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0月30日(日)[「ウィークリィーマンション」「海IC全国責任者会議」]

11月末「上野庵」引揚の後、やはり毎日の通勤は無理があるので今年一杯すぐ近くの「ウィークリーマンション・東上野」(写真参照)に住むことにした。家具・食器付きのホテル風だが、丁度2人用が空いていたのでラッキーだった。
 今日午後から、恒例の海ICの「第2四半期:全国責任者会議」が千葉研修センターであるため、「上野庵」泊まりだったので行きがけ女房と”下見”をした。狭いが土・日は相模原だし、1ヶ月位は我慢出来そうである。
 「全国責任者会議」の方は、全国の営業所長・副所長を含め研修所収容能力一杯の約150名が集まった。発展途上の会社だけあり、今年は絞りに絞ってこの人数なので、来年は少々無理かもしれない。会議後いつもの管理部門女性お手製の「鴨なべ」による家族的?大懇親会を開き、いつもどおり小生の中締めで終了した。明日の午前中も会議(除く幹部)研修があるので、小生は開講挨拶等のため、早朝から千葉研修所(八千代台)へ行く予定である。


10月27日(木)[割烹蕎麦処「赤坂・たけがみ」]

当社(械C)がお世話になっている江田税理士は、社格に似合わない超大物税理士であることは以前書いたが、時々ご一緒に一杯やることになっている。

今日は先生とお知り合いの方との宴席に”陪席”させて頂いた。先生のご昵懇の赤坂の割烹「たけがみ」というところで、写真のとおりの落着いた料亭で、蕎麦処というだけあってメインの蕎麦が美味しい。しかし、周りは今話題のTBSのビルがあり、昔とは大きく風情が変わったとのことだが、久しぶり老舗の料亭の雰囲気を楽しんだ。


10月26日(水)[10月度「Lの会」]

 10月度「Lの会」(潟梶[ドテック月例OB会)は、本拠地品川港南口の居食屋「和民」にもどり、ほぼ現状ではフル・メンバーといってよい8名が出席し、いつものように楽しく飲んだ。混乱の続く三菱自動車の中でこのような「OB会」を持てるのは、我々以外には無いのではないか「大事にして行こう!」というのがいつもの結論。年内は12月初旬に「忘年会」としてやろうということで、次回をたのしみに散会した。(写真参照)


10月24日(月)[「久間章生君衆議院議員在職25周年祝」]

京都から午後鰍bICに出社、諸会議に出席した上、18時から東京プリンスホテル・パークタワーの宴会場「ボールルーム」で、大学剣道部同期の自由民主党総務会長「久間章生君の衆議院議員在職25周年を祝う会」が開かれたので、鰍bIC芳賀社長・総務部長と3人で出席した。

 出席者が何人位か見当もつかないが、とにかく広いホールが満員の盛況であった。各界からの発起人には超有名人が名を連ね、武部・麻生・阿部・福田氏等の大物政治家が祝辞を述べたが、経済界やスポーツ界からも有名人が登場、将棋の中原永世名人も六段を授与していた。

東大剣道部OBも数多く出席していたが、辻丸紅会長が代表して挨拶、同期の石川静岡県知事が乾杯の音頭をとった。小生は終わってから新橋のクラブジャパンでの剣道部関係者の2次会にも顔を出して、上野庵に帰宅した。(写真参照)


10月23日(日)・24日(月)[「中津南高いちまる会(京都)」]

中津南高校の第10回生同窓会「いちまる会」全国大会が今年は京都・嵐山で開かれた。日曜日のゴルフ、月曜日の観光バスによる観光さらに連泊して楽しむ人も多い。小生は例により省エネの「宴会(宿泊)」のみで参加した。
 関西組が幹事で、中津は勿論九州・中国・中部・関東各地それに金沢からの初参加者も含め総勢72名が集まった。(集合写真撮影風景・写真右参照)

 嵐山・桂川・渡月橋・天竜寺・美空ひばり館と京都観光の一大メッカの中にある、厚生年金基金会館「らんざん」が会場(写真左参照)。本物と一瞬間違う、幹事扮する「舞妓・芸者?はん」も登場する本宴会。大部屋での2次会。カラオケ室での歌・ダンス等であっと言う間に0時近くになったような楽しい会であった。小生は社用があり、朝食終了後に新幹線で東京に帰ったが、次回は北九州組が幹事となることになった。


10月22日(土)[「引越受入準備」・「中津南高校関東同窓会」]

鰍bICとは2年間の暗黙の契約で今年一杯フルタイムの役員、来年から週2回程度の顧問となる予定である。ところが「上野庵」のマンション契約の方が厳しく履行され、11月末には相模原に引揚げなければならなくなった。
 それまでに自由な休日は少なく、今日はその貴重な1日、女房と意見の対立を繰り返しながら、相模原の自宅になんとか空間をつくるのに苦労した。

 18時から、永田町のキャピトル東急ホテルで毎年恒例の「第28回大分県立中津南高校関東同窓会」があり、事前に会費も納入してあったので疲れをおして出席した。過去最高の約260人、幹事学年の第28回生は中津からの応援もふくめ30人近くが出席していた。しかし、第10回生は毎回4〜5人と少ないが、特に今回は明日京都で全国同窓会があるので出席者は小生1人だけだった。第12回生と第17回生の席にポツンと1人でいたが、幸い女性が多く、同情もあってか料理も注ぎ分けてくれたり親切にしてもらいこれもまた良しであった。(写真は同席の記念写真)


10月20日(木)[「ゴジラ会」]

4ヶ月に1度の赤門剣友会・戦後(昭和28年)〜昭和40年卒の非公式OB会がいつものホテル・ルポール麹町(麹町会館)で開かれた。
 非公式ということで、昔「ゴジラ会」とわざとふざけた名前を付けたと聞いているが、今や戦前の先輩も数少なくかつ社会の第一線で活躍している有名人も多く、今日も約100名超のメンバー中42名が出席する「赤門剣友会」の基幹の懇親会となっている。最近ではヤンキースの松井選手の会ですかと聞かれるそうだが・・・。

 しかし、40年組の出席率は悪く、我が39年組がいつも最若年次である。そのため小生があまり似つかわない”受付・会計”幹事を務めている。今日は同期が自民党久間総務会長や石川静岡県知事等6人も出席したので、少し大きな顔もできた。久間君が挨拶で「下も入れて欲しい」と提案してくれたので、小生の幹事も短くて済みそうだ。前任の37年の先輩は9年間もやったらしい。(写真参照)


10月15日(土)・16日(日)[「義母米寿の会(新宿京王プラザホテル)」]

満87歳の義母の「米寿の会」が15日の昼間、新宿の「京王プラザホテル」43階コメットで開かれた。女房の姉弟3人は9月はじめから準備に大変で、傍からみていると終わったら“生甲斐”が無くなってしまうのではないかと心配になる位であった。親戚にも満88歳の叔父や80歳の叔母、当日誕生日や結婚記念日のものもいるということで、気をつかい会の名称も「秋の親睦会」というのが正式らしい。その努力の甲斐か、毎正月義母を頂点にして集まる一族は25名中1名のみ欠席、その他の義母の兄弟関連等の親戚が入り総勢36名で和やかで賑やかな素晴らしい会となった。(写真左参照)
我が堺家も孫を含め3家族7名がそろったので、全員そのまま「京王プラザ」に宿泊し、その後一晩楽しく団欒することができた。(写真右参照)


10月13日(木))[10月度「2木会」・「雑用・所感」]


10月度「2木会」(大学月例クラス会)がいつもどおり、新橋クラブ・ジャパンで開かれた。常連組3〜4名から事前に欠席通知が来ていたが、6時定刻につくと初参加のA君や久しぶりのN君等7人がほぼ同時に集合、普段とは少し変わった話題もあり9時ごろまで楽しく飲んだ。(写真参照)
今日は鰍bICを早めに退出することができたので、途中秋葉原近くにある法務局台東出張所で先日登記した「法人登記謄本」を取ってみたら、確かに完了していた。相模原のものが東京でもすぐ取れ便利になったものだ。
さらに当面の京都・九州行きのJRの指定席を秋葉原駅の「緑の窓口」で購入した。しかし、少々早いかと思った11月の中津行き新幹線の第一希望が取れなかったのには驚いた。


10月7日(金)〜9日(日)[「名古屋39会ゴルフ」「長男一家(孫)」]

なんとか足の痛みはなおり、8日(土)の「名古屋39会(東大同期会)ゴルフ」に参加すべく、「名古屋マリオットアソシアホテル」に7日中に辿り着いた。
女房も一緒で、8日には長男一家も合流し満1歳の誕生日も過ぎ、歩き始めた初孫と会うのが真の目的でもあった。

実は、“F1日本GP公式予選”が鈴鹿サーキットであるため、最初はホテルも断られたが、ホテルの社長が39会メンバーのためやっとOKとなったもの。そのせいか更には3連休でもあり新幹線は大混雑、指定席がとれなかったが自由席券でうまいこと三島で「ひかり」(指定席)から「こだま」(自由席)にのりかえ、とにかく全部座って行くことは出来た。

ゴルフはトヨタの「ベルフラワーカントリー倶楽部」でいつもより少ない7名が参加して行われた。7月末以来のうえ、生憎スタートから雨模様でカート無し、おまけにいつものゴルフ用眼鏡(近眼)を忘れ、通常の遠近両用の眼鏡のせいか?、小生は“OB・10発”という大荒れのゴルフとなったが、もともとあまり結果など気にしない気楽なコンペなので、それなりに和気藹々と楽しいゴルフであった。
女房も昼間は旧友と楽しくすごしたらしく、夕方ホテルで長男一家と集結、孫を中心に楽しく食事・団欒をした。歩き始めただけでなく、知恵もつき、芸?も覚え、食欲も旺盛な孫の成長ぶりに、「じじ馬鹿」ぶりは頂点に達した。
翌日も名残は尽きなかったが、来週も会えるので今度は早めに指定席をとり相模原の自宅に帰った。(写真参照)


10月6日(木)[「痛風もどき」「三菱重工東製・五輪会(同期会)」]

今週月曜日(3日)朝起きると左足親指のつけ根が痛む、4〜5年前右足に同じ症状が出て”痛風”かどうかで、慈恵医科大学病院の痛風の大家の先生の診断で”痛風”ではないと判定された。今回も日曜日の長靴での「草取り」のせいだと思っていたが、「祝勝会」の立食のあと水曜日に酷くなったので、急遽慈恵医大の先生に診てもらうとやはり、”痛風”ではないらしい。とにかく「やせる事」と言われ血液と尿を採取された。結果は再来週だが、整体の先生も診てくれるというので急遽夜行って、まわりをもみほぐし、油を塗ってもらった。やはり疲労・睡眠不足および肝臓・腎臓・胆嚢等の内臓の不調だと言われた。


しかし、今夜は箱根・塔ノ沢の「一の湯・本館」で三菱日本重工・東製同期入社の会「五輪会(東京オリンピックの年に因み)」が3年ぶりに開かれたので、ビッコを引きつつ新幹線日帰りで参加した。
総勢32名のうち18名が、遠くは鹿児島・広島等(北海道は欠席)からも参加した。内11人は当日と翌日ゴルフ、4〜5名はハイキングを楽しみかつ翌日の夕方は病気療養中で参加できない仲間のご夫妻と青葉台駅そばで会食をするらしい。
小生は諸般の都合で当初から宴会だけの参加としていたが、「足」のことも考えるとラッキーだった。その代わりこれからは毎年やろうと強く主張し、あとは外観は別にして、入社時とほとんど変わっていない面々と楽しく飲んでしゃべって「上野庵」に遅くなって帰り着いた。(写真参照)


10月4日(火)[三菱ふそう川崎「優勝報告会」]

三菱ふそう川崎の「第76回都市対抗野球大会優勝報告会」が平間の体育館で開かれたので、海ICの川崎営業所の幹部も連れて参加した。川崎市長は勿論、神奈川県知事、国会議員さらには地元住民、取引先、社員等、たしか400人以上が入る体育館が満員の盛況であった。時期が多少遅くなったのは、主力選手数人がそのまま日本代表となり、世界大会に出場したためである。ほとんどの人が小生にも「おめでとうございます」と言ってくれるのは有難いのと同時に、時の経過がありすぎ面映い感じもする。

会社の幹部がドイツ人に代わったのと、工場=本社となったのには何かなじめないが、懐かしい仲間と久しぶりに喜びを分かち合えるのはこれ以上のものはない。この6年で昨年の辞退を含めて3回も全国制覇を成し遂げた垣野監督の快挙に敬意を表したい。
また、いつも「夢」と思っていた「黒獅子旗」を過去2回さわってもいなかったのに気がつき記念撮影をしてもらった。垣野監督と(故)小藤さんと3人だったら最高なのだが、ままならないので垣野君とは別の場所で撮ってもらった。(両写真参照)


10月2日(日)[松ヶ丘親睦会「草取り」]

松ヶ丘親睦会(自治会)の晩夏恒例行事である空地の「草取り」が、先週の日曜日雨で流れて今日になった。最近は50世帯以上なので、ブロック別に行っているらしく今日は我々“D”ブロックと今年の役員で総勢20名程度だったが、定刻の8時半に出て行くとほぼ終っている状況であった。(写真参照)
それで、男性軍は“D”ブロック内に保管してある「テント」を整備・掃除したり“番外?”の仕事までして、「忘年会」の日程を聞きお茶をのんで10時ごろには解散した。小生はいつものことながら、この種の仕事には役に立たないが、皆さんの動きに感心しつつ、ただ参加しただけであった。

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