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2月28日(土)〜29日(日)[群馬三菱ふそう訪問]

3月末まで顧問契約を結んでいる「群馬三菱ふそう自動車販売梶vを久しぶり訪問した。鰍bIC常勤となったため、契約期間満了で“解嘱”してもらい、送別会でもやってもらうつもりでいつもの「グレースイン前橋」に一泊する予定で出かけた。
しかし松河社長から、今年度中に新賃金体系の導入や、子会社の就業規則の整備をしたいので是非契約を継続して欲しいといわれた。思えば潟{ーダーコムの最初からの顧客でもあり、会社の信用度の面でも大いにプラスになるので、あまり来れないこと、また土曜日日帰りを前提に有難く引き受けることにした。急遽夜はいつもの「懇親会」となり、群馬ふそうの業績向上と将来の発展を話題に楽しく遅くまで飲んだ。また今夜「上野庵」に移動しなければならないので、今朝は6時起きで相模原に帰った。


2月27日(金)[2月度「Lの会」]

「Lの会」2月度は、昨年忘年会をやった品川駅(港南口)前の「和民」という、2時間飲み放題の居酒屋の“個室”で、通常ペースの7人が集まって楽しく行われた。「和民」はメンバーの内の1人(写真参照)の御子息が社員という縁で、値段や部屋に融通が効く利点がある。2時間切りというのもこのところ飲みすぎて疲れの出ている金曜日には有難い。明日は上野発、上越新幹線で高崎へ行くので女房も来ることになっている「上野庵」へ帰った。


2月26日(木)[東大剣道部S38/39卒「合同同期会」]

新橋のクラブ・ジャパンで38年組と会っている内に、一度合同でやろうということになっていた。39年組の幹事をやれというので声をかけたら、別格の深江店長を除き、両軍10対9とほぼ同数が集まった。

東大剣道部といっても38年組は駒場時代の部室であった駒場寮剣道部室住人といった方がよい人が10人中8人を占める。39年組は一応全員剣道部卒業者であるが、通学生や途中入部者は38年組を殆ど知らない者ばかりという風変わりな会となったが、卒業して40年もたつとそんな事はどうでもよく38年の剣道部OB(2名)と小生を含めた39年の寮生(5名)が通訳的役割を果たし、大いに楽しく会は盛り上がった。(写真参照)


2月24日(火)〜25日(水)[航空自衛隊「千歳基地研修会」]

鰍bICでの、小生最初の採用面接で航空自衛隊の幹部(防大卒一佐・戦闘機パイロット)を教育担当の部長として採用した御縁で、同様の会社3社(本来は5社)の幹部ともども、「千歳基地研修会」に招待され、両日とも好天のなか貴重な体験をする事が出来た。
まず、入間基地に午前8時集合、自衛隊輸送機(C―1)で小牧基地へ、荷物と同乗の隊員も30名ほどおり、ハンモック状の座席も含めまさに映画の世界。
小牧基地でイラク派遣と同じ大型輸送機(C−130)をコックピットも含めつぶさに見学した後、同乗者は数人と減ったが同じ飛行機で一路千歳基地へ、前日は猛吹雪だったとのことで我々の強運がどこでも話題となった。
基地幹部への表敬・昼食をはじめに、F−15戦闘機のコックピット内は勿論のことシュミレータ体験・ペトリオットミサイルの見学などの後、基地司令との夕食・懇親会から2次会。翌日は政府専用機、管制塔、レーダー室の見学さらにはサッポロビール工場等千歳市内の見学までして、夕方新千歳空港からJALで羽田空港へ帰着し、滅多に体験出来ないであろう貴重な「研修会」を修了した。

(写真は左からC−1輸送機内、C−130輸送機、F−15戦闘機、政府専用機)


2月21日(土)[鰍bIC社内旅行(管理部門)]

鰍bICでは3年に1回、全社員(約600名)が集う社員旅行を行っているとの事。それが来年に当たるので、今年は部単位でやることになった。
しかし、管理部門は各部世帯が小さいので今年は「企画」「総務」「人事」「経理」「研修監査」「システム」「業務開発」と小生の職掌範囲が合同で行うことになり、総勢約30名、原則1泊旅行なのだが特別に“益子焼”の実体験を主体に北関東をバスでまわり、夕方上野についたところで「大宴会」をして解散という行程となった。天気は上々、ポカポカ陽気で絶好の旅行日和。小生にとっても、米国赴任以前の1991年以降?10数年ぶりの若い人たちとの楽しい旅行となった。(写真参照)

それで、「上野庵」泊を一泊延長し、途中“那珂湊”の魚市場で氷入りの新鮮なサバとイワシをお土産にして夜遅く「相模原」に帰り着いたのだが、氷が溶けてバッグから水が滴り落ちていて女房にお叱りを受けるはめとなった。


2月19日(木)[ゴジラ会]

4ヶ月に1度の「ゴジラ会」(東大剣道部戦後〜昭和40年卒までのOB会)が恒例のルポール麹町(麹町会館)で開かれたので出席した。今回から小生が会計幹事(受付も)なので、先任者の指示を思い出し3時に中央郵便局で釣銭の両替をして、5時半に丸の内での用事をあわててすませ、遅れては大変とタクシーで駆けつけたが、開始時間を30分間違えており、悠々間に合った。

土田(東証社長)・加藤(海老名農協理事長)先輩と、最近メンバーが相次いで急逝されたので、黙祷からはじまったが37名と最近では上々の出席率で和気藹々と盛大に行われた。
またもや40年卒はだれも来ず我々39年卒が最若年であった。3月4日にはヤング・ゴジラ会(38年卒以降)があるからかもしれない。


2月16日(月)[2月度「3月会」]

2月度「3月会」は、先月10人と過去最高だった余波と、3月12日(金)に“本番”の東大35年文一6組の第5回(2004年度)同窓会を控えているから、参加者は少ないだろうという予感どおり、3名と低調だつた。


小生の知り合いが一人飛び入りで参加したが、クラブ・ジャパンの深江マスターに久しぶりにトランプ・マジックの妙技を見せてもらうなど普段と少し違う「3月会」となった。それでもビール・焼酎・ワインと例により沢山飲んで、女房の待つ「上野庵」へ良い気分で帰った。(写真参照)


2月14日(土)[三菱ふそうトラック・バス「湯河原会」]

昭和30年から毎年つづき、今年で50回目の三菱自動車川崎の労使の非公式親睦会「湯河原会」が、今年は武蔵小杉のホテル・ザ・エルシーで日帰りで行われた。実際は昭和22年ごろから労使有志数名で始まったものらしいが、後になって昭和30年を第1回としたと聞いている。

昔は入会審査も厳しかった。小生は勤労担当という事で丸子から川崎工場へ移った昭和48年(1973年)から、破格的扱いで入り、米国時代の4年間だけ欠席なので今年で実に28回出席という事になり、今や古参メンバーの1人である。
最盛期は250〜300名で、この時期湯河原に繰り出していたが、最近は200名程度に減り、且つ湯河原宿泊は2年に1度となってきている。
創始者の1人で、ずっと会の頭であった塩原健次郎氏(元副社長)が昨年なくなられ、自ずと会の雰囲気も変わって行くと思うが、なるべく長く続けてもらいたいものである。(写真:恒例の最後の全員合唱)


2月13日(金)[2月度「MBIサロン」]


金曜日の夜は何かと予定が入るので、今月の「MBIサロン」には出席の届はしていなかった。今日はCIC社長が九州出張となったため、夜が急遽自由になった。疲れているし、定時(5時)で真っ直ぐ相模原に帰ろうと思っていると、社長との連絡が6時までかかった。そうすると「来月も同窓会で出られないし、4月も難しい」との思いと、六本木ステラハウスでの開始時間(7時)に丁度間に合うという、変な理屈で急に出席する気になり、樋口幹事に電話するとOKとの事。
帰り道に“ちょっと一杯”という感じで参加、同期の平松氏(三菱重工)もいて、合計8人で正にサロン的に楽しく飲んだ。(写真参照)


2月10日(火)〜12日(木)[副社長(妻)還暦]

2月10日は女房の満60歳の誕生日。前から「上野庵」にもピアノが欲しいといっていたが、マンションで無理だろうと思っていたら、ヘッドホーン付デジタル(電子)ピアノなら大丈夫と気がついた。先週銀座の山野楽器に自分で行って発注してきて12日据付にくることになった。それはいいのだが「還暦祝」としてくれという。これだけでは済みそうにないので「じゃあこれは家族一同からということにしよう」といっていたら、長男家からは嫁が気を遣い素晴らしい贈り物が届き女房は大変喜んでいた。当方は結局、11日・12日と両日にわたり、祝宴らしきものをやり、12日は東京文化会館で東京都交響楽団の定期演奏会(指揮:ジェイムズ・デブリースト、ピアノ:コンスタンティン・リフシッツ)を聞きに行き、一連の「還暦祝」を無事終了した。(写真は上野庵に設置されたローランド製デジタルピアノ)
よく考えると小生は2年も浪人したおかげで、「成人式」も「還暦」も、人並みの感慨を味わう事がなかった。2年長生きすればいいやと思っていたが、丁度11日に完読した、東大剣道部・渡辺弥栄司大先輩(元通産省・弁護士)の「125歳まで生きる・・・・」により、もう少し欲を出すべきではないかと思い始めた。先輩のような努力は到底できないが、皆さんにもお勧めしたい本である。


2月7日(土)・8日(日)[養成工第11期同期会]

昭和38年入社の三菱養成工(第11期)の同期会が、三菱重工・湘南荘(逗子)で開かれ、先生として招待されたので出席した。

生徒側は7人、先生側は5人とコジンマリした会であった。小生は国語(剣道)を教えただけだが、他の4人は15歳〜18歳の3年間専任で指導されたわけで、親・兄・姉の関係に近い。しかし孫のいる比率も生徒側の方が多く、長谷川大先輩を除き、今となるとそう年が違っていないなと大笑いの楽しい会であった。(写真参照)
皆は今日も近くを散策する等して名残りを惜しんで帰るようだったが、小生はまた今晩「上野庵」に向うので、神戸勤務の生徒1人と朝食後早めに帰途についた。


2月6日(金)[mini-mini賀詞交換会]

社宅等不動産の斡旋で、名古屋時代から付き合いのある潟~ニミニの賀詞交換会(品川プリンスホテル)に招待されたので出席した。季節はずれでもあるが、法曹関連の“講演会”あり、マジックショーありの三菱自動車OBでもある草鹿東日本社長の発想らしいユニークな会であった。

小生の「上野庵」もここが探してくれたが、顧客に三菱系各社が多く、正に三菱のサロン風でもあった。(写真参照)
先日三菱自動車会長就任が報道発表された三菱重工岡崎常務(小生の丸子工場1年後輩・次男の勤務先工場のトップ)も草鹿社長と米国時代からの仲間ということで出席されていた。皆と楽しく旧交を暖め1週間ぶり相模原へ帰った。


2月2日(月)[就職説明会(ビッグサイト)]

お台場近くの、国際展示場(ビッグサイト)で来年3月卒業の大学新卒者対象の今シーズン皮切りの大規模な就職説明会が催され、鰍bICも特大ブースを出すというので、“昔の血が騒ぎ”雨のなか「ゆりかもめ」に乗って見学に行った。CICも毎年60名近くの大学新卒者を採用する。折からの「環境問題ブーム」で応募者には事欠かないらしいし、定着率も上々である。
 大変な数の学生が真面目な顔で各ブースに群がっていたが、シーズン初めのせいかまだ皆余裕のある顔をしている。
 当社の説明員である若いスタッフも、入替わりやって来る受講者に熱心に対応していた。(写真参照)

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