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12月29日(水)[CIC「仕事納め」]

CICでの1年が‘嵐’のように、今日で終った。年明け初日の定例役員会議にかける予定の“懸案”の来年度からの「給与体系の変更と規則・規程の整備」の成案を完成、午前中人事部全員に説明し、‘疲れ’と同時に‘達成感’のある年末となった。そして12時から会議室で本社「納会」が賑やかに行われた。
週に数回出勤という約30名いる、普段あまり社員になじみの薄い顧問(60歳以上)達も大勢出席し、恒例の「じゃんけんゲーム」等で大いに盛り上がった。(写真)
結局最後の“お開き”は15時半すぎてから。来年は「ゲーム」最終勝者は“海外旅行”と我社ではまんざら冗談では済まされないような結論を得て,帰路に着いた。


12月25日(土)[海IC協賛「都響第九コンサート」]

 海ICは2年前から、東京都交響楽団の第九コンサートを協賛している。地元の上野・東京文化会館開催は去年からで、より密接な関係になった。“協賛”というのは、プログラムに広告を掲載するのは勿論のこと、約3分の1の座席を買占め、CICのお客様を招待していることである。
 小生は去年初参加したが、様子が分からなかったため先約を作ってあり演奏を聞くことは出来なかった。都響は時々聞いているので分かっているが、やはり二期会合唱団による第4楽章「歓喜によせて」の合唱は素晴らしかった。それにギュンター・ノイホルトというオーストリア人の指揮者も良かった。(写真はCICの広告が左、第九のポスターが右)
 社長以下全役員で入退場時の挨拶をして、終わってから「反省会or打上げ」をして、、気持ちよく酔っ払って今週末過ごす予定の「上野庵」に帰った。


12月22日(水)[顧問税理士との忘年会]

 潟{−ダーコムの顧問税理士は、前会社潟梶[ドテックの顧問税理士であった江田先生である。現在も兜H東エステックの流れをくむ鰍モそうテクニカルサービス(FTS)も含め数多くの会社を担当されており、かつ昨年は叙勲も受けられた大物税理士である。昔、相模原税務署長もされていたこともあり、分不相応な当社の面倒を発足当初から見て頂いている。勿論報酬は事の都度、微細な“実費”におまけして頂いており「顧問」などと言えた義理ではない。しかし、先生の“顔”の南橋本の料亭「富士」で会食して以来、時に女房と食事を一緒にさせて頂いている。今回は丁度忘年会シーズンとなったが、やはり先生の京橋税務署長時代以来入魂という、銀座1丁目のふぐ料理屋「山田屋」となった。老舗の落ち着いた雰囲気のなか、最後は若主人の自慢の“ふぐのにぎりずし”まで出て美味しかった。終って明日祭日のため久しぶり相模原へ帰った。


12月20日(月)[12月度「3月会」]

今年最後の東大教養部の月例クラス会「3月会」がいつもの新橋クラブ・ジャパンで開かれた。7名の常連組の参加で“忘年会”に相応しいものとなった。中越地震の小千谷市に単身赴任中のN君の報告や、次のゴルフの予定など話題も尽きずつい予定時間を遥かにすぎて、少々飲みすぎの態で上野庵に遅く帰宅した。



12月19日(日)[MESSIAH「メサイア」コンサート]

義母(86歳)及びその“介護出演”を自称する女房が所属する西東京市の女声合唱団「コールファミリア」が、その指導者・草野一哉氏が指揮するコンサート「メサイア」(ヘンデル作曲)に、他の草野氏が指導する4合唱団とともに「草の会」として出演した。小生も昨年初出席して見直したが、ソロ部分にはプロの歌手も参加し、なかなかのコンサートである。
 今年は都立大にある、「めぐろパーシモンホール」の大ホールで開催された。
 「メサイア」は2年に1度で、昨年は調布でフォーレの「レクウェム」だった。地の利もあったが、大ホールがほぼ満員という盛況であった。草野氏がクリスチャンということもあり、日本では珍しく第2部「受苦」最後の“ハレルヤ・コーラス”では、起立する人も何人かいた。当方も義母の子、3姉弟の家族は勿論のこと、昨日の中尾家や三菱の仲間・女房の友人等多くの人が聞きに来てくれて有難かった。(写真参照)


12月18日(土)[浅草「羽子板市」・「音の花束コンサート」]

今日は東大剣道部同期生のお嬢さんである、ハープ奏者・中尾晴奈さんのコンサートが14時から神楽坂の「音楽の友ホール」で開かれる。そのため、昨日相模原に帰った女房と、昨夜飲み会で“上野庵”に泊った小生は13時過ぎに現地集合することにしていた。時間があるので散歩がてらに、朝一人で近くの浅草・浅草寺境内で開かれている有名な「羽子板市」を見にいった。天気も良く、すごい人出だったが“商談成立”の景気のいい「手打ち」は世の中景気が悪いのかあまり聞こえなかった。(写真左)

 「コンサート」は「ブーケ・デ・トーン(Boquet des tons)=音の花束」と銘打っているとおり「フルート」と「ピアノ」及び「ハープ」の桐朋の仲間3人組によるものだった。父君と飲んで夜中に伺った時や彼女がロンドンにいる時、夫婦でお世話になった時もお宅で聞かせて頂いたが、結婚もしお子さんもできたせいか、さらに円熟してきているような感じがした。明日は一家で中尾家の近くで開かれる、義母(女房も介護出演)のコーラス(メサイア)を聴きにきて貰えるらしい。(写真右)


12月14日(火)[12月度「Lの会(忘年会)」]

「Lの会」(潟梶[ドテックのOB会)の12月の会(忘年会?)がいつもの品川・港南口の居食屋「和民」で開かれた。いつものメンバー9名が集合、楽しく飲んだ。(写真参照)10月の逗子・三菱重工湘南荘の会が楽しかったので来年早めに再度行こうという声が上がっていたが、とにかく1月末にここで新年会をやってからと、やっと落ち着いた。三菱自動車の雰囲気が悪いのでこの会が余計意味を持って来ているようだ。参加希望者をもっと集めようという意向も強かった。


12月11日(土)[劾KS川崎「懇親ゴルフ大会」準優勝]


第2回鰍mKS(川崎)の親睦ゴルフ大会が香木原CC(千葉・君津)で開かれたので、海ICを代表して出席した。NKSは三菱自動車が寮・社宅管理や警備部門を鞄本管財にアウトソーシングしたことにより出来た、日本管財の子会社である。だから小生の前会社潟梶[ドテック及び兜H名エステックの部下も現在所属していることになる。今回はそのトラック部門である川崎事業所(旧菱東エステック)の大会である。海ICも最近仕事を頂いており、川崎営業所が出場要請を受けたわけだが、所長が腰を痛めており急遽小生の出番となったわけである。もちろん小生はほとんどの社員を知っており喜んで参加させて頂いた次第である。その上、特別出場の名ゴルファーでもある滝本社長および三菱川崎野球部OBの菊地所長等と同じ組で、12月とは思えない絶好のゴルフ日和のなか楽しくまわらさせて頂いた。今日もスコアはおしくも100を切ることが出来なかったが、新ぺリアのため、いつもの強運で実力者の社長には足元にも及ばなかったが、また「準優勝」という栄誉に輝いた。(写真参照)遠いため朝3時起き、4時に相模原の家を出てアクアラインで東京湾を横切って行った甲斐もあった。


12月9日(木)[第5回油彩「楽らく展」]

中津南高校同級生の谷城幹雄君(東大工・応化卒・元東燃石油)の属する、 絵画教室サロンド・クボーの「展覧会」が、京橋にあるギャラリー・クボタ というところで今週一杯開かれており、今日が彼の当番日で19時までいる というので海ICを定時で飛び出し、上野 庵に来ている女房と見にいった。
メンバー8人だけの展覧会なので1人4〜5点もの力作ぞろいで、レベルの高そうな感じがした。
彼は前回に続いて2回目の出展だが、前回も「マッターホルン」があったが、今回も 「孫」の絵に「カプリ」「デナリ」「クリントン川」と外国の風景3点を出品していた。「もし、絵が売れても旅行代は到底回収出来ないだろうな」というのが率直な感想であった。(写真参照)


12月4日(土)[松ヶ丘親睦会「忘年会」]

恒例の松ヶ丘親睦会(正式には塚場自治会第10班)の忘年会が近くの料亭?「かまな庵」で18時30分から開かれた。最近では52世帯だが内30世帯程度が出席した。我家が移ってきた昭和50年頃は20〜25世帯程度で、よく集まって飲んだものだが、忘年会だとほぼ皆出席だったものだ。終っても各家を飲みまわり午前様帰宅も珍しくなかった。
 来賓は地区を代表する今井市会議員と塚場自治会の役員の2人で、今井議員も来年の4月で30年目だそうだ。お互い並行して年をとっているのでよくわからないが、相当な老人集団である。(写真参照)
宴会も最初からカラオケで、元気のよいのは代理出席のお母ちゃん連中だ。雨になったせいもあるが、帰りは皆さん送りのマイクロバスから降りて真っ直ぐ各自の家に駆け込んでいた。

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