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2月26日(土)〜27日(日)[CIC管理部門・社員旅行(河口湖)]

海ICは毎年社員旅行を行う。数年前までは全社で行っていたらしいが、最近は人数が多いので「部署旅行」とし、原則部単位・一泊である。今年も北海道まで足をのばした部もあるが、本社管理部門(総務・人事・経理・企画・システム・研究開発の約30名)は、河口湖への一泊旅行となった。

観光バスで朝9時会社前を出発、一路河口湖に向かいクラフトパークというところで、サンドブラスト体験によりビールジョッキに各自好みの図案を入れ、夜の宴会の乾杯用とするなど、若い幹事のアイデア溢れるものである。
また皆の昔の写真をスライドで見せたり、ビンゴゲーム等、宴会後も有志でカラオケ・麻雀を楽しむなど久しく忘れかけていた楽しい社員旅行となった。
天気も申し分なく、特に27日は写真のような素晴らしい富士山がホテルの温泉の窓から眺められた。帰りは「忍野八海」を見物し、午後4時前に上野に帰り着いた。


2月24日(木)[「小藤武久氏葬儀」]

三菱自動車での3年先輩で、最後は潟梶[ドテックの分割元会社兜H東エステックの社長でもあった、小藤武久氏が2月19日亡くなられ今日横浜市北部斎場(長津田)で葬儀が営まれたので出席した。
入社時、重工の川崎自動車製作所の小藤さんは、東京製作所(下丸子)とは多摩川を挟んで工場は隣同士だったが、同じ教育係で養成工学校等一緒に運営しており、我々若手社員の兄貴分的存在であった。その後組合活動に専従され、小生が川崎工場の勤労に移り課長になったころ、彼も安全福祉課長で
その頃から小藤・堺のコンビで野球部を強くしたり、市会議員選挙に当たるなど兄弟同様の関係が続いた。会社終盤も菱名・菱東エステックさらにはリードテックと同じ環境で仕事をし、大いに助けて頂いた。小生の三菱生活では最も親密で忘れ難い先輩である。

早稲田大学バレーボール部から請われて「三菱日本重工バレー部」 の監督で入社された。バレー部は事情がありすぐ廃部となったが、その人格は「鬼の大松、仏の小藤」と言われたとおり素晴らしい方だった。
また、大の酒豪で酒をのんで乱れることはなく、おかげで小生などは多くの大先輩の酒席に陪席させて頂け、大変な勉強をさせて頂いた。昨年の今頃胃癌に侵され、一旦は全快のように見えたが、昨年暮れ再発ついにお見舞いに伺うタイミングも失い残念な限りである。ご冥福を祈りたい。合掌。


2月21日(月)[2月度「3月会」]

今年度総会を3月23日に控えて、2月度「3月会」(東大教養部文一6組月例クラス会)が、いつもどおり新橋のクラブ・ジャパンで開かれ、久しぶりの江田五月参議院議員等8人が集まった。(写真参照)

今のところ総会は出席25名、欠席5名、出席不可3名、未回答17名なので、昨年を上回ることは確実である。「準備会」にするつもりだったが、司会・会計等の予定者が欠席なのと、メンバーの西武鉄道前社長の小柳君の訃報もあり、“黙祷”のあと普通どおりの飲み会となった。
同級生として何かしようと、交渉役が小生にまわってきた。帰宅してやっとFAXは通じたが、結局遺族とは連絡がつかず諦めることにした。


2月18日(金)〜20日(日)[「次男結婚式」(前夜祭・うなぎ)]

19日(土)次男・信人の結婚式が、横浜の「アートグレイス・ポートサイドヴィラ」というところで開かれた。2人が気に入って半年程度待たされた式場だけあり、さすが施設・食事・運営等申し分なかった。
勿論仲人もなし、にわかキリスト教の“今風”のものだが、2人(というか新婦)が苦労した手作りの小冊子や、スライドにあわせ出席者の祝辞や余興で素晴らしいものとなった。(写真中参照)
ただし、入籍は昨年10月、新婚旅行は今年の8月と両人の勤務の都合もあり変則的だが、喜びを3回に分けて味わえると考えれば合理的なのかもしれない。

また、郷里大分県中津市から出席してくれた姉夫婦(含む東京在住の甥)と、我々夫婦及び名古屋からの長男一家は、前夜および当日、品川・御殿山にあるホテル「ラフォーレ東京」に宿泊し、久しぶり楽しく“交流”の機会がもてた。(写真左・前夜祭参照)


さらに、翌日姉夫婦を送り出したあと、もう一泊する長男夫婦に新婚夫婦も含め相模原の我が家に集結、今まで両嫁には話しだけだったが、厚木の中津川のほとり(才戸橋近く)にある「川入園」に名物のうなぎを食べにいった。 時期の関係もあり、最盛期とは多少違ったが満足してもらえたようだ。(写真右参照)


2月17日(木)[「ゴジラ会」]

年3回の「ゴジラ会(東大剣道部・戦後〜昭和40年卒のOB会)」の今年初めての会が、いつものルポール麹町(麹町会館)で開かれた。

小生は受付・会計幹事なので開始1時間前に到着した。毎回つり銭の両替に苦労していたが、ホテルのフロントでOKという事がわかった。ほぼ例年どおりの34名が出席。トヨタ副会長になられた張先輩は焼酎「森伊造」が代理出席となった。久しぶり“尾林・京野・黒澤”の三菱重工・自工の大先輩も元気に出席された。


2月16日(水)[「整体」・「水泳」・「神山五郎先輩」]

今日は今週唯一の“ノー・アルコール”日である。17時10分に会社を出て、17時15分予約の「整体」に行き、終わって「上野庵」で着替え、清島温水プールで19時から1時間弱泳いだ。すべて300メートル以内の範囲にある。
年賀状代わりの挨拶状で、東大剣道部の大先輩の神山五郎医学博士が、「アパリ・クリニック上野」という“薬物依存症のためのクリニック”を開かれ、それがまた、プールから上野庵へ帰る途中(東上野6丁目郵便局の隣)にあることが分っていた。先日立ち寄ってみたら先輩は不在だった。
今夜通りかかったら丁度閉院間際の様子で明かりもついていたので、訪ねてみると先輩が居られ、最初まじまじと小生を見る。「水泳帰り」というと、「元気で良かったな」といわれる。どうも先日立ち寄ったことだけが伝えられていたようで、小生か家族かが「患者」に近いのではないかと思われていたようだ。先輩からは著書まで頂き、他の先生達も、久しぶり?みる「元気な人」を歓迎してくれた。
明日の「ゴジラ会」でお会い出来るだろうと思っていたが、先輩は都合で出られないとのことで、今日偶然ながら積極的に訪問したのは正解だった。


2月11日(金)[「副社長(妻)誕生日=映画・オペラ座の怪人=」]

昨日2月10日は女の誕生日だったが、上野から遅く帰るので、今日の祭日に持ち越すことにしていた。昨年の「還暦」は都響の定期コンサートにしたが、今年は昨年橋本の「ユニー」の跡地に、「MOVIX」という映画館(写真参照)が出来てまだ行っていないので、前から見たいと思っていた「オペラ座の怪人」を2人で見に行くことにした。
実は1992年3月11日、マッキンゼー研修の終盤ロンドンで、本物のミュージカルで見ているので自分の英語での理解力がどれだけ正しいのか確かめてみたい気もあった。夜の“祝宴?”につなげる意味もあり、15時50分の開演時間に合わせて行くことにした。


時間があるので、昼前「体慣らし」のため北の丘プールにまた水泳に行き、帰りなじみの「床屋」に行き19日の次男の結婚式の準備もすませ、3連休中日の明日が完全休養日となるようにした。


映画館はチェーン店と思うが、すっかりアメリカナイズされている。それではとポップコーンにさすがにコーラでなくココアを買い込み、座り心地のよい座席と、素晴らしい(少々大きすぎるが)音響効果の中で映画を楽しんだ。
ロンドンでの理解は大筋では間違いなく、映画ならではの細かいところが“なるほど”とわかり、音楽会とは逆に今日の主役の“寝息”を聞きながら、一睡もせずに最後のキャスティングの字幕まで注意深く全部見た。
終っていつも行くイタリアンレストランで、豪華?な食事をして今年の誕生日行事は無事終了した。


2月9日(水)[「水泳(台東区・清島温水プール)」]

“思いついたが吉日”今日は夜が空いているので、会社・上野庵近くの「清島温水プール」(写真)に行くことにした。昼休み下見し、午後社用で外出したついでに「日本橋・高島屋」に寄り、水泳パンツ・帽子・水中眼鏡と一揃い購入したうえ、19時からの一般公開時間の少し前に行き、「高齢者」等の登録をし、2500円で11回使える回数券で入場した。相模原とは違いプール自体も7コースの25メートルプール1つのみで、さらに時間帯も違うが、若者が多く遊び的な雰囲気は少ない。おかげで、こちらもさっさとコースロープのある方で、皆の流れに合わせ所定の500メートルを30分で泳ぎ、オープンコース(4コース分)の方で少し気楽に数往復して帰った。


2月6日(日)[「水泳(相模原北の丘センター)」]

最近の飲み過ぎ・運動不足で体重が少々増え気味で気にしていたが、先週丸の内にある「糖尿病リハビリ病院?」にドック入院している知人を見舞ったところ、腰掛けて立ち上がれない太った老人がいたので、珍しく義侠心を出して看護婦を手伝い立たせたが、一緒にいた部下が「堺さんの何年か後ですね」という。

前から上野の会社の近くに台東区のプールがあるのは知っていて、いつか行こうと思っていたが、一念発起!水泳を再開することにした。まずは慣れたところでと思い、いつもの家から車で5分の「相模原北の丘センター」のプールに、昼食後久しぶりに行った。65歳以上はシニアということで今までの400円が200円(子供と同じ)になっていた。(ロビーの写真参照)
多少息のあがるのは早まったようだが、従来どおり泳げてホットした。

今晩「上野庵」につけばすぐぐっすり眠れるだろう。


2月5日(土)[CIC中延事務所「出羽三山神社・山伏祈祷式」]


海IC恒例の新年の出羽三山(羽黒山・湯殿山・月山)の山伏祈祷式が、昨年新設された「中延事業所(3営業所)」で15:30から行われたので、昨年の「江東事務所」に続き出席した。(写真)
これは芳賀社長が郷里「山形県羽黒町手向(トウゲ)」にある同神社の「大江戸勧進(毎年節分2/4に明治神宮・明治記念館で行われる)」の大スポンサーとしての行事の一環で10年ほど続いているとのこと。
これまで旧本社を含め約10事務所が祈祷を受けているが、いずれも無事故で、業績も上がっているらしく、霊剣は灼(アラタカ)のようである。
式が終ってから山伏様たちをホテルに案内し、一席設けるのが慣わしで今年は、五反田の「ゆうぽうと」だったが、返礼に“ほら貝”を1番貝・2番貝・・・・と何度も吹き鳴らしてくれる。われわれも挑戦してみるが、なかなか音は出ないものである。
山伏は神仏混合で、九州(我が地区)の「英彦山」と熊野神社の山伏とで全国を3分割していたのだそうだ。出羽三山の歴史は1400年前に遡るのだそうだ。全員大学出ですっきりした若者も多い。いろいろ知識も増えて面白い。


2月4日(金)[ポルトガル「河野仁先輩」]

三菱自動車リタイア後、現在奥さんとポルトガルに住み着いている、東大剣道部1年先輩の河野仁氏から「ハワイでの娘の結婚式に出席するため日本に帰るので,今日か9日を開けといてくれ」と例により一方的通告があった。
 後はこちらからの連絡手段がなので、間際になると先方からの電話を待つしかない。三菱自動車にいる剣道部の後輩、多賀谷前社長・中川MAE社長にも声をかけたら、中川君は今日ならOKとなっていた。昨日電話があり、「多賀谷君達がくるなら、上野界隈の風情のある店でやろう」という。

多賀谷君はさすがに来れないが、あわてて会社で聞くと「鶯谷駅(根岸)付近の「笹の雪」という豆冨料理屋(写真)がよい」と聞き、新橋のクラブ・ジャパンは待ち合わせだけに使い、2人を“個室”に案内し楽しく飲んだ。
流石に老舗だけありなかなかのお店であった。河野さんも「昔ここでデートしたことがある」と喜んでくれた。
「上野庵」からも至近距離でヘルシーでもあるので、また女房も連れて来ることにした。明日は「出羽三山神社の山伏祈祷」もあり、出勤するのでタクシー1メーターで帰れて小生も好都合であった。

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