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1月30日(日)[「アートグレイス・ポートサイドヴィラ(横浜)」]

2月19日に次男が結婚式を挙げる、横浜駅近くの「アートグレイス・ポートサイドヴィラ」という結婚式場を、当日のモーニングの試着を兼ねて初めて訪れた。先日「横浜そごう」のレストランから見て大体は想像していたが、欧米の王侯貴族?が自らの豪邸にお客を招きパーティをする雰囲気と同様にというのが目的らしいが、素晴らしい施設である。(写真参照)
 ハワイ・浦安・名古屋等にも展開しているそうで、ホテルの結婚式と違い他のカップルと重複しないというのも売物らしく、今の若者の好みにマッチしているようだ。丁度自宅から「上野庵」への移動の途中となり好都合で、女房と一緒に親戚等の誘導の手段・道順等も確かめることが出来たが、当日の好天気を願うのが第一のようである。


1月29日(土)[「平山孝司氏葬儀」・「松村光典君歓迎会」]

 小生が三菱日本重工に入社した時にも、川崎工場の労組委員長を務めており、6期にわたり、川崎市議会議員も務められた平山孝司氏が80歳で亡くなられた。小生は入社後7年は丸子工場だったので、“音に聞く存在”だったが、川崎工場に移って以来大変お世話になり、可愛がって頂いた。特に市会議員を引退し、今の潮田智信氏に引き継ぐころは、小生が勤労課長で正に親子のような間柄で接して頂いた。大酒飲みだったが、素晴らしい人格の方だった。
 昨年奥さんを亡くされ、少し元気がなくなったようにみえたが、昨年末病気になり急逝されたとの事「大往生」である。昨夜の通夜にも出たが、今日の葬儀(川崎市元住吉)でも大勢の昔の仲間に会うことが出来た。皆「三菱ふそう」の復活を心から願っているわけである。


 夜は、昨年からJICA派遣でトルコのアンカラで剣道を指導している、東大剣道部一学年下の松村光典君(元NHK)が、一時帰国しており彼の同期生が、クラブ・ジャパン(新橋)で集まるというので、特別参加した。(写真)
トルコの剣道事情等、有意義な話を沢山聞かせてもらったが、こちらも今話題の「NHK問題」の方に質問が集中しがちであった。


1月27日(木)[三菱ふそうトラック・バス「ヨコの会」]

 約30年ほど前から、三菱ふそう川崎で開発部門を中心とした有志が「ヨコの会」という非公式グループを結成し、「勉強会?」と称した「飲み会」をやっていた。当然のことながら、小生も当初からのメンバーの一員であった。

 1991年米国行きのため、川崎を去ってからは無関係となっていたが、ずっと続いていたらしく、先日幹事のS君からの誘いがあったので喜んで参加した。場所も昔どおり多摩川線(旧目蒲線)の「鵜の木」駅近くの「ひさや」で、駅のまわりの雰囲気は随分変わっていたが、同じ場所で営業規模は拡大しているようであった。昔いた親父はもういないだろうと思ったが、確認もしなかった。
 当時ご高説を頂いた先輩メンバーには社長や副社長になったり、物故した人もいる。当時の若手だった我々世代はすでにリタイア。全員老人扱いで、現役の最高は現「三菱ふそう(MFTBC)会長」の堀君であった。(写真参照)
ご難続きの三菱であるが、今日のタイミングは非常によく、多くの昔のメンバーに若手の初めて会う人も含め、以前同様勝手なことを言いながら12時近くまで楽しく飲み、日付が変わってから「上野庵」に帰りついた。


1月20日(木)[1月度「Lの会」]

 「Lの会」(潟梶[ドテックOB会)が新年会をかねて、いつもの品川・港南口にある、居食屋「和民」で開かれた。ほぼいつもどおりの8名が集まった(写真参照)。
自然に経営再建計画の発表が1月末に迫っている三菱自動車の話も出たが、昔話や家族の話等で大いに盛り上がり例によって楽しく飲んだ。そろそろこの会の歴史も残そうなどの動議も出て、珍しく店も空いており時間制限などお構いなしに9時過ぎ解散した。
 中心メンバーの山男兼スキヤーの都合もあり、2月はとばし、3月初旬に次回は開催することになった。


1月17日(月)[1月度「3月会」]

1月度「3月会」(東大教養部月例クラス会)が、いつものように新橋のクラブジャパンで開かれた。写真のように7人が集まった。今回は超秀才で大蔵省に入ったU君が、少し暇が出来たせいか、卒業以来始めて顔を出してくれた。普段賑やかな常連メンバー達がたまたま欠席ということもあり、すこし普段と違った“高尚?な”新年会となった。

3月23日(水)にまた東京ステーションホテルで、年1回の本番のクラス会を開くことも決まった。


1月14日(金)[CIC「釣りクラブ会合」]

鰍bICの唯一の公認クラブ活動?で「釣りクラブ」というのがあり、是非出てもらいたいと大分前から幹事に言われていた。「釣り」は子供の頃やった程度で嫌いではないが、面倒くさくて“趣味”にはしていないなどと答えていたが、『実は近年は一度も活動したことはなく、これを「肴」に皆で集まって飲む親睦団体で、その飲み会も昨年は流れて2年ぶり』というので“OK”の返事をしておいた。
中心が我が配下の「研究開発室」で忘年会抜きの新年会代わりともなったので丁度よかった。
ただし、今日の当日は昨夜飲みすぎて2日酔い気味なのと週末の疲れと相模原帰宅等で、少々我ながら付き合いの良さを反省しながら参加した。
場所は、以前も1回「研究開発室」で来たことのある、新橋近くの銀座ナイン3号館にある「カルネステーション銀座店」という焼肉等食い放題・飲み放題の若者向きのお店で、金曜日ということもありほぼ満員の繁盛ぶりであった。本社だけでなく都内各営業所からの参加者もあり、約30名が7時に集合2時間切りの飲み食い競争みたいな会で、体調の万全でない小生にとっては少々苦痛でもあったが、幹事の努力で最後は「ビンゴ」ゲームなどをして、孫向けの「ディズニー・グッズ」等まで頂き、楽しく相模原へ帰った。


1月13日(木)[(社)日本商工倶楽部「新年祝賀交流会」及び「旧友」]

みずほコーポレート銀行(旧興銀)系の頭書交流会が、神田の「如水会館」で開かれたので海ICの社長・専務の名代で、同銀行出身のCICの顧問と二人で出席した。200人を超す出席者で盛況であった。(写真参照)
来賓のトップに東大剣道部同期の横田中小企業金融公庫副総裁が出席していてくれたので、余計に肩身が広かった。
さらに昨日、NTT入社の大学同期生から「小生に会いたがっている同期生を紹介したいので、クラブ・ジャパンで会おう」と電話があったので、終わってから新橋に行くことにしていた。横田君にも話すと彼も一旦勤務先に戻ったあとまた来てくれて、4人で楽しく飲んだ。卒業以来始めて会う旧友だったが、面影もあり昔の話に花がさき、つい飲みすぎてしまった。


1月11日(火)[「田町会(新年会)」]


東大剣道部同期前後で田町付近に縁のある者の非公式“飲み会”「田町会」が昨年暮れ、小生が久間自民党総務会長室を訪ねたのがきっかけで、実兄がメンバーでもある同副会長の野田毅衆議院議員(東大同期)をいれて新年会をやろうという事になり、場所もいつもの高輪台の「京やまや」で、珍しくすんなり全メンバー(6人)の都合が合い決まったもの。

18時ごろから集まり18時30分正式開始としていたが、ほぼ全員が18時過ぎに集まったので早めに楽しく飲み始めた。年をとると17時以降は時間をつぶすのに苦労するようになるのだそうだ。いつものとおり“談論風発”楽しく有意義な新年会となった。(写真参照)


1月8日(土)[「赤門剣友会新年会」・「麻雀初打ち」]

今日はCICの出勤日でもあるが、恒例の「赤門剣友会(東大剣道部OB会)新年会」が13時からいつもどおり、本郷3丁目ホテル「機山館」で開かれるので、社長の許可を取って午後出席することにした。いつも11時からの稽古会に引続いて行われるので、稽古をしていないと肩身が狭いが今日はそれを感ずる必要がなく良かった。
同じく三菱自動車も今日は出勤日で、46年卒の多賀谷社長も参加していたが、彼はこれから会議もあるということで酒もあまり飲まず中座していた。
明日剣道部の卒業式を控えた4年生はじめ、新幹部の3年生の現役学生も出席する、毎年恒例のOB会公式行事であるが、流石に最近は最初の「君が代」斉唱はなくなった。
毎年1年後輩の40年卒組は同じ日に「同期会」を開き、この本番には数人しか出ないのは昨年も述べたが、今年も1人しか出席せず4時から神田の学士会館で、ということで誘われ一旦はその気になったが、今年はいつも一緒に闖入する仲間も欠席しており少し迷っているうちに、33年〜36年卒の大先輩3人から「麻雀のメンバーが1人足りないのでやらないか」と誘われ、今年はそちらに参加することにした。
本郷3丁目の先輩達なじみの雀荘で、相模原に帰るので“夜9時を過ぎたら新しい回に入らない”という約束ではじめたが、結局10時ごろまでやり、八王子発横浜線最終電車にギリギリ間に合い12時近くに自宅に辿り着いた。
結果は「名刺代わり」の、丁度よい負けで終了したが、剣道では声も掛けにくい?大先輩達と思いがけない楽しいひと時が持てた。これから声のかかる率も高くなるだろう。


1月3日(月)[河野一族新年会]

86歳の義母を頂点に、3姉弟の家族が全員集まる恒例の「河野一族新年会」が、今年は“木曽路・三鷹店”で12時から開かれたので堺家も全員で出席した。昨年も嫁1人に曾孫3人増加し、合計22名全員出席したが、今年は我軍のみで嫁1人、曾孫1人増加させ、やはり全員出席の合計24名となった。(写真参照)
来年も曾孫1人の増加はすでに内定しており、まさにネズミ算の渦中にある。
次世代(孫)も、社会の中枢を占めるようになってきており、“河野一族”は少子化の風潮など関係なく頼もしい限りである。
終わって我家は全員で相模原の自宅にもどり、夜は賑やかに「焼肉パーティ」と「自動卓麻雀」で、今年の正月を締め括った。明日は長男一家(孫)も名古屋にもどり、小生も上野庵に向かい通常の生活に戻ることになる。


1月2日(日)[京王プラザホテル多摩「家族新年会」]

昼過ぎ、小生はまた追加の年賀状を出しに橋本郵便局へ、長男一家は夜全員集合の場所となっている「京王プラザホテル多摩」に向け一足先に出発した。
南大沢にある“大型アウトレット”でのショッピングを楽しむらしい。

夕方次男夫婦が自宅に到着、御屠蘇で祝ったあと、4人でホテルに向かった。
会食場所は予約が間に合わなく、遅くなるのも覚悟していたが、ラッキーにも、ホテル内の中華料理「南園」の丁度よい個室が空いており、快適な「家族全員での新年会」ができた(写真参照)。
終わっても8時前で、次男夫婦はイルミネーション一杯の“多摩センター”駅付近の散策も楽しむことが出来たようだ。


1月1日(土)[「元旦」「お食い初め」]

明けましておめでとうございます。
大晦日の大雪がうそのような快晴の清清しい元日である。昨夜隣の山形出身のご主人が例により早速雪かきをしている音が聞こえていたが、流石に付き合う気になれずにいた。今朝早めに起き表に出てみると我が家の前の道路もすっかりきれいになっている。あわてて車庫(=玄関だが)の前に少し残っている雪を大きな音を立てて除き近所の手前を繕った。

今日は初孫・達輝を連れて長男一家が相模原の自宅にやってくる。東名はまだ不通とテレビに出ていたが、「今、車で出発する」と10時頃電話があった。到着までに年賀状と格闘し、CIC社員の多数の新規分も含め約100枚を近くの郵便局前のポストに投函して帰るころはすでに薄暗くなっていた。
しかし孫の到着で、急に明るくなり長男の要請による「お食い初め」なる儀式(写真)も無事終了し、元旦はあっと言う間に終わった。
明日は年末から嫁側の挨拶まわりで名古屋に行っていた次男夫婦も合流。近くの京王プラザホテル多摩に全員で宿泊し、明後日は皆で義母の主宰する、女房側一族の恒例の新年会に出席する予定である。

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