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10月31日(金)[10月度「Lの会(ゴルフ&懇親会)」]

先月の「Lの会」でゴルフをやろうという動議が、早速実行された。小生が場所を取れというので、東京CCの「特別優待券」で最も安かった今日、1組4人で成立した。小生を除き皆現役の人が“休暇”を取って参加してくれたが、それに相応しいゴルフ日和になりホットした。(写真)


どうせなら、ゴルフに参加出来なかった人を加え恒例の「Lの会」も同時にやろうということになり、両者の都合のよい新宿駅西口の「魚民」という大衆料理屋に18時30分集合することになった。
ゴルフ組は千葉・茨城の人もおり、スタート時間を遅くしたため、終わって風呂も入らず直行し、ようやく間に合った。
ゴルフも楽しかったが、飲み会も“飲み放題2時間”という制限つきながら、いつものとおりワイワイガヤガヤ周りの若者に負けないぐらい騒いで帰途についた。このところ出席者が5〜6名と少ないのは寂しいが、つぎは12月の忘年会にしようということになった。ゴルフも今後増えるかもしれない。


10月29日(水)・30日(木)[訃報・名古屋・東京モーターショー]

28日夜から29日朝にかけ、TOKYO39会(同期)のメンバーでもある園部孝三菱自動車会長の訃報があちこちから寄せられた。我々の病気見舞いに対する返礼のメールが10月10日に入ったばかり、それも11月からは出勤出来そうだという元気なものだっただけに驚きはなおさらである。            ご冥福をお祈りしたい。 合掌。
小生は中央電気工事鰍フ営業支援のため、12時15分着の「のぞみ」で名古屋に向った。名古屋は半年ぶり、仕事の終わった後、流石に河添元三菱自動車相談役は急遽欠席されたが、久しぶりで旧友と楽しく遅くまで“錦”で飲んだ。

翌朝二日酔いの頭で、三菱自動車・岡崎にある旧「菱名エステック梶vの鰍lMCエステックと鰍mKSの新事務所を訪問した。皆明るく元気そうに働いているのを確認し、昼過ぎ東京に戻った。
夕方やはり名古屋から戻られる江田税理士とお会いするまで、時間があるので「東京モーターショー2003」へ、その足で行ってみた。凄い人出に圧倒されたが、その中でも何人かの三菱関係の知り合いに会えたのには驚いた。
しかし話題は全て園部会長のことばかりで、三菱のブースも心なしか寂しげに見えた。だから写真は少し元気のでるようなものを撮ってみた。


10月27日(月)[鰍bIC「全国責任者会議」]

鰍bIC芳賀社長の勧めで急遽、同社千葉研修センターで開かれる「全国責任者会議」に出席することになった。13時に予定していた三菱自動車中国生産管理事業部訪問を10時に早めてもらい一人で直行した。
同社全国営業所の所長及び次席クラス約150人が一堂に会し、夜懇親会の後、一泊するというので宿泊の準備をして出かけたが、社長ほか一部幹部は懇親会後帰られる事がわかり、小生も泊まらずに帰宅できた。
小生は全くのオブザーバー参加であったが、一応大企業育ちの身では驚くことばかりの会議の内容であった。“百聞は一見に如かず”の諺どおり、短時間であったが、今まで漠然としていた会社の概要もよく理解できた。このくらい厳しくなければこの時代企業は生き残れないなと実感した。
終わって懇親会は管理部門の若手社員達が時間を掛けて作った、手作りの“鴨なべ”で大人数ながら家族的雰囲気。営業成績ワースト5の所長は「前掛け」をつけ、後片付け担当。ちょっと可哀想な感じもするが敗者復活の可能性も大きいので皆“アッケラカン”として明るいのにも驚いた。


10月20日(月)[塩原健次郎氏葬儀・10月度「3月会」]

昨夜通夜にも出たが、鰍bIC出勤後、東横線「妙蓮寺」で行われた元三菱自動車副社長(MCL社長・会長)塩原健次郎氏の葬儀に出席した。氏はこよなく“三菱ふそうトラック”とその社員を愛した方で、小生も公私にわたり大変お世話になった。毎正月先輩方と大勢でお宅を訪問、大いに飲ませて頂いた。必ず出される郷里「信州」の“野沢菜”の味も忘れられない。数え切れないほどの多数の参列者と母校早稲田の「都の西北」の曲に送られた“大往生”であった。(妙蓮寺山門・写真右)

帰り久しぶりで古巣の三菱ふそうトラック・バス叶崎工場に立ち寄り「旧交」を暖め方々、CICの営業活動もして帰社した。


夜は10月度「3月会」(大学クラス会)。いつもの新橋クラブ・ジャパンで今回は7名も出席、大いに盛り上がった。 (写真左)


ハードな1日の疲れか、飲み過ぎか分からないが強烈な2日酔いでついに本文は翌日作となった。年を考えなければいけない。反省。


10月18日(土)[ゴルフ(東京CC)・中津南高関東同窓会]

3日前東京CCメンバーの重工同期生から、腰痛で行けそうにないので代りに出てくれといわれ、あわててクラブを送りメンバーも良くわからないまま参加した。「シンガポール駐在者仲間」の会だったらしく、一人は同じく同期なのでよく知っているが、他は初対面。後半小雨であったが、いささかよそ行きのゴルフをしたためか、100を切る最近ではまあまあ“合格点”のゴルフであった。

終わってそのまま、神宮外苑の日本青年館で開かれた第26回「中津南高関東同窓会(含む旧制中津中学)」に出席した。同期生(10回生)はたった4人といつもどおり少なかったが、93歳の大先輩から、幹事の26回生は郷里中津からも大勢参加する等、約250名の多数が出席しており、会場が狭く感ずるほどだった。
母校も今年が丁度創立110周年、文武両道で隆盛らしく、中津から駆け付けた校長先生の挨拶(写真)も力がこもっていた。若い幹事達の大変な努力の新企画「中津クイズ」等で大いに盛り上がり、顔見知りの先輩・後輩達との久しぶりの交流も出来て楽しい会となった。


10月16日(木)[10月度「ゴジラ会」(会計幹事)]

東大剣道部戦後(昭和28年〜40年卒)OB会「ゴジラ会」(前述)の10月例会が、いつものルポール麹町(麹町会館)で開かれたので出席した。
38年以降が追加されて丁度1年(4回目)たった。いつも受付(会計)を37年の先輩がされているので、若輩としてこれまでも「何か手伝いましょうか」と言っていた。今回着くやいなや受付を手伝ってくれと言うので、気楽な気持ちでやっていると、おもむろに過去の全資料を差し出されたので変だなと思っていると、正式に「会計幹事」の役割が回ってくることになった。

大先輩達の前で新旧交代の挨拶までさせられた。前任者は9年もやっていたらしく皆に「解放」を祝されていた。小生としては、どうせ誰かがやらなければいけないので構わないが、一見“大雑把”に見えるせいか、子供の頃から「会計係」だけは免れる特技を持っていた。最近年を取ったせいか、時々会計係も任されるようになった。喜ぶべきことかもしれない。

「ゴジラ会」は30名が出席し、いつものとおり和やかに進行した(写真参照)が、折角追加して頂いた38年以降の若手?組は6名と少ないのは残念。特に40年は0名で当分会計幹事の後継者探しは無理のようである。


10月14日(火)[パソコン・麻雀]

今の仕事になってからずっと、持ち運びの出来る小さくて軽いパソコン(モバイル)が欲しいと思っていた。鰍bICに週1回勤務が決まったので、いよいよ本気になり、無線LAN・DVD作成等ができ軽くて安いものと思い物色するとどうもよくわからない。無線LANといってもそう簡単には行きそうもない。人に聞くと「目的にあわせ必要最小限の機能のものを持ちまわるのが良い」らしい。それでもう一度考え直してみたら、先にも書いたようにCICでは、「報告書」を書く程度しか使いようがない。それも手書き用の所定フォームに“当て込む”ようなものもある。

家に丁度A4サイズしか駄目なのでお払い 箱にしたキャノンのプリンターと、次男坊が捨てていったシャープの古いパソコンがある。これをつなげて何とか「報告書」が出来ないかとこの数日悪戦苦闘したら、スピードと、キーボードの表示と少しずれるインプット方法さえ我慢すればOKとなった。
今日はまた前回同様早く出て、“運び屋”スタイルで事務所に機材を運び込みセットした。(写真)あまり音がうるさいので少々同室の人を気にしながら、夕方今日の「報告書」を作成しややご満悦で定時で退社した。


そのまま品川に行き例のメンバーと麻雀、ついに3回連続の大敗を喫した。まあパソコンで倹約したからいいやと思い、また橋本駅着最終に間に合う電車に飛び乗って深夜1時すぎ帰宅した。


10月12日(日)[義母コーラス]

今回始めて理解できたが、義母(85歳)の所属するコーラスグループ「コールファミリア」(西東京市)は草野一哉という先生の指導をうけており、同様に指導を受けている4合唱団とともに「草の会」を結成、年に1度“大コンサート”を開いている。女房はこの時だけ「介護?出演」することにしているらしく、昨年度から実行している。(昨年は小生は都合で欠席)

今年も、府中の森芸術劇場・ウィーンホールで開かれた。“祈り”という大テーマのなかで、主はG.Faureの「REQUIEM」」のコーラスであった。随所にプロの音楽家も出演しており、パイプオルガンの伴奏で流石に入場料をとるだけの演奏であった。
小生はバックコーラスに出るくらいにしか考えていなかったので、練習や間際の音あわせ等がいやに大げさだなと思いつつ、夕方1人で出かけた。
義母のコーラスには毎回親戚一同は応援に駆けつけるが、今回は女房の友人まで大勢顔を出してくれていた。来年はヘンデルの「メサイア」(1年おき)との事、興味のある方は事前に一声頂きたい。


10月9日(木)・10日(金)[群馬三菱ふそう]

7月24・25日以来約2ヶ月半ぶりに、人事労務関連アドバイザーをしている「群馬三菱ふそう」を訪問した。というのも排ガス規制による、いわゆる「トラック特需」の大繁忙で、それどころでは無かったようだ。こちらも遠慮していたが、やっとこのところ電話による問い合わせ等もあり、超繁忙はまだ当分続くそうであるが、社長の都合もよく久しぶり懇談の機会が持てた。
会社の業績がずっと好調で、それを何とか従業員にフィードバックし、それにより又業績を上げて行こうという社長の強い意志があり、これまでの課題は一区切りついたが、さらなる前進と関連会社・取引先の指導もふくめ新たな宿題が出された。事務局と協力し今後精力的に取り組んで行かなければならない。例により、夜は幹部と楽しく飲み、一泊して小生は多少二日酔い気味で、社長の部屋からも見え、絵も飾ってある“赤城山”(写真はインターネットから)を見ながら帰宅した。


10月6日(月)[鰍bIC初出勤}

朝5時起き、初日なので早目にと思い6時前橋本発で始業30分前の7時30分頃鰍bICに着いた。まだビルの玄関は開いてないので通用門から入り、早過ぎたかなと思い誰か先に鍵を開けてくれていることを願って、7階に行くと、何と男性社員の殆どはいて、既に会議を開いているのにはビックリした。

後はタイムカードの指導から、全員朝礼で紹介され全く新入社員の気分。大蔵省、都庁、銀行・生保、大手建設・メーカーOB等の先任顧問へ挨拶し、社長は出張のため専務と打合せ、次週のスタンバイをすると後は17時まで自由。他の顧問も外出するし、専務も「名刺をバラマイテ下さい」というので、まずは品川に行き古巣の三菱自動車と鰍mKS(元潟梶[ドテック)に就任挨拶に行った。色んな人に出会い大忙しで17時前にやっと帰社できた。珍しく早起きと緊張で疲れた1日であつた。

写真は小生の机から見た北上野の風景であるが、当初考えたほどゆっくり眺めていては一般社員に悪そうな雰囲気の“引き締まった”会社である。


10月3日(金)[株式会社シー・アイ・シー}

夕方、長春出張の慰労会?で株式会社シー・アイ・シーの芳賀社長に招待されたので北上野(入谷)に行った。実は10月から同社顧問として週1回(月曜日)勤務する事になったので、その手続きと下見を兼ね午後早目に到着した。立派なビルの7階で執務室には、既に机・電話・ロッカー等が整備されており名刺まで頂いた。久しぶりに現役生活が味わえるのが楽しみである。“月曜”にしたのも、せめて週の初めには気合を入れていこうという小生の気持ちからである。
同社は創業40年の衛生害虫対策等で「快適な生活環境づくりに貢献する」会社である。小生は潟梶[ドテック時代から寮・社宅の衛生管理等でお世話になっていたが、本業とは違った部門を担当することになっている。全てが第一歩ということになりそうである。夜は同社幹部と楽しく飲んで良い気持ちで帰った。



10月2日(木)[ステレオ}

我が家の密かな自慢の一つが「ステレオが全室にある」事である。意識的にしたわけでなく、ステレオ運がいいというのか、壊れないので自然にそうなったわけである。ところが寝室の「ビクター」製のコンパクト・ステレオのスピーカーは音は最高なのだが、このところ音が出るようになるまでにトラブルがあり不思議に思っていた。最近近所に元ビクター勤務の「技術士」で小生と同様会社を起されている方が引越してこられたので相談すると、「見てくれる」という。あつかましくも、1週間ほど前アンプを預けていたら、昨夜「良くなったから」とわざわざ届けてくれた。深夜、組み立てると完全にOK。うれしくなり今朝10時すぎまでベッドの中にいて大好きな種々のクラシック音楽を楽しんだ。


これを機会に我が家のステレオの「歴史」を思い出してみると、今回のは小生が米国赴任直後にそれまで一度も当たった事のない「社員紹介販売」の抽選の特賞で会社から頂いたもの。そのまま大学生の長男のものとなっていたが、就職していらないというので、帰米後名古屋を往復した。その間に内部で接触不良を起していたらしい。2階の書斎にあるやはり“コンパクト”は、捨てて帰るのを前提で米国時代購入した「SONY」製。日本でも充分使えるので名古屋時代も寝室用として愛用した。
最新はMDを聞く為に購入した、1階の書斎(会社事務所)の「パイオニア製」のミニコンポ。小さいだけに音が悪い、仕事中に便利に聞くだけ。
メインは、約25年前自宅建設時にグランドピアノの“おまけ”にもらった「パイオニア」製。CDが付いていないとの理由だけで1990年、現在居間にある「パナソニック」にメインの座をゆずり、長男経由次男の持ち物となっていたが、現在は4個のスピーカーをつけ(現在は別売りのCD付)1階和室がオーディオルームになるようにしてある。いくつかのパイロットランプが切れているが音色・機能とも健在である。勿論、居間の「パナソニック」は見た目も、音もよいが、テレビやその他の関係があり、なかなか聞ける状態にならないのが残念である。


10月1日(水)[TOKYO39会ゴルフ]


いつも小生のホームコースの東京CCで行われる、三菱自動車・本社地区同期生のゴルフ会。前回(8/1)は“肩痛”のため欠席したので、久しぶりの感じで、天気もよいし、このところ調子も上がってきており張り切って参加した。ところが出だし3ホールでつまずき、後半は3パット・4パットの連続で、快心のドラコンは取ったものの“総にぎり戦”は惨敗した。
振り返って考えると、このゴルフ会に関連した「麻雀」はいつも大負けしているし“お払い”でもしなければいけないか・・・。しかし、気のおけない楽しいゴルフ会である。

 

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