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7月27日(水)[「久栄会(朝食勉強会)」]

3月に続き本年2回目の大学剣道部同期の自民党久間総務会長の久栄会・朝食勉強会が、いつもの東急キャピタルホテルで朝8時半から行われたので、前回同様CICの総務部長と2人で出席した。
今回は本人が講師となり1時間ほど「郵政民営化法案と最近の国会の情勢」についての話があった。贔屓目かもしれないが、非常に分りやすく小泉総理も見習えばと思うが、“クールビズ”が似合う・似合わないと同じように、キャラクターが違うのだから仕方がないだろう。(写真参照)
10月には「議員生活25周年の祝賀会」があるそうだ。


7月24日(日)・25日(月)[CIC「部長慰労会(越後湯沢)」]

5月の株主総会での役員慰労会に続いて、会社を第一線で支えている全国の支店長・事業部長クラスの慰労会もやろうという社長の御意向で、24日正午すぎ東京駅に社長・役員を含め約30名が集合、上越新幹線で越後湯沢に行き、駅前の湯沢グランドホテルで14時から“研修会議”夜宴会、25日 は「湯沢パークゴルフ場」でゴルフ大会を行った。
ゴルフは7組27名が参加、朝のうちこそ霧雨が降っていたが8時半のスタート時に雨は止んだ。スルーで1Rを終わったが、後半は快晴となり日焼けをするほどであった。(スタート前の集合写真参照)
終わって17時30分の帰りの新幹線まで、時間も充分過ぎるほどありパーティも大いに盛り上がったが、新幹線の中も社長や小生の降りた上野駅までも大酒宴が続いた。小生のゴルフの成績の方は株主総会以来約2ヶ月ぶりで、8・8のスタートでどうなるかと思ったが、一応目標の100で回れグロス9位、新ぺリアで12位とまずまずであった。それより25日にちなみ2位と5位を当てる連勝単式の“馬”で、各々予想(社長・小生)は外れたが、同枠の別人が代わりピッタリ当てることもでき、天気と親友の石川静岡県知事の4選と併せ、良い誕生日となった。


7月19日(火)[7月度「3月会」→9月度から「2木会」へ]


今月の「3月会」(大学教養部クラス会)は3連休のために「3火会(第3火曜日)」となった。そのため大阪から転勤し初参加のH君に加え、月・水・金と都合があって、いつもは出られないO君等6人が出席した。(+マスターの写真参照)
小生は急に海ICの会合が入り少し酔っ払って1時間ほど遅れて参加したが、出席者から、「月曜日開催が変えられないか」いう意見が出された。
そもそも民事訴訟法の三ヶ月章教授にあやかって「3月会」にしたのだが、月曜日に拘る理由は何もない。最終的に8月は予定どおり飛ばし、9月から皆の都合のよい「2木会」にしようと、今回の出席者で“独断と偏見”で決めさせてもらった。近く幹事の小生から8月度休会と併せ、全員に周知することにし後は例によって楽しく飲んだ。


7月17日(日)[次男夫妻「新婚旅行・DVD・雑誌登載・かにパーティー」]

前にも書いた今年2月結婚した次男夫妻の「新婚旅行(イタリア方面)」が、少し早まったこと、結婚式のDVDが出来上がったこと、それがまた昨日発売のウェディング雑誌「25ans(ヴァンサンカン)ウエディング」という雑誌(写真参照)に載ったこと等、一昨日夜電話で知らせてきた。
それで、再来週予定の彼の社宅の部屋での「相模川花火大会」見物がダメになった代わりに、今晩いつも水産会社から頂く、美味しい「ずわいがに」が大量に届いたばかりなので、我家で盛大に「かにパーティー」をやろうと急遽決まった。
近いので7時過ぎ2人は「嫁の母親のカナダ旅行土産」を持参して現われた。10時頃まで、早速その雑誌やDVDさらには長男家から今日届いたばかりの「孫の動画」をCDでみたりして、期せずして楽しく両家で3連休の中日を過ごすことが出来た。


7月14日(木)[「ショパンの新しい波」河合優子レクチャー]

兜H名エステックの小生の前任の社長であった河合錚二氏のお嬢さんはポーランド・ワルシャワ在住のピアニストである。ショパンの権威、ヤン・エキエル教授の愛弟子3人の1人として、ショパンの新原典版「ナショナル・エディション」普及のため現在日本で活動中である。
このたび、東京で「ショパンの新しい波」(ショパンの真実を識る5日間)と称し、浜離宮朝日ホールで今日彼女(河合優子)がレクチャー、間にピオトル・パレチニオ(ピアニスト)、パヴェル・カミンスキ教授のレクチャー&リサイタルをはさみ、最終日の22日彼女のリサイタルがある。と父君から御案内があった。(写真チラシ参照)
リサイタルに行きたいと思ったがどうしても都合がつかない。今日も父君が名古屋から上京されると聞き、少々小生には荷が重いかと思ったが今日のレクチャーの方に出席した。案の定、最初の素晴らしいイントロのショパンの演奏を除き、レクチャーは話の大筋(総論)は理解できたものの、ピアノを弾きながらの各論は小生にはチンプンカンプンであった。まわりを見わたすと、200名近くのプロ?に近いような老若男女が熱心にメモをとったりしながら聞いていた。


7月13日(水)[7月度「Lの会」]

先月の打合せどおり、今日品川駅港南口の「和民」で今月度「Lの会」(潟梶[ドテックOB会)が開かれた。7人の予定が1人ドタキャン、1人が中座で5〜6人のこじんまりした飲み会となった。よって写真も中止、前回キープした焼酎半本を飲み干し、後はもっぱら日本酒の「熱燗」で楽しく飲んだ。
2日酔いを避けるべく、長男(36歳)が「和民」取締役であるメンバーが選定してくれた、高級日本酒のおかげで飲んだわりにはすっきりしている。次回は9月上旬、上野「和民」ビル内の「和民市場」でやることになった。


7月12日(火)[MBI「第17回FA研究会」]

前回(3月15日)に引続き、MBI(マッキンゼー研修OB会)のイベントの一つの「FA研究会」(米国の時事雑誌Foreign Affairs誌の論文を題材に議論する会)がいつもの神田一ツ橋の総合学術センター(一橋大学大学院ICS)で開かれたので、小生は例によって予習もせずに出席した。(写真は一橋大学院「総合学術センター」)
6時半から9時まで途中夕食を取りながらだが、今回は国連のアナン事務総長の名文かつ難解な論文「より大きな自由を求めて:国連決断のとき」が題材であった。期せずして国連常任理事国問題、英国のサミット・同時テロの関連等で正に” 時宜を得た”ものとなった。
それだけに最近、新聞もろくに読んでいない小生にとっては、素晴らしい幹事の名全訳を最初に読ませてもらったのにも拘わらず、いつものように発言も出来ずもっぱら100%聞役にまわった。それでも出席(今回は11名)の皆さんの様々な意見は大いに参考・勉強になり清々しい気持ちになることができた。今回は幹事も素晴らしかった(翻訳もさることながら裏づけの資料研究等)だけに、もう1回との声も多く次回10月末、出きれば再度「国連問題」を材料に、FA誌にこだわらずに題材を探してやろうということで衆議一決した。


7月11日(月)[ライプツィヒ室内管弦楽団(紀尾井ホール)]


 今日は鰍bICの芳賀社長に急用が出来たため、社長の知人のお嬢さんである、ヴァイオリンニストの寺沢希美さんが共演する「ライプツィヒ室内管弦楽団」演奏会(紀尾井ホール)のS席チケットが、有難くも我々夫婦に舞込んで来た。
 父君は元日本政策投資銀行(開銀)の幹部であり、小生も多少存じ上げており、かつ鰍bICには同行関係者も数名いるので、CIC関係者4名で開演前にご挨拶してから入場した。
モルテン・シュルト=イェンセン指揮で、寺沢さんはメンデルスゾーンの「ヴァイオリン協奏曲」を熱演、オーケストラはベートヴェンの「交響曲第1番」とモーツアルトの「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」等を演奏した。小生にとっては久しぶりの本格的コンサートで、心から堪能できた。(写真チラシ参照)
 最近目覚時計代わりに「田園」の第一楽章を毎朝15分聞いて起きているが、今夏は8月にCICのおかげで「草津夏季国際音楽アカデミー&フェスティバル」にも参加できる予定もあり、大好きなクラシック音楽が大いに楽しめそうだ。


7月9日(土)〜10日(日)[中津帰省「老母見舞い」]

昨年の6月以来、郷里大分県中津市に老母(95歳)の顔を見に帰ることにした。姉は9日に昔の教員仲間の同窓会、義兄はオーバー60歳の野球の試合が土・日と津久見市である週なので、日程を変えて欲しいと言ってきたが、小生にとってもこの週しかないので、やはり教員の甥に面倒をみてもらうことを前提に強行した。ところが幸か不幸か、丁度九州地方の大雨(実際は中津地区は降らず)とぶっつかり野球は両日とも中止となったので大局的にみれば「水不足」の解消、小局的にみれば小生にとって「好都合」の展開となり、昼は海ICの九州支店の幹部とゆっくり懇親は出来るし、夜は姉夫婦さらには甥一家とも充分な団欒の時間が持てる等、結果的には万々歳となった。
 老母の方はこのところ、食欲もあり時には反応も示すというので、家族の写真や筆談の準備までして張り切って老人介護施設「三光園」(写真)に両日に渡り行ったが、顔色は多少いいものの以前同様何も分らないので、張り合いはなかった。しかし、施設のスタッフは皆親切・至れり尽くせりで、94歳と95歳の誕生日の写真が枕元に飾ってあったが、スタッフと楽しそうに写っており、“生きているだけでいいか”と考えなおし中津への往復を終えた。


7月1日(金)[TOKYO39会「暑気払い」]

久しぶり「TOKYO39会」(三菱自動車田町地区勤務・昭和39年入社同期生・有志の会)の行事に参加した。というのも月例の会であるゴルフがウィーク・デイに開かれるので、小生のホームコースの「東京CC(秦野)」であるのにも拘らず出れないためである。それで普段の“不義理”を補うためにも「夜の部」である今回は万難をさいて出席した。小生にとっては今では懐かしの街となった「自由が丘」に降り立ち、いつものてんぷら屋「与喜」の3階の“天守閣”(我々はそう呼んでいる)に8人が集まった。(1人は早くも老人ボケで忘れて欠席)
 毎日が「ネテ曜日」の人が大多数となって来たが、こういう症状が現れるのは困ったものだ。なにはともあれ集まったメンバーは楽しくしゃべりかつ飲んだ。(写真参照)

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