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6月30日(月)[営業仲介業]

今日、潟fルフィス(前述)から「第3営業局シニアアドバイサー」という肩書きの名刺を頂いたので、“新規お客様開拓”のため担当幹部と、最初に上野にある小生の昵魂の企業を訪問した。お忙しい中、社長自ら丁寧に対応して頂き感謝・感謝である。

当社の主要業務として目指している「営業仲介業」は、日本人の風習になじまないせいか、なかなか思うように行かない。 ただ単に、「買って頂く」「売ってあげる」の一方的なものでは長続きしないし、本当に単なる「営業」である。両者にとってメリットが生ずるものを“見つけ”“作り上げ”“説明し”“理解させる”等の活動をとおし「仲介」をする事に意義がある。そのためには何をおいても『信頼感』が必要である。

小生も試行錯誤の連続中だが、取り敢えずは自分が信頼できる人(物)を自分の信頼できる人に紹介し、両者の間に信頼関係を築いてその上で『商売(営業)』が成り立つようにするのが「営業仲介業」ではないかと思う。
そういう意味で1年経ってみてこの事業での成功感はまだ味わっていない。 どうしてかというと、日本では仲介者も含め3者がなかなか対等の立場に立てないからではないかと思う。


紹介が実現すれば途端にその価値を0とみなす売り手。さらにこちらが期待している「これを使えばお宅にこんなメリットがある」の説明不足。買い手も「仕方がないから会ってやった」感覚。「安ければ」だけでなく「折角だから何か自分の所にプラスにならないか」の観点で議論して頂けないかと思う。結果を仲介者のせいにされては困るのである。結婚の仲人然りである。
それだけ、既定路線の上だけの売買に安住していて欧米の経済活動に遅れをとっているのではなかろうか。
このホームページの「社長info.欄」自体が、自分を理解・信頼して貰うための早道と思っている。今日の名刺が「仲介業」の成功のきっかけになる事を願っている。


6月29日(日)[葬儀]

一軒隣の奥さんが一昨日くも膜下出血で急逝された。享年60才。直前までご夫妻で仲良く毎日ウォーキング等されており信じられない。結束の良い「松ヶ丘親睦会」は挙げてお手伝いを引き受けている。
今日近くの清新斎場で「告別式」。自宅での諸事は勿論の事、昨夜の「お通夜」を含め、全員参加である。既に転出されている方たちまで見受けられた。小生も両日にわたり“会計”の役割を担った。
3人の息子さん達も立派に成人されておりご冥福を祈りたい。合掌。


6月28日(土)[山中家祝賀会]

義兄(山中有二氏)の“古稀の祝い”が、ご本人の快気祝い及び長男友之君の俳句集(発行所:当社)の出版記念会、次男礼二君のハーバード大学(MBA取得のためエイバックス・グロービス・パートナーズ鰍ゥら2年間留学)の卒業祝い等を兼ねた「山中家祝賀会」として、目黒の“みやこホテル”で開かれ招待されたので、「堺家」も名古屋の長男夫婦を除き出席した。
女房側だが、近親者が久しぶり集まり楽しい会となった。(写真)ただし、中心は数年前にくらべ、確実に次世代(息子達)に移行しつつあり、頼もしい限りである。


6月26日(木)[「TOKYO39会」(飲み会)]

「TOKYO39会」ゴルフ会はよく登場するので紹介済みだが、飲み会は半年ぶりである。昨日株主総会が終わったばかりの、園部三菱自動車工業渇長の慰労会を兼ねようという幹事の呼びかけにメンバー12名全員参加。小生も高山を切り上げて馳せ参じたわけである。初のパーフェクトかと思いきや、1人が急な都合で11名となった。いつもの自由が丘の天ぷら屋「与喜」の“天守閣(最上階・個室)”は入りきれないので、目黒の「洋酒一族」 の1階を借切って18時30分から開催、なんと解散したのは23時近くだった。
小生は14時すぎ飛騨高山から一旦家に帰り、16時半に茅場町の江田税理士事務所に用事があったので、背広・ネクタイに着替え出席した。写真のようにこのスタイルのほうが少数派であり、少し冷やかされながら楽しく歓談した。これから「飲み会」も増やして行こうというのが皆の結論のようだった。


6月25日(水)〜26日(木)[6月度「Lの会」(飛騨高山特別会)]

「Lの会」(説明済)先月書いたように、高山に遠出しようという事になった。以前、兜H名エステックで管理していた三菱自動車健康保険組合の「高山荘」に小生が渡りを付けろという事で、早速名古屋方面へ手配すると何のことはない、健保本部(品川)の管轄。空いているところをお願いしたところ当然ウィークディを取ってくれた。おのずと最終的にOB主体で普段の約半数の5名の参加(内小生も含め2名が夫婦で合計7名)となった。
会社の保養所といっても本物の温泉付き、建物も新しく裏庭(山)には遊歩道まであり一流ホテルも顔負けの施設である。(写真参照)
我が家は名古屋時代から幾度も利用しており、翌日2人とも予定があるため、 往復とも別途八王子から高速バスを利用し、両日とも朝8時頃出発、昼過ぎに到着する日程とした。

他の5人は運転手が丁度25日に開かれたMMCの「株主総会」に仕事が関連しているので、昼ごろ車で品川を出発夕方到着、翌日観光をして帰るという事になった。貸切状態の「高山荘」で飛騨の銘酒で夜の更けるのも忘れ楽しい一夜を過ごした。


6月22日(日)[都市対抗野球神奈川県予選A(第2代表決定)]


ついに「新日本石油」に8−2と圧勝し、我が「三菱ふそう川崎」が神奈川県第2代表の座を勝ち取った。(写真参照)
以前に比べ応援団員(特にチアリーダー)も応援する観客(社員)も少なくなったのは寂しいが、熱心な社員・OB・家族はまだまだいる。
2年ぶりの東京ドームでまた以前のようになり、かつ会社の業績・社員の志気が向上するのを期待したい。昔だったら誰彼かまわず祝杯を挙げに行くところだが、日曜と5時頃と早いという事もあってか、そんなムードでもなさそうなので、小生のみの「ノスタルジア」なのかなと思い帰宅し、我が家で「巨人・阪神戦」と「ケンタッキー・フライド・チキン」を肴に思いを遂げた。


6月21日(土)[イタリア料理・都市対抗野球神奈川県予選@]

今日は横浜にいて、今月末実家に近い吉祥寺に引っ越す姪の紹介で、“横浜一美味しい”というイタリアン・レストランに女房と3人で予約して行った。「オプレチェネッラ(‘O Pulecenella)」という難しい名前で、運河沿いにある。お昼時はさすが若者で満席である。写真のとおりのしゃれた店でピザ・パスタとも美味しい。小生は大好物の「アーリ・オリオ」のコースを注文、世界中?食べ歩いた経験上からも合格点であった。


丁度、一昨日の対「日産」戦には行けなかったが、今日都市対抗野球神奈川県予選の第1代表決定戦で、我が「三菱ふそう」は「東芝」と戦うので小生のみはそのまま横浜スタジアムに直行した。久しぶりの社会人野球で血は騒いだが結局“力負け”。明日の「新日本石油」との第2代表決定戦に今年の命運をかける事になった。明日こそと誓って寂しく家路についた。


6月19日(木)[鞄本システム設計・講演・ゴジラ会]

日は忙しくかつ充実した日であった。まず高校・大学の先輩の是木健氏が社長である鞄本システム設計(日本橋・人形町)から創立25周年記念展示会のご案内を受け、一度訪問してみたいと思っていたのでこの機会に足を延ばした。5年毎に社を挙げて行っている行事で写真にあるように、身近な町(人形町)をテーマにしつつ、地球環境や防災と“建築”のかかわりを研究発表するなど全社員が説明員として活き活きと動きまわっているのに感動した。建築の各種コンペにも積極的に参加する等、新しい形の“街”のこれからも発展しつづける建築設計会社であると確信した。


午後16時30分から18時まで前述したとおり、潟fルフィスで社内教育の講師を務めた。2月の日本マーケッティング協会のセミナーで行ったのと内容はほぼ同じであるが、題名は(異文化コミュニケーション)『まるドメ男の米国体験談』として、より話やすくなった。(写真参照)ただし熱心に聞いてくれる社員の皆さんに、つい力が入りすぎ終了時間に終わらず、あわてて10分ほどオーバーしてまとめ、質問時間もなくなり失礼した。


終わって、18時30分からのルポール麹町(麹町会館)での「ゴジラ会」に参加した。「ゴジラ会」とは戦後の東大剣道部のOB会である。正式組織の「赤門剣友会」を慮り、ふざけた名前にしたと聞いている。小生卒業時は三菱の先輩が多いので小生は破格的に“会員”扱いだったが、卒業生が増えるにつけ37年まで(38年の代表)と切られてしまっていた。我々はまた「ミニゴジラ会」なるものを結成したが、今年度から40年まで入れてくれる事になった。4ヶ月に1度、場所も日にちも固定されている。小生は毎回出ているが前回は特に若手の出席率が悪く、今回は中尾君が“檄”を飛ばしたので、同期の39年は久間章生代議士はじめ5人も出席した。なお今回はトヨタの張社長や今日全日本剣道連盟の副会長(会長含み)になられた国松元警察庁長官等大物先輩が多数出席され大盛会であった。


6月17日(火)[麻雀]

今日は久しぶりに麻雀の声がかかり、品川に出かけた。というのはいつものメンバーの1人が三菱自動車から三菱製鋼監査役に転出するので、送別麻雀という名目であるが、新勤務先も品川から近いのでこれからは余計やり易くなる可能性が強い。三菱自動車の品川移転のため、雀荘も田町から品川へ変わったので、皆様子がつかめず最初入った駅前の雀荘は予約で満席、あわてて近くの別の雀荘に移動した。後半盛り返し、今年の対戦成績をやっと3勝3敗の対に持ち込んだが、トータルではまだ負けている。これまでの長い雀歴でこのように苦戦したことはないので、相手がいかに強豪かということである。東神奈川12時10分発橋本行き最終電車で何とか帰り着けてラッキーであった。


6月16日(月)[埼玉三菱ふそう・6月度3月会]

早くも1ヶ月という感じだ。午後埼玉三菱ふそう・北本支店で第7回「改善シャワー2003」チームリーダー研修会があるので、早め(9時前)に家を出ると11時に北本駅に着いた。会社繁忙で、ちょっと改善提案のペースも落ちてきている。会社幹部は事情が分かるだけに言いにくそうなので、ここぞとばかりハッパをかけ、今後3ヶ月、毎月300件のノルマを出してみた。目的は数でなく会社の活性化だが、どうなるか楽しみである。

もう一つ、小生が幹事の「3月会」(前述)が18時から新橋であるのだが、わざわざ“宴席”が浦和で用意されていたので終了後17時から1時間強 ご馳走になり、約1時間遅れて「クラブ・ジャパン」に駆けつけた。


「3月会」は4月・5月が3名と少人数だったので、今回は先週周知メールを発信したら、江田五月参議院議員はじめ新記録の8人(写真)が出席となった。丁度同年別組の横田君(中小金融公庫副総裁)も来ていてうらやましがられた。


6月14日(土)[農園・あじさい公園・父の日]

先週忙しく6月2日(月)以来、例の我が家の農園(前述)に行くと、サンチェがいっぱいと初物のキュウリが収穫できた。前回、徹底的に雑草を取り、少し早いかと思ったがインゲン等の弦巻用の支柱等を組立てておいた。たった2週間で、雑草も相当育っていたが、インゲンも支柱一杯つるを張り巡らしているのには驚いた。
畑のすぐ近くに相模原市営の「あじさい公園」があり、今日が“あじさいDay”という事で人出がしていたので夫婦で立寄った。「市の花」でもある「あじさい」も丁度見頃(写真)であるが、その他の花畑も沢山あり、とくに「あやめ園」は素晴らしかった。女房は早速“出店”で花の鉢植えに、“なす”の苗まで買い込んだ。
帰ると丁度「宅配便」と鉢合わせ、明日の「父の日」の贈り物が、名古屋の長男夫婦から届けられた。いつも“テレクサイ”ので「母の日」はいいが、やめてくれと頼んでいるが、律儀に贈られて来る。今年は色彩等センスのよい「甚平」であった。普段の“シャツ&ステテコ”の生活スタイルがバレたのではないかと女房に冷やかされながら“記念撮影”をした。


6月13日(金)[MBIサロン]


MBI(前述)の同窓会活動の一環で、軽い飲み会の「サロン」がある。毎月第2金曜日に四谷三丁目の東京ガス・四谷クラブの中にある「ミレニアム」というミニクラブが場所である。小生の名古屋時代に発足しもう5年になるらしい。
常任幹事が第8期生の樋口周嘉氏(三菱重工)でもあり、東京に来て毎回出席の意思はあるが、曜日のせいかいつも都合が悪くなり、これまで3〜4回しか出席していない。
今回、「ミレニアム」がクロ−ズになるという事で出席したら、15人もの多数が出席し、店は貸切であった。(写真参照)流暢に日本語を話すスリランカ人がマスターのユニークな店だったが、次回から“六本木ヒルズ”の近くにある「ステラハウス」という店になるそうである。来年11月のファミリーデイの話も含め和気藹々と飲んで解散した。


6月11日(水)[展覧会・神奈川三菱ふそう]


女房の姉夫婦である山中有二(キリンビールOB)・桂子夫妻の所属する地域の絵画グループの展覧会「木陽展」が、国分寺駅近くの“司画廊”で開かれているので、2人で見に行った。小生は毎年、丸の内で開かれる義兄のキリンビールの仲間の展覧会は見ていたが「木陽展」は初めて。女房は東京に戻ってから毎年見ているそうだ。丁度ご夫婦が当番日なので、女房の母をはじめ知り合いのサロン風となっていた。写真のように2人で5力作(右の2つが姉)を出展、全体的にもレベルの高いグループのように思えた。
義母と駅近くで会食した後、小生のみは横浜に行き予約を頂いていた「神奈川三菱ふそう自動車販売株式会社」を訪問、社長はじめ幹部と面談した。


6月9日(月)〜10日(火)[三菱バス製造(富山)]

潟Gプロの営業活動で同社の塚本副社長と富山県婦中町にある「三菱自動車バス製造株式会社」(写真)を訪問した。名古屋時代は本体の時は“人員の大移動”、菱名エステックでは“建設の営業活動”等で度々訪問していたが、リタイア後は昨年10月に続き2回目である。今回は飛行機で往復(前回は車)し、仕事は午前中に終わった。

小生は、全日空ホテル宿泊とパックになった格安航空券だったので1泊し、夜は前回同様、会社(川崎)同期生の堀川一彦社長と富山の美味しい魚と酒で“楽しく”旧交を暖めた。翌日はホテルの真ん前にある「富山城址公園」(ホテルからの写真参照)を散策するなどして午後には帰宅した。離陸してウトウトしていると、すぐ着陸態勢で東京―富山間が飛行機だと意外に近いのには驚いた。


6月8日(日)[自治会ソフトボール大会]

2週間前の“清掃日”のところで触れたが、今日がその「塚場自治会・班別ソフトボール大会」である。年1回、近くのNECのグランドを借りて実施 される。(写真参照)
我が「松ヶ丘親睦会(第10班)」も前述のとおり有望な若手新人が加わり、今年はさらに強くなった。決勝は若い新規入居者で構成されこの数年最強の第12班と昨年同様の対決。昨年は歯が立たなかった(タオルを投げコールドゲームにしてもらった)が、今年は大接戦の末惜敗の第2位。
小生をはじめとした大応援団(約50人)も大いに満足し、3時半頃からの恒例の「M家ガレージ打ち上げ会」(写真)を楽しんだ。


6月6日(金)〜7日(土)[群馬三菱ふそう・敷島公園(ばら園)]

群馬三菱ふそうの「自己申告検討委員会」(前述)の2回目の日程が、急に決まり出張した。“仕事第一”で、6日に出席を予定していた「国際人をめざす会」(ボランティア活動)の総会・講師の会。夜の「MBI(第23期)同期会」。及び7日の「近隣会」ゴルフをすべて“ドタキャン”した。
会議は前回同様2部会にわかれ、両日の定時後の17時から・・・、今回から具体策の検討となったので前回より時間が短く効率よく終了した。終わってから会議には出席しない松河社長が入り、出席者有志と楽しく懇親会を持ったが、これも有効な会社“活性化”の役割を担っている。今回は2日目の懇親会を小生のみ中座して、予定していた宿泊を取り消し最終電車で自宅へ帰り着く事ができた。
7日の昼間が空くので、女房のすすめで「ぐんまフラワーパーク」(宮城村)に行ってみようと思っていたが、「車でなければ交通の便が悪く、正味時間1〜2時間で行くような所でないですよ。それより敷島公園にある「ばら園」が丁度最後の見頃ですよ」とホテルで言われ、公園も含め散策した。「ばら園」は東京近郊と違い入場料もなく、ウイークデーにも拘わらず人も大勢入っており、素晴らしかった。(写真参照)また中に鳥小屋があり、鶏と同居のクジャクが長い時間見事な羽をひろげていたので写真を1枚追加したくなった。


6月4日(水)[セミナー]

昨夜に引続きMBI(マッキンゼー教育:説明済)関連。午後1時〜5時までサントリーホールでのビジネスリーダー・セミナー「オルフェウス室内管弦楽団に学ぶ:新時代の組織運営」(創造と革新を生む、リーダーシップの新たなかたち)に出席した。
モルガン・スタンレーと我等MBI生の恩師である竹内弘高先生を科長とする一橋大学大学院国際企業戦略研究科(ICS)の共同主催。先生のお計らいでMBI生も20人に限って特別招待された。
同楽団は1972年に創設され、30周年を迎えたニューヨークのカーネーギー・ホールを本拠地とした世界的に評価の高い楽団である。また世界唯一の指揮者のいないオーケストラとしても知られている。その個人の尊重と自主性を重視した独自の組織運営の手法「オルフェウス・プロセス」は今やビジネス界や学識界の注目を集めており、日本でのこのようなセミナーは今回が初めてのもの(角川書店から書籍は発行済)。
Q&A,参加者とゲスト・パネリストによるディスカッションをとりまぜ、実際にモーツアルトの「ジュピター」(第一楽章)のコア・メンバー(11名)によるリハーサル[写真参照]、次に全体メンバー(35名)によるリハーサルの実態を見学。最後にその成果である素晴らしい演奏を聞かせて頂いて最高であった。6月第1週の日本各地での創立30周年記念公演の合間に企画されたようだ。
帰宅して夜10時のNHKニュースをたまたま見ていると、本件が報道され小生はもちろんの事、出席したMBIの仲間の顔が大きく写し出されビックリした。


6月3日(火)[都内所用・6月FA会]

今日は、久しぶり現役時代に準ずる勤務となった。7時過ぎ家を出て田町へ、午前中、先日の且電興の件で再び関東菱興鰍訪問。終わって品川の三菱自動車ビルで小生の所用を達した後、昔の部下と昼食。午後は新宿に行き潟Gプロの塚本副社長とJR東日本本社の旧友と面会。終わって茅場町の江田税理士事務所を、我社の第1期及び1日だけの第2期の決算資料(案)を提出するため訪問した。


 18時には神田の一橋大学・総合学術センター(写真)に行き、「FA会」(前に説明済)に出席した。今回のテーマは「北朝鮮をどう扱うか」という米国Foreign Affairs誌の英語の論文。最近としては最多の15人が出席、幹事の丁寧な基調説明の後、自由討議。流石まさに“ing”の問題だけに沢山の意見の割りに方向は定まらず。時間切れで隣の「如水会館」で懇親会。次回9月にもう1度「北朝鮮」をテーマにしようか・・という意見も出ていた。昔のように23時過ぎ橋本駅からタクシーで帰宅した。


6月2日(月)[甥の「俳句集」発行]

5月連休前に義兄夫婦から依頼されていた甥の「俳句集」、当社初の“出版事業”として、本日深夜完成した。(写真参照)

義兄の『古希』の御祝日(6月28日)を発行日としているので、納期は充分に達成したわけだが、約40頁もの40冊。パソコンでの編集は楽しんでやれたが、最終段階の印刷と製本はまさに力仕事。10冊にどうしても6〜7時間フルにかかる。夫婦で武士の内職よろしく、この4・5日深夜までかかったが、一応満足のいくものが出来た。
今回は親戚なのでボランティア精神半分だが、今後事業としてどうするかこれからの検討課題である。


6月1日(日)[オペラ(実験工房2003)]

昨年に引続き、女房の大学の後輩の芦川紀子氏が企画・構成する「オペラ実験工房」が近くの“グリーンホール相模大野”(写真)で公演されたので、2人で車で出かけた。昨年は丁度10年目で第1回に演奏会形式で行ったヴェルディの『ドン・カルロ』を上演形式で行い、一区切りついたので今年から〈新生〉という言葉がつき、グルックの『オルフェーオとエウリディーチェ』が上演された。
氏が大学の先生であることから、レクチャーがあり、かつ登場人物の1人としてナレーションまでやって頂けたので、イタリア語上演の雰囲気を味わえたうえ分かり易く、2回公演では勿体ないような素晴らしいものだった。
米国駐在中は、ニューヨークやシカゴでも良く見たし、車で45分で行けるピオリアでオペラ等のニューヨークからの出張公演があり、毎月の通し切符を購入して楽しんでいた。中央の二軍の部隊がやって来るわけだが、事前に勉強はするが内容を理解するには想像する以外なく苦労したものだった。名古屋では舞台の脇に電光掲示板で翻訳が出て感心した事を憶えている。

 

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