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9月27日(火)[法務局相模原支局「株式会社役員変更登記」]

潟{ーダーコムは定款に取締役2年、監査役3年の規定がある。2002年の商法改正で監査役の任期が4年になったのは知っていたので、変更しなければいけないのかなと思い調べてみると、そちらの方は自然読み替えで良いらしいが、役員変更の方は必ず登記しなければならない。それも会社新設の場合は最初の1年で全員改選、そこから取締役は2年、監査役は4年で改選し、必ず登記しなければ最高100万円の罰金とのこと。来年さらに商法の改正があるらしいが、相模原「登記所」へ問い合わせたら早く来いというので、今日鰍bICの許可をとりあわてて朝早く上野から登記をしに相模原へ往復した。
 もともと”家内企業”で役員は横滑りしかないので「登記」など頭から考えていなかった。しかし、行ってみると電話とは大違いで親切にリカバリーのやり方を教えてくれた。自宅のパソコンを使い、法務省のホームページなどから昼飯抜きのほぼ1日がかりの大仕事となったが、何とか登記を完了させることができた。あとは穏便な罰金を願うのみである。
CICに夕方帰り、私用で不在とした負目と完成感の両方から、急遽同僚有志と地下の居酒屋「泉」でプライベート飲み会を開催し、楽しく飲んで上野庵へ帰った。


9月24日(土)[城西国際大学「国際講座」]

以前から「MBI(マッキンゼー研修会)」の先輩(第7期生:元東芝)で現在城西国際大学の教授から、同大学と東芝国際交流財団共催の「国際講座(これからのあなたと国際理解)」の案内を受けていた。今年6月に始まり原則毎月1回で今回3回目だが、これまではいつも休日の昼間ということもあり日程があわなかった。
今回は数年前一度、トヨタの張先輩等と席を同じくしたこともある、ジャーナリストでテレビにも良く出る嶌信彦氏が講師で、かつ3連休が2度も続くので、時に“勉強”もよいだろうと、会場の“城西大学紀尾井町キャンパス”に相模原から往復することにした。行ってみると何と今まで全く気がつかなかったが、「ゴジラ会」の麹町会館の真前で立派な建物である。(写真参照)
テーマは「国際理解とジャーナリストの視点」、最近の国際問題を彼なりに「鳥の目・虫の目」でみて、かつ歴史的視点も加えたユーモアたっぷりで分かりやすい話であった。14時から予定をオーバーし16時半ごろまでかかったが久しぶり“知的に?”充実した半日となった。
天気がよければ次男の嫁の勤務する相模原市立麻溝小学校の運動会を女房と見てから行く予定だったが、こちらのほうは残念ながら「雨天順延」となった。


9月14日(水)[9月度「Lの会(上野)」]

8月を飛ばしたので、マルマル2ヶ月ぶりの「Lの会(潟梶[ドテックOB会)」が小生のお膝元の上野駅浅草口前にある「座・和民」で開かれた。

急な都合で2〜3人欠け、出席者は5人と普段より少なかったが、異口同音に「久しぶり・待ち遠しかった」等の発言があった。小生も1度「上野庵」に帰り、カジュアルに着替えて出席した。(写真参照)
都市対抗での「三菱ふそう川崎」の優勝や、来年春は高山、夏は尾瀬、秋は・・・等楽しい話題で終始した。来月はまた本拠地品川駅港南口の「和民」に戻るが、気のせいかこちらの方が、料理等も含め高級感があった。


9月11日(日)[「清き一票」雑感]

衆議院議員選挙は予想どおり「小泉自民党」の圧勝となった。選挙はいつも投票しても虚しい感じがするが、女房が官僚の娘で血液型A型のため、結婚してからは米国時代を除いて欠かしたことはないというより欠かせない。
特に小選挙区制となってからは相模原は「神奈川14区」で、毎回投票所でどうするか悩む。「党」は決まっても、候補者の顔や履歴を見ると入れる気にならない。結局、比例区だけにし、まともそうな”人物”に投票していた。ところが、先日とある会でその人物と会って名刺を交換する機会があった。「相模原の住人」だと言ったら「ああ、あそこは事務所を置いてあるだけです」と素っ気ない返事だった。すでに「功なり名を遂げた」一老人だと感じた。
それで今年は迷いなくプロボクサー上がりで見てくれもあまりよくない(せめて共産党の候補程度が望ましい)が、若いしどこか良いところがあるのだろうと思い直して、久間君に洗脳された感もあるが当面の「郵政民営化」のため「自民党」の完全支持者となった。
最高裁判事の国民審査は先日の「2木会」でいっしょに飲んだクラスメートの名前もあり、何も記入せず投票するのが残念な気がするほどであった。


9月9日(金)[「帝京科学大学(山梨県上野原町)」]

海ICに近年大勢の人材を送込んでくれている「帝京科学大学」を人事部長とともに訪問してみた。中央線で相模湖の先の「上野原」という田舎駅で降りてタクシーで、高台にそそり立つ大学に着いた。(写真は見学した実験棟)
まだ夏休み中とのことで学生は少なかったが、山あいの景色・環境は最高でかつ駅とは違う方向に割りと大きな町並みも見ることができた。昔「蚕」の町だった由来らしい。
理工学部と大学院でなる大学で、アニマルサイエンス学科というユニークな学科があり、全国規模で人気があるらしい。ここと環境科学科、バイオサイエンス学科等が丁度、CICのニーズと合うので就職だけでなく“産学協同”で何か関係がもてないだろうかなどと関係者と話合った。関係者の中に三菱重工時代の知人がいるのも訪問理由のひとつであり、夕方から楽しく旧交を暖めて相模原の自宅に帰った。


月8日(木)[9月度「2木会(旧3月会)」・「HPカウンター故障」]

今月から新たに「3月会」から「2木会」となった東大教養部月例クラス会が新橋クラブ・ジャパンで開かれたので出席した。月曜日と違い、店が混んでいて満席状態なのに驚いた。「1木会」(同学年の法曹研究会の月例会)を1週間違えて闖入した他クラスの1名を含め、久しぶり8人が集まり楽しく飲んだ。(写真参照)
話は変わるが、土曜日にこのHP(ホームページ)のカウンターが壊れた。これで3回目くらいだが、安物のせいか”壊れやすい”のだそうだ。製作者に頼んで修復してもらわなければ自分では出来ないので、彼の研修終了の今日まで待って修復してもらい、今後の修復の仕方も教わった。前回、ナンバーはいかようにも修復できるというので、1万件以上になると何らかの「メリット」があるという説を信じて、1万回をプラスしてもらったが何ら変わりはなかった。実質1万回超の時を期待したい。しかし今回もその延長線上で修復したので、このHPの実際のアクセス件数はマイナス1万回して見てもらいたいとこの機会に説明しておきたい。


9月4日(日)[第12回「在京中津会(中津東大会)」]

「在京中津会」というのは、一昨年「中津東大会」のメンバーである新貝正勝現中津市長が、防衛庁幹部から市長に立候補するとき、その存在を知ったものである。(03年7月・11月のHP参照)

今回は12回目とのことだが、中津出身者ならだれでもよいという“口こみ”の会である。今回はその新貝市長とその東大1年下のみずほファイナンシャルグループ社長で全国銀行協会会長の前田晃伸君が出席し、講演をするというので約80名という過去最高?の出席者が集まり、霞ヶ関ビル最上階にある「東京会館」で行われた。
「大分県人会」から分派した会として聞いているが、今一インパクトに欠ける会である。しかし2人の話は面白くかつ「中津東大会」メンバーにも久しぶり会えることも出来た。おかげでついにその次回幹事を引き受けざるを得なくなった。来年始めにでも久しぶりに実現させようと思う。(写真・中津東大会メンバーでの記念撮影)


9月2日(金)[海IC「多摩新事務所・開所式」]

海ICの多摩第1及び第2営業所の事務所が、中央線日野駅付近から京王相模原線稲城駅付近に土地300坪を求め、新事務所を建設し先週移転したので、今日夕方5時、芳賀社長とともに訪問し「開所式」を行なった。

今後の発展を期して大きめに設計したので、現状では3分の1程度しか使用していない。横浜・川崎・厚木各営業所の再編成もあるが、調布・町田・相模原等の発展都市を含めた多摩地区での業績拡大が期待される。(写真参照)
本来は相模原の自宅への帰り道なので大歓迎の行事だが、明日は出勤日のため芳賀社長一行とともに東京方面「上野庵」まで”ホロ酔い機嫌”で帰宅した。


9月1日(木)[都市対抗野球「三菱ふそう川崎優勝」・「垣野監督」]


6対3で日産自動車に勝ち「三菱ふそう川崎」が2年ぶり3度目の全国優勝を成し遂げた。
今回「小野賞」を受賞した垣野監督は、何と2000年に監督に復帰してから6年間(昨年辞退なので実質5年間)で3回全国制覇したことになる。彼は小生が勤労課長に就任した1980年選手兼任の若手監督となった。その年故小藤安全福祉課長と3人で、硬式野球部を強くしようと誓い、87年まで8年間で7回本大会出場という三菱川崎第2期黄金時代を築いてくれた。87年は神奈川県第一代表で優勝候補筆頭であったが、残念ながら1回戦敗退となった。その上シーズン後主力選手3名がプロに抜かれた。彼は非常に残念がり、3年計画で”全国制覇”出来るチームを作らせてほしいと申し出てきたが、高校野球と違い会社ではYesとは言えない。丁度、全日本の強化にという声もかかり88年からアトランタ・オリンピックのコーチ等「全国区」で活躍してもらった。2000年に小藤さん等と協力して、再度三菱川崎の監督に復活してもらったが、今度は会社側にいろいろ問題が生じている中、彼は信念を貫き立派なチームを作ってくれた。
今日は最後の1人に手こずったが、自軍の選手それも最後には「日本通運」戦で書いた谷村投手を使い仕留めた当たり、素晴らしい采配としかいいようがない。(写真は胴上げされる垣野監督:インターネットから)

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