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5月30日(月)〜31日(火)[「海IC株主総会(郡山)」]

2005年度第39回海ICの株主総会が郡山・磐梯熱海の「ホテル華の湯」で開かれた。昨年同様、株主は社長1人(及びご家族等)であり、株主総会という名の“役員慰労会”である。2日間ゴルフ三昧の豪華版である。今年から増えた執行役員も含め総勢14名が参加して、和気藹々と普段の厳しい職務から開放されて楽しんだ。(写真)

初日が「郡山熱海CC」、2日目が「大玉TAIGA CC」で、折から関東地区は両日とも雨だったようだが、大雨の中東京・上野を出て新幹線で宇都宮を過ぎると道路も乾いており、千葉方面という意見もあったが、「温泉」優先で東北を選んだ事務局担当としては大いに鼻が高かった。ところが翌日の天気は安心して、大酒を飲んで翌朝起きると雨である。心配したがさすがに運よく前半数ホール霧雨程度降られただけでまずまずの天気であった。
成績は新ぺリアで初日は良いスコアの割りに5位、次の日は悪いスコアの割りに5位とまずまずで、豪華な賞品を頂いたうえ楽しく上野まで飲み続けて帰った。


5月27日(金)〜29日(日)[「名古屋39会」「愛・地球博」等]

28日(土)の「名古屋39会」出席のため、名古屋駅の「マリオットアソシアホテル」に2泊(1泊は長男一家と同宿)し、三菱時代の先輩と会食したり、孫と遊んだり、「愛・地球博」を見学するなど、女房と名古屋生活をエンジョイした。女房の体のこともあり、無理をせずホテル中心ののんびりした休日を過ごした。
「愛・地球博」は名鉄バスで長久手会場を往復、雰囲気だけ味わい、最後に比較的すいていた大阪万博でも入場した「三菱未来館」(写真左)のみを見学して帰った。
本家「名古屋39会」(飲み会)は、いつものテレビ塔脇の鶏料理「玉翠」(写真中)で行われた。高層ビルの間の“老舗”だけに、注意しないとつい通り過ぎてしまう。増加し続ける東京の「OB会」と違い、東京からの3人を含めて12名といつもと同様というのが良い。次の「ゴルフ会」の日程を決めてもらいホテルの予約を前広に行った。
最後に、39会メンバーが社長の「マリオット・アソシアホテル」の前で、 長男一家と記念撮影(写真右)をし、早目に「上野庵」に戻った。



5月26日(木)[MBI第23期「同期会」]


MBI(マッキンゼー研修)第23期の「同期会」が、久しぶり新橋で行われた、1991年12月〜1992年3月までの組なので、13年皆平行移動しており、当時のメンバーは大体現在50才〜70才。当時の青二才が会社幹部、ロートル組みはリタイアで減量成功者(7s〜12s)の自慢話をいろいろ聞かされた。いずれにしろ酒を断たねば成り立たないようなので、小生はもう少し先に延ばすことにする以外ない。25名中12名が集まりいつものことだが、楽しい会となった。(写真参照)


5月25日(水)[5月度「Lの会」]

今月の「Lの会」(リードテックOB会)は、本拠地の品川にしたのにもかかわらず6人と出席者が少なかった。(写真参照)それぞれ都合が悪かったようだが、やはり大勢の方が良いようだ。次回はもう少し集めようということにして、それはそれで楽しく飲んだ。インプラントの手術後の“抜糸”も今日終わり酒も普通に飲めるようになった。


5月22日(日)[松ヶ丘親睦会「清掃日」]

例年どおり、相模原市の「清掃の日」にあわせ、地域自治会・松ヶ丘の「清掃日」である。

8時半集合、草刈り、ゴミ箱ペンキ塗り、消火器・交通標識等の見直し等全員で行い、終って軽く一杯やりながら、役員からの諸連絡で昼前終了、というのがいつものパターンである。ことしは他所で事故があったらしく「ドブ掃除」がなくなったので楽であった。目的がはっきりしているだけに飲み会等に比べ出席率はよいが、昔に比べると随分“事務的”になったような気がする。(写真参照)


5月20日(金)[「MBI祝賀会・感謝会」]

「MBI(マッキンゼー研修会)」9期生で、次期ソニー社長に就任する中鉢良治氏の祝賀会が、いつもこの同窓会イベントにご協力頂いている同氏の奥様はじめ4名の奥様方に対する感謝会も兼ねて、竹橋のKKRホテル(東京共済会館)で行なわれた。
第9期生を中心に約40名のMBI生と、奥様や恩師・スタッフ等合計約60名が集まった。(写真参照)小生も昨日の手術の後で、流石にアルコールは咽を通らなかったが、中鉢氏の話も含めいろいろと面白い話も多く、少々無理をして参加した甲斐はあった。


5月19日(木)[「東京医科歯科大学病院(インプラント再手術)」]

実は今年2月6日一念発起し水泳を再開したのは以前書いたが、その時歯を食いしばったら約10年前米国で入れた2本のインプラントのうち1本が外れてしまった。半永久的なものと信じていたが、旧式でもあるし老化も進めば仕方のないことらしい。その後東京医科歯科大学病院(写真)の専門医に任せていたら、今日再手術となった。手術そのものは1時間程度で済むが「静脈内鎮静法」という新しい麻酔方法を使うとのことで、1日がかりとなった。結果としては、そのほとんどが熟睡でき、疲労回復に役立ったが事前には相当の“脅し”となった。「金より時間の方が・・・」と病院では粋がったが、高い水泳についた。今回は一応成功のようであるが、3ヶ月後ぐらいにもう一度あるらしい。このところの“災難”続きから早く脱却しなければ・・・。


5月18日(水)[「国立がんセンター中央病院」・「剣友会」]

3月の「人間ドック」で女房が再検となり、4月一杯築地の「国立がんセンター中央病院」で検査をした結果、4月27日『乳がん』の診断を受けた。即日薬による治療が開始されたが、今日2回目の診療に同行し主治医の説明を受けた。幸い最先端の医療機関で、経過も順調の様子、治癒に向けて家族一体となって頑張りたい。

夜は、何年ぶりかの東大剣道部昭和39年卒同期会「剣友会」が六本木で開かれたので参加した。個々には互いに会っているが、確か2年前に同じ場所で在京6人でやって以来である。メンバーの1人が両親の介護のため郷里に帰るので、送別会を目的に集合した。地方在住者は欠席で、全員とはいかなかったが13人中10人が集まった。(写真参照・久間衆議院議員ほか1名が中座後)
皆昔にもどり、かつ各々ユニークな近況報告等をしながら大いに楽しく飲んだ。


5月16日(月)[5月度「3月会」]

月例の大学クラス会「3月会」、先週確認の通知を出すと欠席者が続出した。あまり期待しないで、いつもの新橋クラブ・ジャパンに行くと、また先日の「紅一点」ゴルフの出走メンバー4人のみであった。クラブ・ジャパン自体も他にお客が1人も来ないという珍しく“不景気?”な夜となった。
しかし、宮崎の同窓会から帰ってきたばかりの深江マスターの貴重な「お土産」を独占で頂くことができたり、かつクラスメートの石川静岡県知事がたまたま在宅しており、電話で特別参加してもらったりして、いつもどおり楽しく飲んで散会した。


5月2日(月)〜5日(木)[連休・初節句(3代飾り)・シェスタ河口湖]

5月2日夕方、初孫・達輝を連れた長男一家と、新婚の次男一家が5月連休で我家に集合した。小生はゴルフ帰りで会食には間に合わなかったが、充分な団欒が持てた。次男夫婦は明日から神戸へ旅行に行くということで夜帰ったが、3日は初孫の初節句、4日〜5日と日経新聞の広告で衝動加入した「四季の旅・エクセレント」の初体験で、河口湖にあるコンドミニアム「シェスタ河口湖」の生活を孫とともに楽しんだ。


まず、3日の初節句は我家で小生待望の5月人形の「3代飾り」(写真右が65年前の小生のもの、真ん中が34年前の息子達のもの、左が今年の初孫のもの)で撮影会を行った後、橋本の料亭で祝宴を張った。
この機会に長男用の“レプリカ?”も買ったので、写真の真ん中のものは次男用と決めることができスッキリした。

4日〜5日は、“別荘がわり”にと入会したばかりだが初体験を兼ねて、長男一家の車に夫婦で乗せてもらい、「河口湖」というか富士山ろくの林の中のコンドミニアム(写真)に行った。
部屋は約25坪のゴージャス、プール、テニス・スカッシュコート等完備で申し分なかったが、レストランは想像と違ったので、夕食は市街地の焼肉・イタリアンレストランへ行った。往きは河口湖インターの大渋滞に巻きこまれ4時間もかかったが、帰りは電車で2時間弱で帰れた。


5月2日(月)[第3回「潟Gヌ・ケイ・エス川崎/親睦ゴルフ大会」]


今日は、千葉・房総半島の香木原カントリークラブで劾KS・川崎の第3回懇親ゴルフ大会が行われたので、3時起き4時半の橋本始発電車で横須賀線新川崎駅に出て、車で拾ってもらい東京湾アクアラインで7時半に現地に着いた。海ICは連休中日の出勤日だが、取引先でもあるので今回から小生はプライベート参加としたが、特別に参加の許可をもらった。代わりに営業担当の部長が会社を代表して参加した。劾KSは三菱自動車が寮社宅管理・警備・郵務業務などをアウトソーシングした「日本管財」の子会社である。小生の前職の“エステック(潟梶[ドテック等)”各社の業務を引き継いでいるので、元部下も数人参加している。特に川崎は小生の出身の「ふそう」なので、参加者の殆どが顔みしりである。前回、CICの川崎営業所長が腰痛のため、小生が特別参加したが、これからプライベートで毎回参加すると宣言したもの。
朝方雨模様であったがスタート時点で止み、日中は快晴となり6組24名で楽しくプレーした。(写真参照)小生は前回“新ぺリア”で準優勝だったが、今回はそれが逆目に出て19位となった。しかし内容はほぼいつもどおりの出来であった。

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