て帰りは大分楽になったが、昨夜から今朝にかけ大幅に痛みはなくなった。(注・初稽古の集合写真等が今日届いたので前回の写真を差し替えた)

話は変わるが、日曜日に今年の大河ドラマ「功名が辻」の第1回を見た。司馬遼太郎は好きなので、本はたくさん持っているが「功名が辻」だけは、「坂の上の雲」等と違って印象が薄かった。会社に入ったころ読んだのだが、完読したかどうかも覚えていない。
ただし、最初のところは覚えており「法秀尼」というのは「千代」の母親と思っていたら、「山内一豊」の母という。
脚本家のすることだからどうでもよいことだが、早速本棚から出して読んでみることにした。昭和40年6月1日第1刷で、昭和41年5月第4刷の代物である。(写真参照)
独身だった小生があまり興味を持たなかったのも一理ある。面白そうなので足の痛みを堪えるのも考え、通勤時に読むことにし昨日往復で上巻の4分の3を読んだ。満員電車がまったく苦にもならなかったので、今日は読みたい気持ちを抑え、明日の通勤時また読みすぐ完読できそうなので、今年の大河ドラマは別な方向から楽しもうという気持ちになった。


月7日(土)[「赤門剣友会(初稽古・新年会)」]

年の赤門剣友会・初稽古から剣道を再開することにした。今後東大の道場「七徳堂」のみでやることを前提に、防具・竹刀を整備して、そのまま預けることにし8時過ぎ家を出た。OB会の稽古は11時からだが、10時から現役が稽古をしていたので、ウォーミング・アップも兼ねそちらにも少し参加した。

なんと1996年10月までは米国で、名古屋でも2000年3月までは少しはやっていたが、東京に帰ってからは2003年5月に1回七徳堂でやって以来である。しかし、何とかなるものでどうにか最後まで稽古できたのには我ながら驚いた。終わって1時から毎年出ている本郷3丁目のホテル機山館の新年会で、久しぶり稽古後の美味い酒を味わうことができた。これにて若干心配していた「2006年」のスタートを、スムーズに切ることが出来た。(写真は稽古後集合写真と久しぶりの小生の稽古姿)


1月6日(金)[「重工39会ゴルフ・中止」・「官辺手続き」]

昨日(5日)は顧問として、上野の海ICに早朝から初出勤し、恒例の新年会にも参加した。

今日(6日)はゴルフ初め、小生のホームコースでもある秦野の「東京CC」で開かれる重工・東京製作所同期入社の月例ゴルフ会(これも39会という)を楽しみにしていた。
しかし小田急線秦野駅近くに来ると雪が積もっている。これはどうかなと思いクラブバスでコースに着くと雪が降り始めた。2組8人で中止を決定、コーヒーを飲んで解散した。(練習グリーンの状況・写真参照)
昼前に家に帰り着いたので、来週予定していた税務署・市役所への「法定調書」の提出や、社会保険事務所への「高額医療費」の申請等を、午後車で走り回って完結することが出来た。


1月3日(火)[「明治神宮・初詣」]

我々老夫婦は、のんびり1日“寝正月”を決め込む積りだったが、朝から晴天だし、「箱根駅伝」見物も取止めたし、急遽二人で久しぶり明治神宮に初詣に行くことにした。そういえば6月に女房のために「病気平癒のお札」も頂いたし、丁度よい機会となった。
拝殿付近は流石に、交通規制がされるなど混雑していたが昔ほどではない。「やはり時代が変わって来ているのかな」等、年寄り染みた話をしていると天気も悪くなり、絵馬やお札などを買って早々にホテルに引き上げた。(写真参照)


月2日(月)[「箱根駅伝」・「河野一族新年会」]

「ラフォーレ東京」に宿泊の楽しみの一つが、傍の国道1号線「八山橋」付近で正月恒例の「箱根駅伝」の本物が見れることであった。7時からテレビをつけ、8時のスタート後外に出て、テレビ撮影用やぐらのすぐ脇の、三菱自動車・重工本社ビルが真正面に見える好地点を、警備の警察官の助言で確保した。しかし、飛び出した日体大以外全員一団となってアッという間に通り過ぎる呆気ないものだった。(写真左参照)やはりテレビに勝るものは無いと思い明日の“復路”の見物はやめることにした。
10時過ぎ堺一家7名はホテルから揃って、毎年恒例の87歳の義母を頂点とする3姉弟の家族、現時点総勢25名の「河野一族」の新年会へ出席した。今年も昨年同様「木曽路・三鷹店」で、1人もかけること無く全員で楽しい会となった。(写真右参照)


1月1日(日)〜4日(水)[「ラフォーレ東京」(家族懇親会)]

新年の正月は、長男家・次男家と品川・御殿山のホテル・ラフォーレ東京で過ごすことにした。元旦、年賀状処理後の夕方集合し、3泊4日。2日の昼間の恒例の女房側一族の「新年会」と、毎夜の会食のみ“合同”あとはすべて各家自由行動ということにした。孫は毎週日曜日「動画」で見ているが、やはり“実物”は良い。ジジ譲りと冷やかされていた「旺盛な食欲」が、最終日少しお腹をこわしヒヤッとさせられたが、さすが大ホテルだけあり大病院で医者の診断も受けられ大事に至らずホッとした。(写真は元旦の夕食会)

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